mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

蹉跌や挫折、そして贖罪の日

新着載らない、カテゴリ登録されない、検索に引っかからないetc.の虚弱体質Yahoo!ブログながら
目視チェック、仕様変更etc.にお仕事熱中症過ぎて、間借人が頭クラク熱中症?のスポナビ様と対象的に
天才以上の天才を野放しにしといてくれる慈悲深さが、最大の取り柄である




本日は台風接近でお日柄も最悪、暇潰しにはサイコーのため
FC2別館、アメブロ別荘、ウェブリ休憩所の記事を使った四部作をば
Yahoo!独話別館内容その他を使った補足するが、基本は原文そのまま転載するでやんす
ネタ元は、本館での【ニッポンから来た夫と父親の奥深い人間愛により】(2012年10月16日)より
(ネタ元だって、同年4月19日の同題名のアメブロ別荘記事を下敷きにしたものだけどさ)




そいじゃ、第一部。作成日時 : 2013/05/11 18:09のウェブリ記事から









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近藤紘一著‘バンコクの妻と娘’ですね





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前作の‘サイゴンから来た妻と娘’では
1974年夏、近藤氏がサイゴン特派員から東京へ帰任後
妻と娘がサイゴン生まれのサイゴン育ちのため
親に絶対服従の超スパルタ教育にビビッたり
飼っているウサギちゃんが俎板の上の食材として登場したり
日常生活での度肝抜かれるような小事件を通して
アジア人同士のカルチャーギャップが描かれました




1978年晩秋、近藤氏は社命により、バンコクへ赴任しました
東京に残してきた『我が娘』、妻ナウさんの連れ子ミーユン
彼女を見守る姿と心情が描かれたのが、‘バンコクの妻と娘’です




「ユン、いやだよ。タイなんかに行きたくない」
「一緒に来るのがいやなら、お前、一人で東京に残れ」
「いいよ、それじゃ、ユン、寄宿舎で暮らす」




慣れぬ内勤にウンザリ、晴耕雨読を本気で考え始めていた
北極勤務でも喜んでの近藤氏にすれば有難い限りの外勤
サイゴン女房も、「タイはベトナムに近いんでしょ」、異議を唱えず
すっかり東京びいきになっていた娘が、猛抵抗した
バンコクにはリセはないんだろう」




思春期を迎える頃に、ベトナム人として成長する環境から切り離され
根っからの○○人にもなれぬ環境に置かれた、根無し草ではある
ただ元根を失っても、脇根をどこかに根付かせるは可能だろう
出来るだけ選択肢は幅広く多くした方がいい
ミーユンは、祖国の旧宗主国への憧れもあって、リセを希望した
とにかくフランス語を詰め込んでやるのも、選択肢の一つである




バンコクには、正式なフランス語関係教育施設はなかった( * 当時)
低学年用の非公式リセと、タイ人を対象にしたアリアンス・フランセーズ
この2つだけで、東京のような正式リセは存在しなかった
「アリアンスでフランス語学習を続けさせ、不足分は家庭教師でも」
と、父親は考えていたが、これはやはり娘の将来に問題あるのみならず
『自分の世界』も、娘にとっては重要な問題と気づかされた




親の勤務により各国を転々とする宿命を背負った子供は、少なくない
だが、ミーユンの場合、母親の再婚と移住により、ベトナムでの交流を失い
加えて、事実上祖国を喪う( * サイゴン陥落=南ベトナム消滅)と
異常事態に見舞われたといえる
肝心の父親自身が、東京で頼れる人間社会は希薄なので
娘は、近所の遊び友だちも何も持てず、頼れるのは両親しかいないが
子供自身の築いた、通常の人間世界がないのも、これまた異常な話である
ミーユンにすれば、東京のリセで築いた交流関係が唯一、『自分の世界』
言葉も文化も何もかも知らない異国の地で、4年間、必死で築き上げてきた
またも見知らぬ異国で、一から始める、どれだけ厳しいだろう
親の身勝手で、娘の『根幹』にかかわる大事なことを奪っていいものか




17歳になっていたが、成育環境の影響から、幼稚な面が多いミーユン
親離れさせる段階の第一歩となるか?
近藤夫妻は半年間のテスト期間を設け、娘を寄宿舎に入れた
1979年夏、二度目の落第
ミーユン自身が実は寄宿舎嫌いもあるが
上級クラスが再開したバンコクの非公式リセに転校させた
少人数の生徒を準個人教授する格好の、いわば寺子屋スクール
人より著しく遅れているミーユンの学習環境には最適だろう
東京の先生たちも、太鼓判押した
実際、翌年、ミーユンは無事、進級を果たすことになる




父親が娘を憂慮する日々に、終わりは来ない
フレンチ・スクールの他、英語学校、両親の知り合いの家の子など
娘の新しい交流関係は築かれていったものの
「ほら、もうこんなにお友だちが出来たぜ」
娘が嬉々として見せるフレンドシップ・ブックを目にするにつけ
父親は『過去』を振り返り、暗澹たる思いにとらわれる
フレンドシップ・ブックとは、友だちからの寄せ書き帳であるが
外国系スクールに通う子供の場合、卒業式限定とは趣が違う
ごく一般の公立校卒業や、私立卒業でも、同じ国に住む友だちならば
必要とあればいつ何時でも話し合える友だちが相手だったら
何もその写真や親愛の情を示す言葉をノートに凍結する必要はあるまい
フレンドシップ・ブックには
人格形成期に一箇所に定着出来ず、各国を転々とする子供たち
生涯の親友持てないかも。一時期の友だちでさえ、不可避の別れが付き物
そんな不安定な子供たちの、何やら深い思いが込められているのだろう




