mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Hear me, O Lord, I beseech Thee. 不毛の地に流れ滴る豊穣な音楽

長月に入った
世俗の皆様どちら様とも夏休みボケや夏バテを脱出しましょね




暇ツブシに最適なのは、巨大掲示板散策
○○速報に入ったが最後、サイト内外のURLへ飛びまくり、気づくと3時間くらい経っちゃう
日本の未解決事件スレなんかも面白いが、膿家ネタは闇深過ぎるあまりオカルト板以上に怖かったりするわ
膿家は明るい農村を健康的に守る農家でなく、血縁地縁とも濃く旧態依然とした家庭や地域を指す
膿家の形態は様々なれど、世界共通の始末悪さを誇る
嫁日照りでジジババばかり増え、やがて滅び行く過疎地増えるも致し方無かんべ~




膿家地帯オペラとでも表現すべき作品を、皆様ご存知?





この物語では正当なヘブライ人の人妻が、性欲を持て余したのぞき屋によって、いわれのない告発をされる。人払いをして庭で水浴する美しいスザンナ(ヘブライ語ではショシャーナ)を2人の好色な長老たちが密かに見つめていた。彼女が家へ戻ろうとした時、長老たちは彼女の前に立ちはだかり、「我々と関係しなければ、お前が庭で青年と密会していたと告発する」と言って脅迫した。

スザンナはこれを拒絶したために脅迫通り逮捕され、ダニエルという青年が異を唱えた時には混乱の内に死罪に処されようとしていた。ダニエルが2人の長老から別々に詳細を尋ねると、スザンナがその下で恋人に逢っていたと主張する木の名前が一致しなかった。1人目は彼らが乳香樹(Pistacia lentiscus)の下にいたと言い、2人目はカシの木の下にいたと主張した。乳香樹(カンラン科の低木)とカシ(ブナ科の高木)では大きさに著しい違いがあり、長老たちが虚偽の証言をしている事はその場の誰の目から見ても明白であった。不正な告発者は処刑され、美徳が勝利を収めた。

カーライル・フロイド (Carlisle Floyd) により書かれた20世紀のアメリカ合衆国南部を舞台とするアメリカのオペラ『スザンナ』もこの物語に着想を得ている。但しハッピーエンドではなく、長老は実際にスザンナを誘惑する偽善的な旅の伝道者に置き換わっている。

Wikipediaスザンナ (ダニエル書)より引用 )
1955年、米国南部の『聖書地帯』に位置する小さな村ニューホープ・ヴァレー

村の主婦たちは宿六どもが19歳の美少女スザンナに惹かれているに不満タラタラ
スザンナに両親が無く、大酒飲みの兄サムが保護者というのも、スザンナには分が悪い
そこへ村の新しい牧師オーリン・ブリッチが予定より一日早く到着した
主婦の一人がスザンナに対しての愚痴を続ける中、牧師はスザンナにダンスを申し込む

翌朝、スザンナが村の洗礼の小川で水浴びをする
目撃した男どもは欲望抱くものの、裸体をさらした不正行動を村に訴えた
牧師は、スザンナは村人全員の前で懺悔し許しを乞わなければならないと言う
スザンナに好意を持っている少年リトル・バットが、村人たちの怒りの原因をスザンナに説明する
天衣無縫なスザンナには何が悪いかわからず、「大人たちは何故、自分に罪を着せるの」、兄に質問する
サムは、「彼らは誰かが悪いと信じたいのだ」
謝る事は何も無いと言う妹に、「今夜開かれる教会での集会で自分が悪くない事を証明しろ」
勧めた後、狩りに出かけてしまう
スザンナは教会へ向かうも、牧師から罪の告白を求められると拒否し、家へ逃げ帰った

山の向こうに広がる世界への憧れを抱くスザンナ
家の表で自分の悲しみと孤独さを歌っていると、牧師が訪れ、彼女のために祈りを捧げると申し出る
スザンナは断るが、牧師が突然自分の孤独を話し始め、スザンナに迫り、家の中に連れ込もうとする
心も体も疲れ切ったスザンナは抵抗しなかった
翌朝、牧師が教会で己の罪を教会で悔やみ神に許しを乞う
教会に集合したスザンナと大人たちに、牧師はスザンナの無実を説く
大人たちは聞き入れず去って行く
スザンナも、許しを乞う牧師に「許すという意味を忘れた」と言い捨て、教会を出て行く

