mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

A Boy Like That…I Have Love(あんな男を…愛してるの)


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《WALTYクラシカル》跡地から持ち帰った、レナード・バーンスタイン直筆署名入り感謝状
「大阪《ワルツ堂 堂島店》の皆々様へ
ウィーンpo. とのベートーヴェン交響曲全集売り上げ貢献あざ~す☆
日本の音楽愛好家の皆々様が楽しんで頂けたら、オラ幸福ね♪」




バーンスタインは生涯に7度来日した。最初の4回(1961年、1970年、1974年、1979年)はニューヨーク・フィルを率いて。1985年に は8月上旬に前述の「広島平和コンサート」を開催し、9月前半にはイスラエル・フィルを率いて来日公演を行った。最後(1990年)はPMF、それに続い てロンドン交響楽団を率い、東京で2回の公演を行った。しかし、バーンスタインの病状悪化が周囲に知らされず、2回の東京公演以降に予定されていた演奏会 をキャンセルし、途中でアメリカに帰国することになる。この一件は、7月10日の演奏会に天皇が招待されていたことや、自作(「ウェスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス)を弟子の大植英次に指揮させたこともあり、観客の一部と主催者との間にトラブルを起こす事態にまで発展した。

Wikipediaレナード・バーンスタインより引用 )





レニー爺さん、アンタのせいで、「折角のチケットが~(号泣)」、何人か知ってるぞ
いや待った。公演スポンサーの、バブル経済で調子こいた野○證券のせい?
野○證券いうたら、その後、キャンセル魔に手を出し、エライ目を見て笑われ者は置いといて
昔っから、トシヨリ指揮者が日本に来ると、それから短命というジンクスある
(EXPO70での来日前夜にお呼びかかったジョン・バルビローリは、何だったんだ???)
レニー爺さんのおかげ様で、ニッポン=指揮者の登竜門ならぬ鬼門が更新されたわねーだ
てか、大植さんが、当時は無名だったし、トンだ災難わかっとんか~




mathichenさんは幸か不幸か、マイケル・ティルソン・トーマス指揮公演しか買えなかった
けど、大阪シンフォニーホールで、五嶋みどりちゃんのシベリウス協奏曲を聴いた翌日
旧大阪フェスティヴァルホール公演、トーマスが代わりに指揮じゃ、世俗は「(゚⊿゚)イラネ」だらけだもんで
グラズノフ協奏曲も聴けたわ、有難うさん♪☆








ウチにあるVHSより保存状態良くて、これまた有り難や
ハンフリー・ボガート最後の奥さん、ローレン・バコールが、「可哀想なジェニー云々」
レニー爺さんの隣に座る梅干し婆さん、爺さんのママなんだけど
そりゃ可哀想でしょ、息子がその昔、妹に…を目撃しちゃったんだもん
オトコに手を出す方が救われると思う(多分)








還暦過ぎて若いイケメンと踊れる、役得と思うたのやら
ドイツの偉大なるメゾ・ソプラノに宴会芸させるとは、爺さんにそんだけの価値あったにしとこ




…一体全体、何言いたいんだ?

バーンスタインからの感謝状を持ち帰るに相応しい」
裏話にまで通じるアタシがワルツ堂遺産相続者に適任、その提示と証明











…セスクが、ヴェンゲルさんにイジメられてるようにしか見えん、意味不明な恨み覚える爺さんであるものの…




あ、もう一つ…
高校1年の時、歌のテストで、♪トゥナイト歌わされた恨みもだ
女子高よ…オトコ抜きで歌って、何が楽しいっての
音楽の教科書を編纂したのが、畑中良輔
魔笛の合唱、ビートルズの♪イエスタデイをゴッタ煮とは、何考えとったんじゃ~




記事題名は考えるの面倒なので、コチラより