mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

甘さと喜びの美しい時は何処へ…苦悩と気まぐれと狂気の日を癒す旋律

前記事から続いた
人生今年で半世紀にしてはサイコーながら時々は怪しくもなる記憶力との闘い記事だよ
最近若年性認知症の気配が漂うため、当所内外の使い回しと再掲が見られるはず




前記事に貼った『Mozart - Figaro - Fischer-Dieskau and cast - Contessa perdono』
カール・ベーム指揮ウィーンpo. による映画版からである




ところで、ベーム爺さんって一体、何種類のフィガロ録音したんだろ
検索して数えるのメンドクサイもんで、映像に限ってみても
アルマヴィーヴァ伯爵……イングヴァル・ヴィクセル(バリトン
伯爵夫人……クレア・ワトソン(ソプラノ)
スザンナ……レリ・グリスト(ソプラノ)
フィガロ……ワルター・ベリー(バス)
ケルビーノ……エディト・マティス(ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン国立歌劇場合唱団
演出……ギュンター・レンネルト
1966年、ORF制作
TDKコア TDBA-0037

アルマヴィーヴァ伯爵……ディートリヒ=フィッシャー・ディースカウ(バリトン
伯爵夫人……キリ・テ・カナワ(ソプラノ)
スザンナ……ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
フィガロ……ヘルマン・プライ(バス)
ケルビーノ……マリア・ユーイング(ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン国立歌劇場合唱団
演出……ジャン・ピエール・ポンネル
1975年12月(音声)、1976年6月(映像)、ユニテル制作
ポリドール(現ユニヴァーサル) POBG-1015

アルマヴィーヴァ伯爵……ベルント・ヴァイクルバリトン
伯爵夫人……グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
スザンナ……ルチア・ポップ(ソプラノ)
フィガロ……ヘルマン・プライ(バス)
ケルビーノ……アグネス・バルツァ(ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン国立歌劇場合唱団
演出……ジャン・ピエール・ポンネル
1980年9月30日、NHK制作
NHKエンタープライズ NSDS-9492

http://homepage3.nifty.com/mahdes/mydkb4.htm



『Mozart - Le Nozze Di Figaro - Maria Ewing - Non so piu cosa son, cosa faccio』
「一人足りないけど、かしまし娘じゃん」と悩んだを思い出しといて
全部観た自分自身、「そないに、ベーム爺さん好きだったっけ?」と自分で自分がわからない




ベーム、そして爺さんの天敵であるカラヤンも、各々お気に入り歌手陣を抱えていた
ベームにすれば、ヴァルター・ベリーなんて、カラヤンバーンスタインにも気に入られ、腐れ縁???
30歳前のベリーがちょこっと指揮を指摘したら、「若造がワシに物教えおった~」とグチグチ言い続けるわ
ザルツブルク音楽祭ドン・ジョヴァンニ練習中には、レポレッロの罪をマゼットになするわ
(レポレッロ役のエーリヒ・クンツが、ドンナ・アンナ歌手を舞台裏で大爆笑させたのを、「ベリーが悪いッ」
爺さんの近くにいた者が、「いえいえ、あれは、クンツが悪いんですよ」と言っても
「んな事わかっとるわい」と返し、「口では、クンツに勝てんのじゃ」、ベリーを犠牲にしたそうな)
ベリーがベーム生涯最後の録音、ベートーヴェン第九にまで付き合ったを思えば、ボケ老人介護とも言える
余談ながら、ベリーの生涯最後のフイガロ舞台は、ボン歌劇場で行われた
稽古初日、スザンナとの顔合わせ時、相手の顔見て、「アハハハハ、楽しいね☆♪」
フィガロ歌い納めが、まさか日本人との共演とは思わなかったよ~」
褒め言葉であるものの、笑われた松本美和子の顔って確かに、場末のチーママ風で笑いたくなる…




当然というか、ベームとベリーは、日本まで一緒にやって来た

イメージ 1

HMVに載ってるのは、海外盤ね
ウチにあるのは、1993年に発売されたポニーキャニオン盤よ
ニッポン放送開局35周年記念企画として、ベルリン・ドイツ・オペラ1963年日本公演のうち
ヴィーラント・ワーグナー演出、ロリン・マゼール指揮のワーグナートリスタンとイゾルデだけ仲間外れして
フィガロベートーヴェンフィデリオ、ベルク♪ヴォツェックが発売された
「63年の録音なのでステレオで当たり前。
しかしライブという条件や、慣れないこけら;落としの日生劇場での実演、それもオペラを録るというのは
技術者にとって過酷な条件だったと思われる。
やはり技術の国、日本。
作品と演奏者はもちろんだが、録音も『この時代のベスト』として恥じない仕事だと思う。」




