mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

日陰でも大輪の花咲かしたバラの蕾

前記事から続いた
2010年の独話別館とアメブロ別荘の記事を気の済むように加筆修正したものざます





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ウィリアム・ランドルフ・ハースト(英語: William Randolph Hearst, 1863年4月29日 - 1951年8月14日)は、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカの新聞発行人。アメリカのメディア・コングロマリットハースト・コーポレーションの創業者。映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。

1920年代にはカリフォルニア州サン・シメオンの240,000エーカー(970 km2)の農場に動物園付きの絢爛豪華でやや悪趣味な城を建造(通称ハースト・キャッスル)。このころ、元女優のマリオン・デイヴィス(本名マリオン・セシリア・ダグラス、1897 - 1961)と知り合い、妻と別居して、マリオンと暮らし始める。初めてハーストと出会ったころのマリオンは、まだ10代半ばのショーガールだったが、50代のハーストはひと目でマリオンの容姿と性格を気に入り、直ちに彼女のパトロンに納まった。そして愛人であるマリオンのために、わざわざ映画制作会社(コスモポリタン社)まで設立。強引に彼女を映画女優に仕立て上げデビューさせただけでなく、自分が発行する新聞社の記事で彼女を大々的に宣伝した。しかし、その露骨なまでに愛人をプッシュする売り出し手法は大衆をおおいにしらけさせる結果となった。また、彼女自身、美人というだけであまり女優としての才能もなく、女優業よりも夜通しパーティで遊びまわることに夢中だったことも手伝い、莫大な資金をかけた割りには映画界の評価は芳しくなかった。当然、ハースト傘下以外の新聞・雑誌での評価は低く、結局大スターにはなれず、晩年はハーストの経営する新聞社の経営難により、芸能活動をすることが困難になり1937年に引退。

1974年に孫娘パトリシアが、左翼グループ SLA(Sinbionese Liberation Army, 共生解放軍)によって誘拐された(パトリシア・ハースト誘拐事件)。彼女はその後、同組織に加わり犯罪活動に没頭。悪名を馳せている。後に銀行強盗の容疑で逮捕され有罪判決を受けている。

Wikipediaウィリアム・ランドルフ・ハーストより引用 )





左下画像の分厚いコート着た爺さんが、ハースト
ハーストといえば、同志タニア、孫娘パトリシアがもっと有名かしらん
祖父さんの始めた新聞は超オゲレツな類であるが、流石にナンボ何でもネタに出来なかったと推察される




更生して警察官の嫁となった孫娘はさておき
爺さんは5人の息子もうけた嫁と別居続けたまま、34歳も若いマリオンちゃんを熱烈に愛しておりました
仔猫ちゃん好きの点に於いて、右下画像に映る喜劇王チャップリンと双璧ね




この際だ、チャップリンについて簡単に書いておく(と言いつつ、結構長い)
オンナ関係の挿話に事欠かない。長くなるので、嫁の紹介すると
・最初の妻:1901年生まれのミルドレッド・ハリス(1918年 - 1920年
未成年を孕ませてしもたせいで、頭弱い小娘とのデキ婚に追い込まれた
相当カモられての離婚を果たした
・2人目の妻:1908年生まれのリタ・グレイ(1924年 - 1928年)
リタとは‘キッド’などで共演しており、‘黄金狂時代’のヒロインに起用した事で(実現はせず)、関係が始まった
と言われるが実を申せば、娘をダシに稼ぎまくる狙いの母親と、ママンに忠実な娘であった
1924年にリタの妊娠が発覚し、チャップリンは「未成年だぜ。通報したら、お縄よ」をタネに結婚を強要された
こちらも離婚するには相当の出費を強いられた
・3人目の妻:1910年生まれのポーレット・ゴダード(1936年 - 1942年)
ただし法的な籍は入れておらず、内縁関係であったという
前の2人のような悪辣さは無かった代わり、浪費家であり、それを指摘したのが、優秀な日本人秘書
差し出がましく感じたチャップリンが叱責すると、秘書は去り、その後チャップリンが謝罪するも戻らずじまい
・4人目の妻:1925年生まれのウーナ・オニール(1943年 - 1977年)
劇作家ユージン・・オニールの娘と、財産狙いなどハシタナイ真似せずとも無問題な育ち
嫁たちの中で一番顔劣るけど、子供を8人も産んで添い遂げてくれた
・ある意味、一番忠実な妻:1895年生まれ、つまりチャップリンと同じ19世紀生まれのエドナ・パーヴァイアンス
チャップリンの映画に出演していたある時期まで、彼と恋愛感情にあった
1938年には航空機パイロットと結婚し、1945年にその男性が死去するまで続いたが
チャップリンからの出演料の支払いも彼女が亡くなる1958年まで続けられた
エドナは、「晩年に必要な医療ケアを受ける事が出来たのはチャップリンのおかげです」と彼に感謝していた
また、チャップリンは自伝の中でエドナを一貫して高く評価している




