mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

青年は荒野を目指し、夢は破れて老いた

読書感想文記事を、内容がちと憚られるので、最初、限定投稿した

思う所あり、公開に変更する
ひたすら長いため、備忘録だし、スルーしてくれて結構よ




「おい哲平ちゃん、あの本読んだか?」
「読んだに決まってるでしょ~」(一応、元作家志望だけある)
「著者は間違いなく、知り得る限りの情報掴んで、抑えて書いてるよな」
「おねーさんの言う通り、想像の域だけで書くには無理な、詳細な箇所多いよね」





イメージ 1

【目 次】
プロローグ
1 名曲喫茶
2 空賊
3 偽装空港
4 闇への亡命
5 平壌
6 思想改造
7 金の卵
8 秘密の招待状
9 潜入渡航
10 妻たちの北朝鮮
11 結婚作戦の真実
12 日本人革命村
13 マドリッドの失踪者
14 生存の証明
15 ロンドンの罠
16 チボリの夏
17 密輸シンジケート
18 双面のヤヌス
19 接線
20 ウィーン工作
21 背後の影
22 消息不明
23 山桃の家
24 思想対立
25 海上への脱出
26 破綻した虚構
27 日本潜入
28 密告
29 国内工作
30 撤収
31 祖国喪失
32 時間の迷路
33 黙契
エピローグ
あとがき
地図
文庫版刊行に際して




‘「宿命」・高沢皓司に対する私の見解 田中義三’
http://miyazakimanabu.com/zorro-me/miyazaki4/tanaka_kodama/takazawa_tanaka.html
そりゃ苦情来るわな
著者は、かつて、よど号リーダー・田宮高麿の盟友だった
他のメンバー、奥方連中からも聞き出せる内容を全て聞き出した
評価が高い本なのであるが
本に掲載されている拉致被害者家族の中には、「取材も受けていないのに中身を信用しろと言う方が無理」
取材対象女性(よど号元妻)との関係も不信に影響しているとも言われる
支援グループを巻き込んでの「裏切り者!」




本の内容全部でなくても概ね正鵠を射ているから、怒り心頭に達し、馬脚を表したような?




16 チボリの夏
コペンハーゲンのカフェに於いて、有本恵子さんの拉致が決定となる場面、詳し過ぎますよ
夢のような良い条件の就職話をフイにしたくない反応、(実は)北朝鮮工作員との会話内容などね

この事件の拉致実行犯は、柴田泰弘の奥方・八尾恵
彼女自身、拉致被害者と言える経緯を辿った
子供たちを人質に取られる立場にあったが、旦那とともに、早い時点での逮捕により
北朝鮮での教育が抜け切れず、他にも思う所あったにせよ、話せる事は全部話したと思われる




25 海上への脱出
背後の影(結論を書くと、西側の監視)を感じ、いろいろ疑問を抱き、次第にグループと乖離し始めた岡本武
大賢者Wikipedia様を引用すると

1976年に結婚。当初、結婚相手は現地の朝鮮人女性と発表されていたが、後に高知県出身の福留貴美子であることが確認された。よど号メンバーの妻のほとんどが北朝鮮の思想に共感を持っていたことが考えられる中、福留のみ親北朝鮮思想が確認されておらず、一部には北朝鮮に拉致されたとする見方もある。

1980年代初頭によど号グループリーダーの田宮高麿と方針をめぐって対立。1983年以降は岡本は訪朝した支援者たちの前にさえ姿を見せなくなっていた。

1996年、よど号グループから支援者に対し、岡本が土砂崩れによって1988年に妻と共に事故死したと発表される。しかし、1980年代末に漁船を奪取して北朝鮮から脱出を図ったものの捕らえられ、強制収容所に送られ死亡したとの情報が北朝鮮を取材しているジャーナリストによって述べられている。

なお日本の公安警察は岡本の死を確認していないため、現在でも日本警察の指名手配の対象者になっていると同時に国際指名手配されている。

よど号メンバー柴田泰弘の妻だった八尾恵は著書で「私の知る限りでは、岡本さんと福留さんは、亡命後のよど号グループの主体思想に従う考え方に異を唱えたので矯正のため隔離され、そして、その果てに死が待っていた」と記述している。

