mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

すべての人の心に花を~戦火の下で育まれた絆~

2013-02-07 16:17:18 アメブロ記事より









サンケイ特派員だった近藤紘一氏
ここウェブリ休憩所( * 原文のまま)他で何度も取り上げました
1点だけ、近藤氏晩年の出来事に敢えて触れないでね
真相は闇の中なので、書かなかったの
晩年の出来事とは?




妻ナウさんが、娘ミーユン留学先のパリで、アパート衝動買いについては
‘パリへ行った妻と娘’に書かれており、皆様ご存知かと思います
「近藤氏の晩年、妻と娘の住みやすい場所として、妻をパリ移住させたら
ナウさんはそのアパートに、夫に内緒で、前夫ビン氏と娘の3人で暮らして
それを知った近藤氏は、サイゴン女房を心から愛していた故に気落ちした」
という説があるのですわ




近藤氏早世後、ナウさんのその後について
荏原に引っ越して1994年頃まで料理教室など営んでいたとも言われ
前夫と焼けボックイ?は、少し合点がいきませんよね?
後夫の存命中、外国でコッソリ同棲自体は
娘監視のため渡仏を口実にすれば、考えられなくありません
実は、サイゴン時代、近藤氏と暮らし始めて以降にも、入籍するまでは
時々、郊外の別荘で、前夫と逢い引きしていたといいます
しかし、そんなにまで前夫とより戻したいのであれば
1986年1月に後夫と死別から10年近くも、復縁希望前夫との別居婚が?
後夫の喪に服する期間を日本で設け、通い婚の形を取るにしたって
数年以上も東京とパリ往復を続けるのは、経済的にも厳し過ぎますがな
億万長者の後家さんでもなければ、前夫が億万長者でもないのですよ




前夫ビン氏は上流階級出身で、旧南ベトナム政府の役人
20歳くらいのナウさんと結婚したのは、40歳近くなってから
フランス人妻に逃げられ、息子2人持つ、早い話、バツイチ再婚
ナウさんの著書によれば
下町育ちの妻も一時は、上流マダムとしてぬくぬく暮らす日々
ところが、夫はゴ・ディン・ジェム政権に睨まれ、パリへ亡命
秘密警察に睨まれた妻は一転、下町で世過ぎ身過ぎに追われたそう
おカネ持ち階級とは薄情なもの、誰も助けてくれなかったとのこと
夫の帰還後も仕事続けたのは、「いざという時は夫よりカネが頼りになる」
夫婦は、1968年のテト(旧正月)攻撃の直後別居し、その後正式離婚
近藤氏の回想によれば
ビン氏がベトナム亭主の甲斐性とかで、オンナ遊びが病気だった模様
お互い愛し合っていたものの、このままでは血の雨降ると思って離婚とか
円満協議離婚であり、ビン氏はその後も、前妻の実家に出入り続け
そこの居候、後のニッポン亭主とも、妙に気が合って男同士の友情結んだ
ビン氏はサイゴン陥落後、旧南役人のご多分にもれず、尾羽打ち枯らし
合法出国後パリ移住、再々婚しても、経済的には厳しい生活だったよう
‘パリへ行った妻と娘’の中に、新旧亭主の再会場面あるが
ビン氏が擦り切れたオーバーを脱ぐ所を見ても、余裕ない暮らし向き知れる










2000年でなく2001年?正確には忘れました
産経新聞に連載された【日本人の足跡】シリーズより
撮影場所は、ナウさんの自宅とありますから、例の衝動買いアパートでしょう

イメージ 1

当時、ミーユンは年下フランス人夫と息子との生活ながら
ベトナム人は、子供は一生親から離れる気にならないらしいので
スープの冷めない距離で、相変わらずママンの圧政下にあったと思われます




このアパートで、ナウさんが後夫の存命中、前夫と娘の3人で暮らしたのか?
前夫が何らかの事情を抱え、行き先ないので、前妻が自宅に居候させた
これなら、何くれなく面倒見の良いナウさんのこと、十分考えられますが
ミーユンが絡むと次の2点により、十中八九あり得ませんね




