mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

傾国美女が鳥であれば:「墓場鳥とも呼ばれる、夜鳴鶯」

昨日の記事内に
「特需終了後には、宴の後片付けと帳尻合わせが待ち受けている
『五輪 廃墟』をAhoo!検索してみましょ、出るわ出るわ、五輪なんて亡国のカネ食い虫が現実とあって
オッフェンバックの喜歌劇♪美しきエレーヌにも、『五輪やれば、国は素寒貧♪★』の歌詞が聴ける)」




オッフェンバックの喜歌劇♪美しきエレーヌ(フランス語:La belle Hélène, ドイツ語::Die schöne Helena)
Unitel社製作のドイツ語映画版を、1995年頃、NHK-BS2で観た
件の歌詞がどの場面でかは忘れた。歌手は、よく覚えてる





Here is another extraordinary song by the tsar Ivan, from 1968.
Ivan Rebroff (born in 1931, real name Hans-Rolf Rippert) is a German singer of Russian origin with an extraordinary vocal range of four and a half octaves. He sings in German, Russian, French, English, Afrikaans, Italian and Greek.
This athlete (195 cm and 115 kgs) is famous for singing Russian folk songs but also performs opera, light classics and folk songs from many countries. His stage performances have stunned audiences with their gusto, and occasional consumption of a fine red wine. He has received in his career 49 golden records.
Rebroff describes himself as international, the "connection between 'East and West'" and lives on the Sporade Island of Skopelos, Greece. Ivan has performed over 7 200 concerts in his career in front of 5,8 millions of spectators, including a two year 7 day a week stint at the French opera, singing, among other greats, "Fiddler on the Roof". Being well in his 70's, in a recent Australian tour, Ivan still performed 12 shows in 14 days!
Enjoy!




イヴァン・レブロフ。ロシア系の祖先を持つ、ベルリン出身のドイツ人歌手
Die schöne Helenaでは、ジュピター神殿の神官カルカスを演じていた
白熊に相応しいバスの低声から、何とま~女声のソプラノ音域まで、4オクターヴ半の音域を誇った
日本人には、カルロス・クライバー指揮DeutscheGrammophon録音のJ・シュトラウス2世の♪こうもりでお馴染み
通常、男装したメゾ・ソプラノが歌うオルロフスキー公爵を、裏声で披露した芸達者ぶりだった




…亜熱帯モードの中、毛深い生物体見たら、夏バテ酷くなりそうだ
美女なら、薄化粧ギャル、厚塗り乳母桜、どちらも可なので、モデル美女系歌手へ行こう




モデルをめぐって

初演当初からこの作品に出てくる人物たちについて、誰をモデルにしているのかという様々な憶測をたてられた。特に近年にいたるまでタイトルのエレーヌのモデルではないかと噂された女性に、ナポレオン3世の皇后ウジェニーがいる。第二帝政を代表する美女としてその名をはせた皇后は、スペイン出身ということもあって、マリー・アントワネットが「オーストリア女」とフランスの国民から憎まれたように、オッフェンバックがこの作品を作曲した頃には「スペイン女」と呼ばれて、国民の人気が無かった。そのため、ありとあらゆる悪意のある噂を流されていた。その中の1つが不倫をしているという噂であった。この噂は皇后の敵達によって散々吹聴されたものであったが、実際のところはまったくの事実無根であることが、現在では証明されている。夫ナポレオン3世は無類の女好きとしてヨーロッパ中で有名であったが、皇后のほうは信心深く、夫婦間の貞操を固く信じる女性であった。このことからも、近年の研究ではエレーヌのモデルは特定の個人ではなく、結婚はしたものの、政略結婚や家同士の釣り合いを考えたものであるが故に愛情はほとんどなく、夫婦それぞれ勝手気ままに愛人を作っていた、当時の上流社会の人々であるという説が一般的である。

Wikipedia美しきエレーヌより引用 )

Anna Moffo sings "Die schöne Helena"

All-too-brief video footage of Anna Moffo singing the title role in Offenbach's operetta "Die schöne Helena" (La Belle Hélène)with Josef Meinrad as the King of Sparta, Menelaos. From 1974.