漁船の場面が詳し過ぎる上に、脱出失敗以降を知るなんて、誰が著者に教えてくれたんでしょね
強制収容所で死んだかは置いといて、事実でも迂闊に話せず書けない内容ですよ





余談ながら
2000年の初読当時に知り合いと話した、「どんだけ因果な兄弟なんでしょ」
岡本武いうたら、1972年のテルアビブ空港乱射事件を起こした岡本公三の次兄だ
弟はお兄ちゃんを非常に尊敬していたという=その影響で日本赤軍入りであれば、お兄ちゃんも罪な真似した
弟もまた、現在でも、国際指名手配中だよね
仮の話、無罪っぽい展開を迎えるとして
公三は、今年5月14日、滞在先のベイルート共同通信の取材に応じ、パレスチナに骨を埋めたいと語った
「岡本がイスラエルの獄中で治安機関から拷問を受けた後遺症による精神疾患で、発語などに障害を負った」
匿うレバノン政府の説明であるが
…最高級の介護サーヴィス保証あるじゃん、老後を日本で過ごさない者が賢明と進言したかったりする




北朝鮮平壌に「日本人村」 よど号事件から44年、メンバーらは今【画像】』
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/09/dprk-yodo-go-hijack_n_5473881.html
Twitter始めたら、「能天気ですね。不愉快です」フォロワーから批判されたりしている
基本、1970年春の時点で「現役日本人として停止した」、仕方ない面ワンサカと思うよ
罪状認否を続け、無罪帰国主張しながらご臨終だろうよ
当初キューバに飛ぶ予定が、遠距離だと途中捕まる率高くなるので、玄界灘挟むだけの北朝鮮に変更と
全く未知で無知の北朝鮮に飛んだというお粗末な亭主族と対照的に
八尾、福留以外の奥方連中は、皆、亭主より余程共和国に知識を持ち憧れての北朝鮮入りなら、尚更だ
自分たちの誤りに気づいてしまっているとしてもね




田宮は1995年11月30日に平壌で死亡したとされ、当局は死因を心臓麻痺と発表している。しかし、前日の29日に赤軍派議長だった塩見孝也が田宮に平壌駅で見送られており、死亡日前日まで田宮が元気であったことが確認されていることから、高沢をはじめ拉致事案を追っているジャーナリストの多くが田宮の死に疑問を呈している。特に親交の深かった高沢は、田宮の死でよど号グループとの交渉のパイプ役を失ったと語っている。

‘宿命’の中に、「もう遅過ぎる!」と盟友にぶつける場面がある
思想自体の変化は無くとも、北朝鮮への疑念は抱き、思うように身動き取れない状況改善を図ろうとしたが…
「話し過ぎて、消されたね」




そして、残るメンバーも、消される恐怖を抱えている
現在のリーダー・小西隆裕が、2000年代前半に、訪朝者にそれとなく匂わせたというの
あくまで北朝鮮の手足の一つに過ぎない
しかし一般より恵まれ、国からは正直お荷物となっているのに手厚く保護される意味は?
「生きての帰国は許さない諸々を知り過ぎた男女たち」、その一言に尽きよう




ちなみに、ハイジャック予定表では、「春に飛んで、春から夏にかけて軍事訓練を受け、秋に帰国」
が、小西唯一人、東大医学部中退と頭脳明晰だけあって、早期の帰国無理を見通していたよう
1976年によど号事件前からの恋人を嫁に貰っている
彼女は、ハイジャック前の小西から早期の帰国出来ない旨を聞いており、数年後、自ら単独での北朝鮮入り
野郎だけの生活環境に、一人だけ、彼女とラブラブ暮らしが始まれば、男の見苦しくトホホな嫉妬も始まる
自分自身を含め、メンバーが家族持つ重要性を感じた田宮が結婚作戦を考え出した
北朝鮮にとっても、子供は次代の革命要員にして、親が反抗しないための人質となり、美味い話だ
結果的には、よど号の子供たちが、日本に渡り
北朝鮮の生まれ育ちだから、帰国した拉致被害者の子供たちともども、帰国という言葉には納得行かん)
親が人質っぽいなんて、何とも皮肉な末路ですな




そう考えると

4歳年下の柴田泰弘を含めた他のメンバーが1977年までに結婚している中で吉田だけ結婚が確認されていないこと、また吉田の祖父が富裕商人だったことが北朝鮮から出身を問題視される可能性があったとして、1977年以前に強制収容所に 送られて死亡したとする見方がある。死亡後、他のよど号メンバーは吉田を完全にタブー視し、存在がなかったことにしている。少なくとも1977年から北朝鮮に滞在し1985年の死まで吉田の存在を知っているはずのよど号犯人の妻たちは吉田について一切知らないと語っている。

1976年11月に小田実北朝鮮で田宮高麿を除くよど号メンバーと会っており、吉田も出席したことになっている。しかし、吉田の写真が撮られておらず、存在は完全には確認できていない。最後に確認されている吉田の写真は1973年のものである。