・ミーユンは、留学中の止宿先ルロワ家で暮らしていた
ルロワ家では、早いうちから、ミーユンは長男ピエールの嫁と考えていた
ミーユンの未熟ぶりを考慮、自立心持たせたい近藤夫妻とは対照的に
「女の子が職業持つ必要なんてないわ。大学にノンビリ通わせましょうよ」
ルロワ夫人は、ミーユンの秘書学校進学にも難色を見せたくらい保守的
しかも、「若い娘が、恐ろしいパリで一人暮らし、滅相もない」とくれば
近藤家側が提案した、ミーユンが母親のアパートで一人暮らすなど?
ピエール坊やの過保護ママンも最終的には
坊やが週末はミーユンとアパートで過ごす、不道徳な提案に同意するも
原則は、「アパートには、週末だけ。平日は、ルロワ家で暮らす」でした
となれば
縁薄いながら、ビン氏がミーユンの実父とはいえ
母親の不道徳には、個人主義のお国柄、目をつぶるとしても
お互い新しい家庭持つ元夫婦が、年頃の娘を交えての同棲なんて?




・ミーユンにとって父親とは、近藤氏である
ミーユンは、生まれてすぐ母方の実母に引き取られた
ベトナムの慣習で、娘の授かり物を実家のジジババが取り上げるらしい
ナウさんも、ミーユンは大切な一人娘とあって
意識的に娘を父親に近寄らせなかったのかもしれないが、その結果
ミーユンはいつも、実父に他人行儀に近い態度で接するようになった
近藤氏と再会果たしたビン氏が辞去する折り
ビン氏が娘に言葉をかけ、ちょっと抱き寄せ、頬ずりするような仕草すると
ビン氏には珍しい態度であり、ミーユンは戸惑ったにせよ
ミーユンは父親の言葉に対し、「ウイ・ムシュー」とぎごちなく答えたのは?
陽気に笑いつつも、目には涙が浮かぶ、寂しそうなビン氏の言葉通り
「ムシューか。そうだな、ユンにとって俺はもうムシューだな」
ミーユンは彼女なりに、実父への情を抱いているのではあろうものの
去る者は日々に疎しというか、ミーユンの人生に根付いた父親は
馴染み少ない実父より、サイゴン時代からパパと呼んでいた継父である
ベトナム人は面子を非常に重んじる国民性。ルロワ家の手前も当然考える
そんな彼女が、実両親といえど、パパを裏切る形で暮らすなど
ましてや、娘にも加われなど
いくら頭上がらないママンの命令でも、許す道理が見られない




真相は闇の中です
先述したように、何らかの事情でビン氏が前妻宅に居候はあり得ます
たぶん居候が事実で、ただ近藤氏との間に少し行き違いが生じ
それが間違って、近藤氏亡き後の日本に伝えられた
という所だと思いますね




以上、昨日(2013年2月6日)のウェブリ休憩所記事【戦火の下で育まれた絆】より




『近藤紘一さんを好きだった方いますか?』(発言小町
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0315/230133.htm
ちょいとトピ主さん、“マイドゥング”は…MY-DUNGと書いて、“ミーユン”でしょが~
トピ主さん、ひょっとして、昔々、東京のリセで数学教えてた?
「きょうもマット(数学)の先生、ミーユンちゃんのこと、マイ・ドゥングなんていった」
何?ミーユンだって、正調ベトナム語ではない?
確かに、正調ベトナム語、つまりハノイを中心とする北ベトナム地方では
『D』という文字が、英語の『Z』と同じ発音になり、MY-DUNGは“ミーズン”と発音されるわね
ただ南部の人たちは、何かと洗練され、優雅であることを好むというでしょ
『Z』の発音なんて田舎っぽく、耳触りで、とても口に出来ず、勝手に濁点を取り
アオザイ→アオヤイ、ミーズン→ミーユンてな感じで、柔らかい『Y』に崩して発音するやん
「そんなお名前の人、いないッ」、ミーユンちゃん怒るよ~
MY-DUNGは何ですか、ベトナム語では『美しい』『優しい』の意味で、『優美』みたいな言葉になるんだっけ?
田吾作と同じにされたら怒るの当たり前だ
ミーユンちゃんの日本国籍申請書類を見た、法務省事務局員よりは罪が軽いけどね
ミーユンという美しい名前を、「こんな名前、日本人として通用しません」
その場でユンに改めて書き直したら、受け付けながらも「これも、そうない名前だなあ」と渋い顔
両親が命名し、ジジババが喜んでくれた、愛着持つ名前を、赤の他人が命令して変えるんかい?
やだねぇ、島国人種は。自分が逆の立場になったらが想像出来ないんだからさ
逆の立場はさしずめ…
ヒロシさんがドイツ国籍申請の際、「ドイツ人らしく、ディートリッヒにしろ。耳触りは似とるやろ」との命令
どおよ?「はい、そうします」と素直にニコニコ笑って受け入れられるか?