ハーストへ戻ると




マリオンちゃんへの熱愛ぶりたるや
チャップリンも招かれた豪華ヨットでの豪勢なパーティーの夜、彼女に色目使った客人を射殺した?
あくまで風聞ながら、とにかく嫉妬深い~
で、その嫉妬深さたるや


オーソン・ウェルズが監督・製作・脚本・主演を務めた‘市民ケーン’(1941年)
インチキ新聞を皮切りにあらゆるメディア牛耳る怪物ハーストへの抵抗作品
マリオンちゃんの可愛い某所につけた『バラの蕾』をパクったくらい
(可愛い某所?Rosebud映像から想像してみろ。一応は淑女なアタクシにゃ書けんわ~)




怪物爺さんは血管切れそうなまでにブチ切れ
ハリウッドは共同責任取らされるのが恐ろしくて、ウェルズを追放しちゃいました




…と、マリオンちゃんにとって何かと評判いくない!結果へと繋がるのですが




「ハーストはひと目でマリオンの容姿と性格を気に入り」
実は、とても優しいコだったのですよ




1930年代の大恐慌では、流石の怪物ハーストにも点火し、素寒貧の危機に立たされた
それを見たマリオンちゃん、わんさか頂戴した宝石類など売り払い、ハーストを助けた次第
爺さんが全身全霊賭けてアレコレ面倒見てくれた恩返しする番を心得ていたのね




ハーストとの間に生まれた双子の姉妹について、ハーストともども世間に隠し通していたが
豪奢なハースト城には双子専用の育児室が存在し、せっせと良妻賢母していた事実が、後年判明した
(娘たちは父親の死後、然るべき家庭に養女として迎えられた)




ハーストが昇天(地獄落ち?)した際など、生前は寄り付かなかった正妻の息子どもと対照的に
息子どもが財産と一緒に取り上げるまで、爺さんの亡骸に寄り添い見守っていた




…来年人生半世紀を迎える性格いくない!BBAを泣かせるマリオンちゃん、心温ませる女性でしょが




陽の当たる場所を得て、スポーツ選手や芸能関係始め著名人とお近づきになれたり結婚出来たりしても
結局、相手の見てくれ(社会的地位や財産含む)に釣られる、でポイされる率高い、てな女子アナ系や
この際デキ婚でも赦すから虚弱な子供の面倒少しは見ろ、でも親任せ、離婚、てなサエないモデルもどき
(ついでに、次の綺麗どころ狩りに出てる元亭主、子守りはオメエもじゃ
そのうち親父の母国の守護神さん怒らせて、球投げならぬ石打ち刑下るぞ、サエない子と仲良く
と思っていたが、子供に罪は無いものの、どう考えたって托卵が理由?)




こんな頭の中身から足元までユルユル左に巻かれている小娘どもと比べたら
芸術の才能ゼロでも、ドモる傾向にあっても、嘲笑の雨にも負けず冷たい世間の風にも負けず
困ったちゃんな爺さんパトロンに最後まで尽くしたマリオンちゃん、女神様ですってば