お祖父ちゃんの名前も、吉田金太郎
孫の金太郎がメンバーで唯一人、「学生は所詮、学生」と学生運動経験持たず、社会人であった
彼の目に、自分を排除しようとした北朝鮮がどのように映ったかは知りよう無いけど
「蛙の子は蛙、首領様の子は首領様、反体制分子の子は反体制分子
南北朝鮮伝統である族譜を巧妙に取り入れ、出身成分を決め、そこから逸脱は認められない」
つまり、孫の金太郎は労働階級育ちなのに、「資本家の孫なら、資本家教育を受けていて当然」の判断により…
彼がどうなったか、リーダーの田宮にさえわからなかった
岡本の収容所送りまでは確認出来ても、以降は不明と同じく、吉田の逮捕だか拘束だか以降も辿れまい
社会的には死んだけど、いま現在も、肉体は生きている可能性が絶対無いと言えるか?
早期に脱落したのはある意味、幸運だったとは言える
よど号の思想は本来、チュチェ(主体=全体)思想とは別物であり、葛藤を抱えていた
それが一気に、吉田事件を機に、他のメンバーもまた存在証明が脅かされる身を思い知らされる事に
黙契が結ばれ、チュチェの戦士に忠誠を誓った
吉田を襲った宿命を見て、他のメンバー全員、引き返したら道は無いを悟ったが故に
と考えればね




もし、吉田、岡本が、反体制分子なりに厚遇されているとすれば…
以下、 2011-08-01 16:34:00 アメブロ別荘記事(記事題名も同じ)
当記事とダブる部分あるけど全文載せとく

首相献金問題、市民の党代表「よど号犯と接触」北で10年ほど前
2011.8.1 01:13
 
 菅直人首相の資金管理団体 が、東京都三鷹市議選に立候補した日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体市民の党」(酒井剛代表)から派生した政治団体に計6250万 円を政治献金していた問題で、酒井代表が過去に北朝鮮を訪れ、よど号ハイジャック事件の犯人や関係者らと接触していたことが31日、分かった。酒井代表が 産経新聞の取材に明らかにした。市民の党北朝鮮よど号犯の密接な関係が改めて鮮明になった。

 三鷹市議選に出馬した長男の父親は、よ ど号犯の故田宮高麿元リーダーで、母親は昭和55年に石岡亨さん=拉致当時(22)=と松木薫さん=同(26)=を欧州から北朝鮮に拉致したとして、結婚 目的誘拐容疑で国際手配されている森順子容疑者(58)。森容疑者は北朝鮮にとどまっているとされる。

 酒井代表は産経新聞の取材に、 「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」と発言。「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」とした上で、「そうした縁 もあって、長男が(日本に)帰国してきてからつながりがあった」と市議選に擁立した背景を明らかにした。

 酒井代表は自身が長男の選挙応 援に入ったことも認め、「今の10代、20代が今後、大変な思いをする。若い人に頑張ってほしかった。統一地方選には若い人間をいろいろ出しており、彼は そのうちの一人」と説明。一方、日本人拉致事件については「最低な問題と考えている。解決する一番いい方法は日朝国交正常化だ」と自説を展開した。

 市民の党をめぐっては、菅首相や故田宮元リーダー、カンボジアポル・ポト派幹部らが、同党の事実上の機関紙にメッセージを寄せたり寄稿したりしていたことが既に判明している。

 菅首相資金管理団体草志会」は、市民の党から派生した政治団体政権交代をめざす市民の会」に、平成19~21年の3年間で計6250万円を寄付。民主党からは同時期、草志会へ計1億4980万円が献金されていた。

■北の“同志”支援軽率

  市民の党の酒井剛代表がよど号ハイジャック事件犯との接触を明らかにしたことで、両者の関係性は決定的となった。菅首相が国会で「献金は連携・支援のた め」と述べた政治団体の実態は、“革命の熱狂”に取りつかれた極左勢力そのものといえ、首相の政治姿勢や説明責任が改めて問われるのは必至だ。

 よど号事件は昭和45年3月31日に発生。故田宮高麿元リーダーが率いる共産主義者同盟赤軍派9人が、羽田発福岡行き日本航空ボーイング727(通称・よど号)を乗っ取り、韓国・金浦(きんぽ)空港で乗客を解放後に北朝鮮に渡った。

