mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

禁じられた音楽は、魂の不滅を伝える楽譜

30日だ。特養の女王様への高額介護サーヴィス費が振り込まれる。通帳記入に行こう
その前に、2010-09-19 08:17:00アメブロ別荘記事ペタリ



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たまたま‘ミッシング’(1982年)について思い出したら




「♪人生よありがとう、そんな歌あるねん。題名は前向きやけど、歌の生まれた背景は悲劇そのものや」
NHK-BS番組で取り上げられた歌とちゃうか(番組内容を説明)」
「それやそれや」
「今度再放送あるよって、録画しとこか。どお?」
「頼むわ~♪」




7年前の友人との会話も思い出しました
ちなみに、わたしは約束守り、おまけつきの録画VHSを渡しておりますぞ




NHK-BS番組というのは
世紀を刻んだ歌 『人生よありがとう Gracias a la Vida』 ~南米 歌い継がれた命の賛歌~





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1970年代に中南米諸国で続いた軍事クーデターや軍政、背景が複雑怪奇
そもそも年齢的にピンときません
アジェンデ大統領バスク系だったのか(何となく納得)





~ 『人生よありがとう』という歌がこれほどの力を持ったのは、文字通り命を賭けた闘いという極限の環境にさらされたからなのかもしれない。毎日のように仲間 が暴行、拷問され、命を落としていき、明日は自分かも知れない。そうした中で、「生命への賛歌」である『人生よありがとう』は、大きな輝きを放ち、希望を 見失わないための力を与える歌となったのだろう。それにしても、捕らわれ、強制労働させられ、拷問を受ける中で、「人生よありがとう こんなにたくさん私 にくれて‥‥」と歌う気持ちは、どのようなものであったか。~

( 【番組紹介】NHK-BS2 2003年9月21日再放送 世紀を刻んだ歌 『人生よありがとう Gracias a la Vida』 ~南米 歌い継がれた命の賛歌~より引用 )





どのようなものであったのでしょう…




ふと思ったのは…
1978年W杯。これまた軍事政権中のアルゼンチン開催。国威の高揚狙い、無論
準決勝リーグのどっかにズルあったと聞いたような聞かなかったようなは置き
もしも開催国が優勝どころか何かヘマやってたら
大会終了後、時を図って、チームがスタジアムの壁に埋められた
…まさか、ね?



♪人生よありがとう(
Gracias a La Vida)
1966年発表のヌエバ・カンシオンの曲に分類される曲で
チリのシンガーソングライターのビオレータ・パラ最後のアルバムに収められたが
パラは1967年2月5日、自ら命を絶ってしまう
その後、1970年に政権樹立したチリの人民連合政権で、この歌はヒットし
1973年9月11日のピノチェトらによるクーデター後も、弾圧されていた反独裁勢力に歌い継がれた




Graciasは、英語のGrace
『神の恩寵』を意味する言葉でもある
NHK眺めながら、「深い歌や…」




なお、アルゼンチンW杯準決勝
ペルーを抱き込み、隣国の宿敵ブラジルを泣かせたんじゃなかったっけ???
王国も不運だが、1974年には隣国の宿敵(西)ドイツに泣かされたオランイェ、もっと不運だったりして
2大会連続で開催国との決勝なんて、クジ運悪さでは欧州随一を通り越し、世界最強の不運国かも~
…生きて帰れるだけ、Ik dank het leven
!(グーグル翻訳頼みの蘭語




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