…上段だけで長ーくなりましたが
今日もそうですが、当所で上位に入る検索キーワードは、『近藤紘一』とその関連
近藤氏が亡くなってから四半世紀以上経つのに
近藤氏そしてサイゴンから来たナウ夫人とミーユンお嬢様に、皆それぞれ思い入れ持つんですね
サイゴンから来た妻と娘’、原作は1978年出版、NHKドラマ化は翌1979年11月と、30年以上前
いまの50代以上、ベトナム戦争をある程度リアルタイムで見聞きした世代が特に?
1966年生まれのmathichenさんの場合、ドラマ化当時でまだ13歳
それが、日本移住当時13歳だったミーユンに親しみ持つ理由




近藤氏の親友だった元NHKアナウンサーの吉川精一氏によれば
妻と娘シリーズに描かれるナウさんとミーユンはどうやら、彼女たちの素顔そのままでなく
近藤氏独特の些か誇張のこもったユーモラスな表現であるようです
とはいうものの、ナウさんとミーユンの本質を損ねない範囲内と思います




「近藤氏の晩年、妻と娘の住みやすい場所として、妻をパリ移住させたら
ナウさんはそのアパートに、夫に内緒で、前夫ビン氏と娘の3人で暮らして
それを知った近藤氏は、サイゴン女房を心から愛していた故に気落ちした」




この説は、2010年頃に文芸雑誌で発表されたんですかね
昨日のウェブリ休憩所、本来はその次の記事が本題でしたが
本題書く直前に何となく、「近藤一家晩年の話、いま書きそびれたら、機会が訪れなさそう」
真相は闇の中でも、アタクシの推測が正鵠を射ているだろうからね、書いとかないと気が済まなかった
近藤氏の全著書を読破しておらず、関連本も同じなので、頭から否定しては見落としあるかと、一応肯定し
その後に、消去法で考察し、「これは、考えられない」との結論に至りました




「世界一、気性の激しい。そして、世界一、優しい」と言われるベトナム女性
男勝りであっても、しとやかな面も備えているという意味でしょう
亭主に包丁突きつけてケンカ売る女丈夫ぶり発揮しようが、男の面子守ってやる気配りも見せる
どっかの島国がとうの昔に忘れ、一丁前の顔しながら行かず後家増殖中、とは対照的な世界ですなは置き
「わたし、口先七分で、それほど不良じゃないのよ
他の人と一緒の時も、いつもあんたのことを考えてるのよ
ユンが結婚してしまえば、わたしにとってこの世に残るのはあんた一人ということになるわ
あんたが病気になったり、死んだりしたら、どうしようかな」
祖国を喪い、愛する一族も次々に失い、友人は世界に四散し、夫の仕事の関係で旅ガラス生活であり
結局は根無し草の頼りなさを、めまぐるしい旅行や日々の雑事で紛らせている
ナウさんは不良マダムを自ら口にしながらも、何かと人生好転させてくれた近藤氏に感謝していました
仮に、前夫ビン氏に未練持ち、再び貧乏暮らしに落ちぶれる覚悟で、より戻したいのであれば
ビン氏はかつて、居候と入籍すると決めた前妻から、「もう男と女の関係はお終いよ」と引導渡された際
「とにかく、これまではともかく、俺と彼女は、これから、本当にただの友だちだ。信じてくれ
あんたは俺の親友だ。俺だって親友の面子をつぶすような真似は絶対にしないから」
近藤氏に誓っているを見ても、面子を非常に重んじるベトナム人なら
コソコソ同棲せず、後夫に堂々と離婚切り出して彼の面子守ってからと、物事の順序守るでしょうね








世界中で翻訳され、世界中でその国の言葉で歌われている歌
たぶん琉球と似ている国、ベトナム人が一番、琴線に触れるんじゃないの?