 日本初のハイジャック事件で、「海外で活動家を軍事訓練させ、日本に上陸させ武装蜂起を決行する」という「国際根拠地建設論」が唱えられた。

 北朝鮮で生活を始めた9人は、現地で日本人女性と結婚。田宮元リーダーは森順子容疑者との間に2男1女をもうけた。

  その後、田宮元リーダーら3人と日本国内に戻った2人が死亡。今も現地に残るのは4人となっている。一方、よど号犯の子供は「計20人」(尾崎道明公安調 査庁長官)で、平成13年以降、全員が日本に帰国している。そのうちの1人が、今年4月の東京都三鷹市議選に市民の党から出馬し、落選した田宮元リーダー の長男だ。

 酒井代表はこうした勢力に共感を示しており、平成15年の雑誌の対談記事では「革命一筋。この30年間他に何も考えたことはない」などと話し、自らを「レーニン主義者」と紹介している。

 菅首相は今回の献金問題に絡み、7月21日の参院予算委員会で「そういうこと(拉致実行犯と近い関係)があったとすれば大変申し訳ない」などと陳謝した。だが、献金の目的については「ローカルパーティーと民主党の活動の連携・支援のため」と述べるのみだ。

  拉致被害者支援組織「救う会」会長で東京基督教大学西岡力教授は、「酒井代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えた か、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井代表や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と強調。その上で、「こうした政治 団体と『連携・支援』を図るため巨額献金をした菅首相は極めて軽率といえ、総理の資格が問われる問題だ」と指弾している。

MSN産経ニュース




よど号ハイジャック犯といえば




すでに死亡したメンバーでは
1996年カンボジアで拘束されてタイに移送、後に日本国内で病死の田中義三は別として
リーダーの田宮高麿は
「死の前日まで特に異状が見られず、病死というより不審死」
彼と思想対立があったらしい岡本武は
「妻とともに土砂崩れで死亡とされるも、国外脱出を図るなどから、強制収容所に送られた可能性大」
1985年に病死とされる吉田金太郎は
「1970年代に、同名の祖父が資本家である出身成分を問われ、強制収容所に送られた可能性大」




赤木志郎、若林盛亮、魚本公博(旧姓:安部)、小西隆裕
40年後の現在も北朝鮮に在住する4名
何かと不安を抱えていると読んだことがあります




柴田 泰弘(しばた やすひろ、1953年 - 2011年)はよど号グループの最年少構成員、テロリスト。

概要
1969 年、神戸市立須磨高等学校に入学。その頃赤軍派に参加し、大菩薩峠事件に関与した。1970年3月31日に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こ した際には、グループ最年少で高校入学してから約1年の16歳の少年であった。北朝鮮に亡命後、1977年5月4日に八尾恵と結婚、娘2人をもうける (1990年代後半に離婚)。

1985年春によど号グループ最高幹部の田宮高麿から革命のために日本で人と金を集める命令を受けて極秘帰国。他人になりすまして潜伏活動をしていたが、1988年5月6日に兵庫県警外事課により偽造旅券の疑いで逮捕。指紋の照合でよど号メンバー柴田であるこ とが確認される。よど号メンバー初の逮捕であった。

よど号事件で強盗致傷、国外移送略取罪等で起訴され、1990年12月20日東京地裁で懲役5年の判決が言い渡される。上訴をするも1993年11月に懲役5年が確定、刑務所に収監される。

未決拘置期間を差し引いて、1994年7月21日に出所。その後は元グループ仲間やその支援者らとは距離を置き大阪府大阪市で1人暮らしした。

その後も娘は北朝鮮に留まっていたが次女が2004年1月に日本に帰国、長女が2006年6月に帰国している。

2011年6月23日、大阪府大阪市浪速区の自宅アパートの布団で死亡しているのをアパートの管理人と大阪府警浪速署員が発見した。58歳没。外傷は無く、病死とみられる。

エピソード
・日本の裁判で起訴された際、裁判所の人定質問で職業を問われて「職業革命家です」と即答した。
・所持していた偽造旅券は北朝鮮による日本人拉致問題によって拉致された石岡亨の偽造パスポートである。

Wikipedia:柴田泰弘より引用 )





今日になって、死亡を知りました




1970年当時、未成年ということで『少年S』と報道されたそうですね
太古の高校生は、現代よりはるかに知的好奇心旺盛で、「社会(世界)を変える」意識に燃えていて
大学で燃え盛る学園紛争の火種が各地の高校にも飛んで行ったよう




満期出所しているから、その後は一市民として暮らした
2010年3月、産経新聞の取材に対して「もう(運動は)やりません。疲れちゃってるんで」
元グループ仲間や支援者らのみならず家族とも離れ、独り暮らしでの最期
己の過去に対する罪悪感、人生に対する喪失感、精神的支柱の無さによる不安感
ですかね?




孤独死であっても、過去との訣別はせめてもの救いなのでしょうか?