日本への欧米歌劇場引っ越し公演としては初めてとなった
それまでにも、ウィーン国立歌劇場アンサンブルの来日、NHKが招聘したイタリア歌劇団などはあったが
欧米勢は歌手や指揮者だけで、オーケストラや合唱は日本勢が担っていた
現代では当たり前の劇場丸ごと民族大移動は、ベルリン・ドイツ・オペラが最初であった
東京・日生劇場こけら落とし公演
1963年いうことは、翌年に控える東京五輪の絡む、日本の景気右肩上がり時代の文化交流の一環?
ライヴ録音聴くと、当時の日本のクラシック聴衆が純朴であったの伝わるわね
「わ~、ベーム先生の生指揮だ♪」みたいに、神様仏様を拝む感じの有難がりぶり
全身耳状態にして、本場のみが持つクラシック音楽の真髄を体感していたというか
現代でも、日本のクラシック聴衆が真面目な部類に入るのは、海外演奏家から評価されるけど
『TBS=東京ブラボーサーヴィスの略』、逆に恣意的なブーイングで自分の教養を誇示したい輩など
妙にスレちまった面も見られるのとは、隔世の感ある
某バス歌手大先生、いまは亡き某へっぽこテナー上がり総監督、この世と草葉の陰でよーく聞いとけ
前者は、あるオペラ日本初演時、「○○さんは頑張っていたから」と主演歌手を擁護した
後者は、ある舞台にブーイング飛ばした聴衆に向かって、「ブーイングは止しなさいと」命令した
前者よ、仕事頑張るのはプロとして当たり前の話、出来不出来を評価されるのも仕事の一つだよ
後者よ、ブーイングも恣意的政治的なものでなければ、感想表現の一つだよ
「君の意見には反対だ。だが、君が物言う権利は死んでも守る」
名前すぐ忘れるけど昔々のフランス人の偉いさんの言葉、それを理解する者だけだ




それにしても、フィガロ歌手陣、豪華メンバーだね
まだ40歳前の伯爵と従僕、フイッシャー=ディースカウとベリー、各々の役の歌い頃にあった
『Elisabeth Grümmer, The Countess' Solo Scenes, Mozart: Le Nozze di Figaro (Live,Tokyo,1963)』
伯爵夫人を歌ったドイツ名花の一輪、エリーザベト・グリュンマー、声は固めだが、気品充分
【ドイツ満艦飾の歌姫讃歌~花から花へ~】(2014年8月31日)
スザンナ歌うエリカ・ケートも、古臭い声には好悪分かれるでしょうが、以前書いたように
「まァまァ、我々の公演をお聴きになるため、野宿されてますの?それは大変ですね
有難いお話ですこと。お礼に、これから我々と一緒にお食事、如何ですか?」
日本人のオッサンに飯奢ってくれた、ホンマ、優しいオバハンやねんよって、腐す奴殴ったる!
ベリーと同じくザルツブルク映像に登場する、ケルビーノ役エディット・マティスは、メゾでなくソプラノだが
この数年後、やはりベームが指揮したDeutsche Grammophon盤でのスザンナより、蠱惑的で素晴らしい
脇役陣についてはいちいち書かないが、DOBが優秀な歌劇場座付歌手抱えるを聴かせる




モーツァルト歌劇って、アンサンブルの妙が求められ、飛び入りの代役には難しいという
だとすれば
1980年ウィーン国立歌劇場日本公演メンバ-にも言えるけど
歌劇場常連として歌う大物歌手、劇場座付歌手によるアンサンブルの妙というのって
ヒコーキに乗って世界中を小刻みに歌い歩く時代では、もう希少価値?
上手く言えないが、「ベルリン気質、ウィーン気質のようのなものを醸し出せる歌劇場、どれだけ?」
世界を歌い歩く歌手は空路発達する前から多くいた
ただ海路と陸路が主体ならば、そこそこ長期間拘束されての稽古と上演に臨むわけよね
専属持たないスター歌手といえど、歌劇場と一体化みたいな馴染み持てたんじゃないのかしらん
そう考えれば、DOBの1963年フィガロは伝統的なモーツァルト歌劇上演記録として、世界的に希少価値かも