mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

雪が解けて川になって流れて行く春の声

花冷えというより鼻冷えする寒さであったって、西方教会に於いて復活祭を迎える本日には、春ざます
ベタな選曲ですけど








「2.671 milliseconds after the big bang Frühlingsstimmen was heard in the universe... 」
このコメント、何が言いたいねん?ハテ??異星人が聴いて第三種接近遭遇狙ってるのか???




カルロス・クライバー登場したウィーンフィルニューイヤーコンサート、1989年と1992年の2回
1989年の映像はDeutsche Grammophonから、1992年の映像はPhilipsから、どちらもLD持っていた
SONY CLASSICALのLPとCDも持ってたけど、乾いた感じが好か~ん
いい意味で燻んだ欧州系録音が安心するわ




春の声いうくらいだから、綺麗なおねえさんをペタリ





本名は Nathalie Dessaix と綴られる(読みは同じ)。少女時代にナタリー・ウッドへの憧れから、名前から黙字の h を落としたという。元は女優だったが、奨められて声楽をボルドー国立音楽院に学び、またトゥールーズの教会で聖歌隊員として経験を積む。

1992年4月と5月にオペラ・バスティーユにおいて、《ホフマン物語》のオランピア役で短期間ジョゼ・ヴァン・ダムと共演する。ロマン・ポランスキーの舞台演出は不評だったが、この出演を機にドゥセはスター街道を上り詰めるきっかけをつかむことになり、まもなく別の演出による《ホフマン物語》にも同役で再登用され、十数年後にオペラ座で凱旋公演を行なった際にもオランピア役を演じている。

その後間まもなくウィーン国立歌劇場においてモーツァルトの《後宮からの誘拐》の上演にブロンデ役で出演し、その後は《ホフマン物語》のドイツ語版の公演で、シェリル・ステューダーの代役を務めるように依頼される。1993年12月のオランピア役は、ウィーンの聴衆の心を捕らえ、プラシド・ドミンゴと地元のマスメディアは、ドゥセの表向き努力知らずの発声法が信じがたいと口々に唱えた。

2001年から2002年までウィーンにおける定期公演では、声の不調に悩まされ、《夢遊病の女》の上演スケジュールから降ろされた上、その後のいくつかの公演、たとえばリヨン歌劇場における《ランメルモールのルチア》のフランス語版や、コヴェント・ガーデンにおけるツェルビネッタ役も降板を余儀なくされた。この2年間ドゥセは舞台を去って、声帯の外科手術を受けている。

2003年の夏にサンタフェ歌劇場において盛大な演奏会を行い、ニューメキシコ州に(とりわけサンタフェ)に大いに魅了されたドゥセは、翌年の定期に《夢遊病の女》を引っさげて再演することを同劇場に申し入れたほどである。総監督のリチャード・ガッデスは、2004年の夏の音楽祭の編成を見直して、その申し出を実行させた。2006年の夏には、やはりサンタフェ歌劇場に《魔笛》のパミーナ役で出演している。

故障の再発によって再び降板となり、再々手術を受け、2005年に舞台復帰を果たすもレパートリーの見直しを余儀なくされ、幾つかのレパートリーを捨てるとともに、新たなレパートリーを取り入れる結果となった(その例が、マスネ《マノン》のタイトル・ロールや、グノー《ロメオとジュリエット》のジュリエット役、ドニゼッティランメルモールのルチア》のルチア役、《椿姫》のヴィオレッタ役である。『椿姫』については自身ヴィオレッタはもう歌わないと発言しつつ公演の舞台裏を紹介する2013年のドキュメンタリー「椿姫ができるまで」に出演した。)映画では『戦場のアリア』でダイアン・クルーガー演じるアナの歌唱を吹き替えも行った。

故障に加え近年オペラでは声域や声質に合った役柄の限界もあり、13年10月にオペラからは引退する事を発表。歌曲の演奏機会は増化しており、シャニ・ディリュカのピアノアルバム"ROAD66"ではコール・ポーターの「恋とは何でしょう」をクラシック音楽の枠を超え、非オペラの発声で歌っている。2014年4月にはピアニストのフィリップ・カサールと共に来日、リサイタルを行った。

Wikipediaナタリー・デセイより引用 )




Dessay performs "Les Oiseaux dans la Charmille"
Natalie Dessay sings her first Olympia
in Roman Polanski's production of "Les Contes d'Hoffmann." April 13, 1992

Olympia Natalie Dessay
Natalie Dessay als Olympia in Hoffmanns Erzählungen von Offenbach
aus der Wiener Staatsoper Fernsehübertragung 1995

Natalie Dessay-second aria of the doll eng subs (voici les valseurs)
with a high G at the end as always....well that's Dessay for you =D
The part when she breaks is really sad goddamn it T_T




「《ホフマン物語》のドイツ語版の公演で、シェリル・ステューダーの代役を務めるように依頼される」
歌う人形のオランピア、瀕死の歌姫アントーニア、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタ
同一の歌手が一人三役演じる事がある
ステューダーは止せばいいのに、歌手ステッラ(台詞のみ版と歌あり版のどちらか忘れた)まで引き受けた
1993年12月といえば、ヴェルディの♪トロヴァトーレ大失敗当時
出産ブランクの声質変化を考えたら、少なくともオランピア無理だっての
恥の上塗りが嫌で、自ら降板したんだっけ?劇場から「無理やろ」と降ろされたんだっけ?
ま、ドゥセ他の若手新進歌手が分担して歌い成功するに貢献したようなもの、あまりイジメるのは止めとく




元女優だけあって、身のこなし抜群で舞台映えするが、娘役向きの小柄な体格
リリコの役柄も歌ったとはいうものの本質的には軽いコロラトゥーラ
エディタ・グルベローヴァのように、劇的な役柄へと移行して還暦以降も現役は無理
故障無くたって、45歳や50歳を迎えると必然的にオペラ舞台を去るタイプのドゥセ
花の命は短くて、されど春風の心地良さを与えた名花一輪であった