mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

The woman who knew too much(知り過ぎていた悪魔のようなオンナ)





ある日突然、悲しみは駆け足でやって来る
何かが変わってしまう時というのは、唐突に訪れるもの
それも大体、全く想定外の形でズドンと来る
取り返しや埋め合わせがほとんど困難な物事に於いてよ
ジジババ地獄社会なのに、「何とかなる」が如何に甘ったれてるか知れるでしょ
何とかなるくらいなら、毎日毎日、悲惨なニュースが生まれますかっての
老老介護の疲れで…の類が、見込み甘かった、万全に勉強と準備していたのどちらにせよね




もっとも何ともならないとばかり考えるのは、精神衛生にいくない、悪運招き込むオーラを発する
「おウチに帰るんじゃよ。アテクシを離せ、この無礼者!■━⊂( ・∀・) 彡スポーン☆( д)(o゚Д゚)=◯)`3゜)∵」
避難所で大立ち回り演じるボケ老人いるかもの現在なればこそ、「どないかなるわい」思考も必須と言えよう




ケセラセラの意味(ニュアンス)を教えてください。
日本語の歌詞では、「なるようになる、先のことなど解らない」と歌っていますが、原語では「自分が信じるようになっていくんだ」となっているという人がいます。
原語(何語か知らないけれど)の歌詞を知っている方、原語の訳を知っている方教えてください。



私の勝手な解釈を書かせていただきたいと思います。。。

時間の流れ、物事の変化というのは定まっているもので、
過去、現在がこうであるから、未来がこうなる、と予測することは不可能だということだと思います。
未来に起こるさまざまな事象は大小の違いはあれ、予測とは異なってるものだと思うのです。

そのような、なるようになるという世界だから、
自分の意思こそが物事に意味を与えるものなのであり、
どうせ定まっていて変えられないものなら、
自分の信念こそが、自分の世界における時間であり物事だったりすると言えると思います。

過去や現在に憂慮してその気持ちばかりにとらわれていたら、
その気持ちでしか世界が見えない。
だから過ぎたことも先のこともくよくよ考えないで、
おおらかに構えてほんのり前向きな気持ちであれば、
そう信じたように世界は見えてくる。なっていく。

というようなかんじではないでしょうか?
うまく言えませんでしたけれども、いい言葉だなぁと思いました。
かなり生きるヒントですよね!

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/675324.html
ケセラセラ (Que Sera, Sera) は、ドリス・デイの1956年の楽曲である。

同年のヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイ(Doris Day) が歌った。

「Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされることもあるが、実際はスペイン語の文としては非文法的であり、スペインで用いられた歴史もない。そのため専ら英語圏のみで(一種の擬似外国語として)使われたフレーズであると考えられている。別題として、「Whatever Will Be, Will Be」、「Whatever Will Be」(映画タイトルバック)、あるいは副題を併記した「Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)」(現在もっぱら正式な題とされる。

Wikipediaケセラセラより引用 )





そーいうこっちゃ




今回の震災について調べていて、あまりにも恐ろし過ぎる推察に行き当たった
んなコト想像もしないであろう認知症がむしろ羨ましくなったほどだった
どうにもヘタレな自分への応援歌でもある