mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

大正浪漫は時の遥か彼方になりにけり

2016年6月16日いう事は、鬼婆側祖母さんの三十三回忌に当たる
頭丸めた坊さんアレルギーながら法要記事書いてやろっと






1972年8月に琵琶湖行った時の写真
何度見たって、祖母さん機嫌イイのは、海軍祖父さんと離れ過ぎのおかげ様だ
祖父さん:1910年(明治43年)9月10日生まれ、撮影当時61歳
祖母さん:1912年(大正元年)9月25~29日の間生まれ、撮影当時59歳
大正時代は、1912年7月30日より始まった
祖母さんは2ヶ月早く生まれてりゃ、明治生まれであった
元号異なるだけで、祖父さんより若いぜ♪と喜んでイイものを
「同じ誕生月なのに、祖父さんが先に生まれたなんて気に食わん~」
本人限定の意味不明な対抗意識を持っていた




1980年頃かしらん、三女(ウチの鬼婆)が、通院介助を始めた
現在の西区から、堺区だがほとんど北区と言える位置にある病院まで
(ちなみに、堺市は、2006年4月1日に、政令指定都市移行、区制施行)
通院先は現在、アタシの入学前に移転した中学校&嫌われもんの市民病院跡地に移転したを説明しといて
市民病院は現在、西区へ移転したもんで、西区の皆様お気の毒様~)
病院移転しようがしまいが、祖母さんの通院には、クルマ移動必須であった

ジジィ側祖母さんの現金払いで購入したクルマを御料車にしてね
通院から老人病棟永住に変わって以降も、三女は小まめに顔を出していた
祖母さんより、祖父さんの方が気になったんじゃないか?
その後90歳まで自転車の暴走族という元気良さとはいえ、毎日、西区から堺区までじゃキツイ
(2007年夏から2009年春まで、堺区から美原区以外全部をママチャリで移動した実感より)
祖母さんが好き嫌いを言いまくって残した病院飯を「モッタイナイ」と残飯処理
祖母さんの機嫌悪いと、蹴飛ばされる
そりゃ気になるいうものよ
…三女が四半世紀後、顔もだけど、性格まで、祖母さんに似たのが、含み笑いモノでもある




1983年3月、祖母さんに、孫が九州への修学旅行土産を買って来た
アタシゃ何買ったかは忘れたけど、包装紙には西郷隆盛のイラストが描かれていた
包装紙を見て、三女が「嫌がらせみたいな…」
アタシゃ迂闊にも
長男夫婦が実家近くに家を買い、同居解消した当日、2階から大声で「サッサと出て行けッ」

祖母さんから蛇蝎の如く嫌われた長男嫁が、鹿児島出身

祖母さんの鹿児島アレルギー忘れてたのよ
土産を病院へ持って行った三女によれば、「素直に受け取り、喜んでた」
…半世紀前には行かず後家年齢であった26歳まで実家ベッタリさせた三女繋がりだから!?
お年玉を、祖父さんが500円なら、祖母さんは1000円というように、孫には外面良子だったのは間違いない




孫には甘いといえば




1984年6月16日、不思議な光景を見た
その日の夜、祖母さん三女が実家へ出動、アタシゃ留守番
汚宅玄関上がって左側、元の茶道&華道師匠祖母さん茶室、その後はジジィ棲息部屋を覗くと
部屋中央に正座したお坊っちゃまが、機嫌良く、上を見上げていた
(なお、正座は、両足伸ばして座れないもあるが、自ら初めて起き上がった幼児期に自然と決めた)
視力検査不可能だがド近眼、アタシと同じく焦点合わせ辛く、まっすぐ一点を見つめるのは難しい
声で、自分の好きな相手か嫌いな相手かわかるよう
和歌山病院搬送前日、同じ病院の上下階に分かれていた鬼婆を上から連れて来たら
脳出血の後遺症によるダミ声にも関わらず、反応していた
ちなみに、昔々、アタシの声聞いただけで泣きやがり、TVから流れる似た声にも同様であった
ここ10年近くは、敵に回すと怖いと思ったか、態度改めたけどぉ)

要するに、他に誰もいない部屋なのに、好きな誰かいて楽しい反応を見せていた
アタシゃ、「祖母さんが汚宅まで孫の顔を見に来おった」
祖母さんがお坊っちゃまの顔を直接見る機会は少なかったけど
通院当時、帰りにタコ焼きを買って、三女に「お坊っちゃまに食べさせろ」いうほど、可愛がってたもんでね
自分から三女汚宅まで出向いて、孫の頭撫でてたんだろと、32年後の本日も信じてる次第