mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

我らが時代の聖譚曲

まず、昨日出来なかった更新をば(つまり、今日の分の更新もあり、17分後に登場する)




前記事【英国のバラよ、永遠に、そして今度こそ花の命長きように】
検索マニアの血が騒いで時間を食った結果の更新が、BALさんと乳母様への返信より先ざました
時間を食った理由:「目的のYouTubeがどーしても見つからない」
1997年PROMSラストナイトでの、ダイアナ妃追悼として演奏されたホルストJupiter探してたのよ
『BBC Proms Verdi Requiem 1997』
Prom 72 - In memoriam Diana, Princess of Wales (1.7.1961 – 31.8.1997) 12.09.1997, 7.30pm, Royal Albert Hall
こんなんは出て来たけど~
PROMSラストナイトの映像と音声、1989年から2006年までは、汚宅にVHSとDATで保存中
YouTubeにアップロードする技術と機械類とそれら揃えるカネ、誰か(ヽ゚д)クレ!!!




目的果たせなかった代わり




Proms 2001と"Auld Lang Syne"

当日演奏された曲目
アメリカ国歌The Star-Spangled Banner
・イギリス国歌God Save the Queen (King)

ヴェルディ「歌劇“運命の力”序曲」 
ヴェルディ「歌劇“ナブッコ”から
ヘブライの捕虜達の合唱“行け、わが思いよ、金色の翼に乗って”」
・フィンジ「落ち葉」
・カントルーブ「オーヴェルニュの歌」から
“バイレロ”、“紡ぎ女”、“子守歌”、“可愛い羊飼いの乙女”、“静かに”

・バッハ作曲/レスピーギ編曲 「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582」
ジョン・アダムズ「はるかなトランペットの響き」
・バーバー「弦楽のためのアダージョ
・マイケル・ティペット「オラトリオ”我らが時代の子”から黒人霊歌
“イエスの下に逃れよう”、“誰も知らない私の悩み”、“やがて”、“深い河”
ベートーヴェン交響曲第9番“合唱” から第4楽章」
・パリ-作曲/エルガー編曲「エルサレム」                   

(メゾ・ソプラノ) アン・マレー,アリス・クート
(ソプラノ) ジャニス・ワトソン
テノール) ティモシー・ロビンソン,キム・べグリー
(バス,バリトン) ディヴィッド・ウィルソン・ジョンソン
(合唱) BBCシンフォニー・コーラス
管弦楽) BBC交響楽団
(指揮) レナード・スラトキン

当初予定されながら演奏されなかった曲目 
ラヴェル「歌曲集“シェエラザード”」
・アイブズ「“アメリカ”変奏曲」
・スーザ「行進曲“自由の鐘”」
エルガー「行進曲“威風堂々” 第1番」
・ヘンリー・ウッド「イギリスの海の歌による幻想曲」
・アーン「ルール!ブリタニア

テロの影響で出演しなかったと思われるソリスト
(メゾ・ソプラノ) フレデリカ・フォン・シュターデ
(ピアノ) ポール・ルイス

2001年9月15日、ロンドン、Royal Albert Hall

http://www.zephyr.dti.ne.jp/~tmiyaji/proms01.html
赤い太字部分は、アタシの持ってるDAT曲名リストより追記した






9・11に関して言いたい事わんさかながら抑えといて




それでも世界では人生と音楽が続く
「PROMSは普段の年と何も変わっていませんよ、皆さん安心して下さい」
非常事態の時だからこそ、ドッシリ腰据えた英国的伝統をという意見はわかる
コンサート冒頭に何故かアメリカ国歌が斉唱された事の方が、よほど政治的に感じられるというのもね
ただ、ニューヨークでは英国人犠牲者も多数出て、英国では飛行機欠航のため足止め食らったアメリカ人いた
事件発生からわずか4日後のコンサート
しかも指揮者は2001年がPROMS初登場となるアメリカ人のレナード・スラトキン
例え不本意だろうと祭り騒ぎを自粛する以外にあるまい
まったりした曲も適度に盛り込まれており、窮屈さは避けられた
このコンサートに関するまったりネタを備忘録しとくと
「同じ場面にいなかったが、嫁と姑になるかもしれなかったソプラノとメゾ・シプラノがいた
合唱付を歌ったジャニス・ワトソンの元彼が、現在オペラ演出家として活躍するスティーヴィン・ラングリッジ
このスティーヴンの父親が、2010年に亡くなったテナー歌手フィリップ・ラングリッジ
このフィリップの後妻が、カントルーブを歌ったアン・マレー
合唱付のメゾ・パートが急遽入れ替わったりすれば、その展開あんまり~だ???」




当日演奏された曲に急遽入ったのが、♪弦楽のためのアダージョ、♪我らが時代の子、合唱付と思われる
このうち、合唱付は、吉事と凶事いずれにも使えるから便利な曲だわ
ベルリンの壁ぶっ壊れた翌月にレナード・バーンスタインが東ベルリンで指揮したのと双璧の熱演かも




♪弦楽のためのアダージョは、作曲者自身は「葬式のために作った曲ではない」と不満を述べていたが
この曲がアメリカに於いて有名になったのはジョン・F・ケネディの葬儀で使用されてからであり
そのため、訃報や、葬送などでの定番曲のように使われるようになった
日本でも昭和天皇崩御の際にNHK交響楽団の演奏を放映した




アタシが興味深いのは、♪我らが時代の子
「マイケル・ティペットは、1935年に英国共産党に入党するも、党の方針が合わず数ヶ月で離党
反戦平和主義者として、1940年に平和誓約連合に加入し、良心的兵役拒否者のリストに登録する
1942年に非戦闘員として従軍の通知があった時には、これを拒否した
翌年、これが原因で当局の事情聴取を受ける
裁判の後、懲役3ヶ月の判決を受け、2ヶ月間刑務所に収監された」
そのような経歴持つ故に
1938年11月にヘルシェル・グリュンシュパンがナチスの外交官を射殺した事件を基に書いた曲というのがね…




グリュンシュパンといえば、『水晶の夜』
当時パリにいた17歳の少年が、ドイツの父親からポーランドユダヤ人の惨状を知らされ激昂
ドイツ大使館員を暗殺して世界にユダヤ人の惨状を訴える事を企図した
1938年11月7日、ヘルシェルは、リボルバーを手にパリのドイツ大使館へ赴き
応対していた三等書記官エルンスト・フォム・ラートに2発の銃弾を撃ち込んだ結果
1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動により
ドイツに於けるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった
反戦が却って戦争を引き起こしたみたいなもの
9・11と照らし合わせると、♪我らが時代の子がPROMSに急遽登場は面白過ぎる




ま、いいか
「第1部は『世界は暗闇の下に置かれる。冬である』と歌われ、不安な時代の到来を告げる合唱で始まる
第2部は、我が息子を失った母親の手紙と、復讐に燃える少年。そして刑務所に送られての懺悔
第3部は冬の寒さのなかに、暖かさの種が育ち、人類への希望が歌われる」
黒人霊歌によって救われる聖譚曲だから








2001年映像見つからず、どんな雰囲気かわかるものを代用するけど
腕を繋いだ会場の聴衆が♪Auld Lang Syne(蛍の光)を合唱する
Should auld acquaintance be forgot, ... And auld lang syne! ...
(懐かしい友を忘れ得ようか…古き良き日の事までも!…)
古今東西良い事ばかり起きないが、2001年に歌われた経験が皆の心に生き続ければ
♪Auld Lang Syneも聖譚曲の一つに数えられると言えるよね