近藤氏の前妻浩子さんは、ミーユンと境遇が似ていた
外交官の父親に伴い、人格形成期に各国を転々として成長した
片親と血縁の関係ない点も、ミーユンと境遇を一にしている
ミーユンと違うのは、十代半ば過ぎ、突然、一人で帰国したこと
旅から旅への生活の気疲れ
新しい生活始めるたび、過去がたちまち、現在と隔絶した非現実的なものに
純粋で几帳面な性格の浩子さんにとって、旅がらす生活は
「私はフランス人でもない。スイス人でもカナダ人でもない
おまけに、自分の国である日本のことも何も知らないのよ」
自分が根無し草でしかないを実感させる寂しいものであった
日本で大学に入り、それまでの埋め合わせすべく、日本文化を吸収し始めるが
大学の同級生である近藤氏と結婚したのが、ある意味、不幸の始まりだった
彼女はもう動き回りたくないのに、夫はフランス留学するという
2年間の期限を提示し、受け入れられるも、現実は甘くなかった
パリ大学の大学院で、中断していたフランス哲学研究を再開したら
「何も知らない、何もわからない」が顕在化する
語学力が仇となるというか、日常の雑事も一人で背負い込む
妻の葛藤と負担を見抜き思い遣るには、夫は若過ぎた
夫が気づいた時には、すでに遅く、疲れ切って、病床に伏し
死の間近、病床に取り寄せたフレンドシップ・ブックを広げながら
「こんなにたくさん友だちがいたのに、結局は一人も残っていない
みんな世界の方々に散り散りになってしまった」
深い孤独感を訴えていたまなざしを
近藤氏は生涯、忘れられなかった




父親は娘に
「いまはいい友だちでも、長い間会わなければ、友情は色褪せていく
それは仕方ないことなんだよ
だけど、お前が本当の誠実さを持って付き合えば
このうちの何人かは、たとえ遠く離れて住んでいても
お前の中で一生涯、心の通う友だちとして生き続ける
そうした本当の友だちを持つことはこれからのお前にとって
とても大切な財産になるんだ」




父娘揃って一目惚れした、『黄金』を意味する名前持つ、カンチャナさん
あるホテルのラウンジのウエイトレスで、22,3歳の飛びっ切りの美人
娘の方は思い切って頼み、『姉妹』になってもらった
このカンチャナさんも、ミーユンの成長に一役買ったといえる




カンチャナさんは一頃、目に見えて憔悴していて、寂しげな様子
とうとうミーユンがわけを尋ねると、恋人に振られたばかりだとのこと
相手はいい家の息子で、2年間付き合い、結婚の約束もしていたのに
ほんの10日ほど音沙汰ない間に、米国留学帰りの金持ち娘と結婚していた
「ひどい!信じられない」、ミーユンは怒り、父親も同感するが
「でもね、私が馬鹿だったの
この国ではね、お金持ちの世界と、私たちの世界は全く別なのよ
そんなことわかっていたのに、好きになった私の方が間違っていたの」
悲しそうに笑い、その後
「あなたは本当に幸せなのよ。ユン、自分ではまだわからないだろうけれど」
ミーユンは父親に、「彼女、可哀想だなァ」。それに対し、父親は娘に
「うん、英語の学校にはいろんな人がいるかもしれないけれど
東京でも、ここでも、リセの仲間は皆お金持ちの家の連中だろ
外交官や大きな会社の偉い人の子供たちがほとんどだ
でもね、それが当たり前の世界だと思ったら大間違いなんだよ
この世の中には、不幸なことがいくらでもある
悲しい人はいっぱいいるんだ」
ミーユンは家に帰った後も考え込み
翌日、貯金箱を壊し、大きな花束を買い『お姉さん』を慰めに行った




近藤氏が、学校の授業サボって、裏山の空き地で読書や、麻雀していた頃
ナウさんは、世の荒波に揉まれながら、地雷を避け、生存競争に懸命だった
夫は東京の一流大学卒業証書を持ち、妻は10歳くらいで学校辞めさせられた
思えば、全く両極端な夫婦ですね
お互いそれぞれ『スネに傷持つ』場合、両極端はむしろ潤滑油といえるでしょう
相手が絶対に入り込めない部分持てば、価値観の相違だ何だは噴飯物
外から見える、相手が持たないものを、お互いに補えばいいのですからし
同じ価値観でも、ちょっとの食い違いで、話し合いも出来ず大騒ぎする連中
彼らが如何にガキンチョでおバカか知れますよね




ミーユンが絡むと、「仏さんもよく考えたもんだ」と思います
旅がらす稼業の異邦人を否応なく、父親に持ってしまったけど
そうでなければ、高等教育とは無縁のまま、貧乏暮らしだったかも
「ユン、ママンと結婚したパパを赦せよな」
父親はバンコク赴任直前、娘を根無し草にした詫びを入れたけど
一人の娘に幸福つかむ道を与えてやり、その娘が幸福になることで
近藤氏は、浩子さんへの贖罪果たしたともいえませんかね
父娘になるべくなった二人という意味です




妻と娘シリーズ読み直すたび
転勤族だけでなく、離婚家庭にも当てはまる、親が子供に及ぼす影響力
悪影響及ぼしたら、親はどう子供に償うかについて
しばらく考え込みます