その日の夕方、スザンナは牧師との出来事を、飲んだくれて帰宅した兄に語る
サムは怒り狂い、牧師を殺すとライフルを手に家を飛び出し、実行してしまった
リトル・バットが駆け込んできて、村人たちがスザンナ追放に押しかけてくると告げる
スザンナは錯乱、押しかけてきた村人をライフルで脅し追い返す
家の影に隠れていたリトル・バットも銃で殴る
その後、一人自分の置かれた立場を理解して行き、自分の取るべき道を見出した
「村を去ったら、偽善者どもの勝利を認める事になる。村八分になろうと、ここに留まり続ける」




『聖書地帯』については、大賢者Wikipedia様参照




皆と身なりが違うだけで…の‘イージー・ライダー’(1969年)
たかだか半世紀前の実話で、似た話は表に現れないだけで現代も?の‘ミシシッピー・バーニング’(1988年)
南部の極右政治家の息子が「親父は生ぬるい」、極右からさらに右寄りを標榜というし、怖わワ…




女性作家フェイ・ケラーマンの推理小説『ピーター・デッカー&リナ・ラザラスシリーズ』には
第三作‘豊穣の地(Milk and Honey)’(1990年)に、米国西部の膿家地帯が登場する
新興団地の公園に置き去りされた幼女を、丘陵地帯を車で流していたデッカー刑事が発見した
幼女の身元探しをするうちに、ロスアンゼルスから遠くない近郊に辿り着き、凄惨な四重殺人開幕となる
ネタバレなるので細かい描写は省くけど
「遊び呆ける嫁が実は、婚家のシガラミ故に切羽詰まった行為を繰り返していた」
「家族は責任能力無しを考え、知的障害者の息子を事件の犯人として差し出すが
あまりにも法に無知な自分たちに愕然とし、差別用語ぶつけていた黒人弁護士に泣きつく」




もうじき、9・11から14年を迎える
2001年当時、シーク教徒をイスラム教徒と間違え銃撃したとか、その類は幼稚園からやり直せの無教養として
9・11って結果的に、「何が自由の国だ。歪んだ愛国心や不寛容を生んじまった」と感じる
ピューリタン放逐地、元から大英帝国のゴミ箱みたいで、意味不明なまでの保守性を孕む米国だけに
外国はおろか州外を知らず、いや生まれ育った町から一歩も出た経験持たず、ちんまり暮らすが珍しくない
フロイド歌劇的な世界は現代も健在の気がしてならん
もしも北米旅行して、家の前で夕涼みする独居BBAを見かけたら、「スザンナさんですか」と思っちまいそうだ
(半世紀以上前、三島由紀夫がエッセーで、米国オールドミスについて触れていた
デーヴィッド・リーン監督‘旅情’(1955年)の、ヴェネツィアへの女一人旅を侘しく思うキャサリン・ヘプバーン
そんなん珍しくないどころか、カネに物言わせる好き者ニッポン男児級豪傑も普通にいたんだってさ
てな具合に、女性おひとり様人生の歴史長く受け皿深い国に於いても、環境によって吉凶分かれるんだよ)




フロイド歌劇、欧州に於いてもよく上演されるよう
1990年代には、ベルリン・ドイツ・オペラ演目に上がり、カラン・アームストロングが題名役を演じた
劇場総支配人である演出家ゲッツ・フリードリヒの奥さんだし、美人だし、米語楽勝のアメリカ人だし、いいけどね
50歳過ぎてのフリフリ付きワンピース姿は流石に、見る目にイタかったのはご愁傷様でした
マル高の35歳超えてのBBAが、19歳の美少女不自然にならないのは、ルネ・フレミングのような童顔系ですかね
『Cheryl Studer sings Susannah "The Trees on the Mountain"』
『Cheryl Studer sings Susannah "Ain't it a Pretty Night?"』
ケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場管弦楽団CDで歌ったチェリル・ステューダー
彼女も巨体を目にしなけりゃ、透明感持つ声質が、純粋過ぎるが故に悲劇を招く題名役に似合う
ステューダーは器用貧乏な何でも屋のイメージであるが、スザンナが案外一番の当たり役とも




昨日と打って変わり、残暑らしい本日、汗かいてきた
後で水浴びするわ
誰も見たくないだろけどさ、いまだにお肌が水弾く49歳、いろんな山越えしたら男前探し旅へを自己主張しとく