【君知るや南の国。オトナのお伽話は良薬より苦し】(2014年5月26日)
「アンナ・モッフォ
この人も、純粋なる芸術面からの評価だと、下手の部類に入る
上の映像は40歳頃。年齢的には、円熟期。ただ若い頃から働き者過ぎて、声のピーク過ぎていた
別にいいじゃん。全く歌えないわけじゃなし。当時、演技力活かした映画出演で、ヌード披露出来た美女だし」




【綺麗なおねえさんは好きですよネ☆】(2009年6月10日)
「昔々、ソ連フルシチョフ書記長がパリ訪問の折、カンカン踊りをご覧になられ
『不道徳ですな~』というのは建前、顔つきはでひゃひゃに近かったそうな
男からスケベ心が失われたら、人生そこで終わり
実際にスカートめくりして訴えられなけりゃなのです。でしょうか?」
でしょうか?
男のスケベ心のみならず、「女から美を愛でる心が失われたら、人生そこで終わり」も然り
従って、「でしょうよ!」(自分で自分にキレる)




そおよ、インゲボルク・ハルシュタインもだけど、本物の美女は勝てば官軍
AKBや乃木坂なんざ、連合軍で押し寄せようと敢え無く白旗掲げる、ションベン臭い小娘どもと断言する
モッフォおねえさんは確か、八頭身美女。大根足気味ながらも、健康的な太股は見ていてアッパレ
いまは亡き《ワルツ堂 堂島店》の映像担当親父も、「こんだけ別嬪やったら、性格悪くても許すわ」




全盛期のモッフォおねえさんは、米国では、世紀の歌姫マリア・カラス以上に人気あった模様
・Moffoと顔立ちでわかる通り、イタリア系
・1955年スポレートに於いて、ドニゼッティの♪ドン・パスクヮーレのノリーナ役で歌手デビュー
・翌年には、プッチーニの♪蝶々夫人にてTV出演
・未来の夫が、マリオ・ランフランキ(RCAビクターおよびRAIのプロデューサー)
などにより、生粋のイタリア人と思われがちだが
カラスが同じギリシア系の海運王の愛人ながら、ニューヨーク出身のアメリカ人であったように
米国東部ペンシルヴァニア州出身のイタリア系アメリカ人であった
映画撮影のためにハリウッドから声がかかるほどの美少女だったが
修道女を目指していたためその申し出を断わった
しかしながら奨学金を得て、フィラデルフィアのカーティス音楽学校に進学後
1955年にフルブライト奨学金を獲得してローマの聖チェチーリア音楽院に留学した
蝶々さんの後くらいに撮ったベッリーニの♪夢遊病の女、汚部屋のどっかに海賊版VHSあるはず
ゴミ掘り返して、掃き溜めに鶴とばかりの目の保養しよかしらんと思い立っといて
1957年に母国で凱旋デビュー(シカゴ・リリック・オペラにてプッチーニの♪ラ・ボエームのミミ)を皮切りに
ザルツブルク音楽祭ウィーン国立歌劇場へと活躍の場を広げて行った




なお、ハリウッドから修道院入りしたのは、ドロレス・ハート…シスターには美人過ぎて惜し過ぎた~
モッフォおねえさんも尼さんにならんで、世俗は救われた
(女性の社会進出などと、無能なくせに生意気な小賢しいアマどもこそ修道院に放り込み、死ぬまで幽閉じゃ)
ちょい待ち、修道院も救われたと思うぞ
絶世の美女を引き立てるに小細工は要らぬ。粗末な着物を着せても光り輝く
モッフォおねえさん級美女の尼さんなんて居てみろ
修道院に寄付する町の名士、修道院の庭師がナニ血迷うか知れたもんじゃない
女子修道院にちょくちょく聞かれる俗っぽい話、神様の子供?が産まれテンヤワンヤに陥ったであろう
…ついつい邪推も備忘録しとく




『Anna Moffo - Caro Nome (Studio Recording) 』
‘This version, unfourtunately, does not include her E6.’
そりゃ残念だわ


モッフォおねえさんの代わりに御登場願った、インゲボルクおねえさんでお聴き下さいまし




ソプラノ音域は、1点ハ音から3点ハ音に至る2オクターヴである
軽く、華やかで最も高い声であるソプラノ・レッジェーロ(コロラトゥーラ・ソプラノ)はっちゅうと
「3点ハ音は当然で、3点ホ音かヘ音まで行く事もある」



イメージ 1




上は、E(ホ)音
E6いうたら、真ん中のドから2オクターヴ上のミの音、3点ホ音
カラスが本来野太いメゾの声質を、声楽師匠がハイ・ソプラノのため、「メゾなんて教えられねー」
1週間のうちにベルカント物とワルキューレを歌った、類まれなる技術と珍記録を持つ歌手になったものの
そんな彼女の音域にさえ存在せず、南米でジルダ演じた時にはアリア全体を半音下げたほどの、超高音
モッフォおねえさん、インゲボルクおねえさんの両美女は
純粋なる芸術面からの評価だと、下手の部類に入るとはいうものの、天は二物以上を与えたんだね~




1930年誕生説と1932年誕生説があり、正確な生年は確定していないモッフォおねえさん
1978年、デヴィ夫人らと共に、ミス・ユニバース世界大会(開催地はアカプルコ)で審査員を務めた
また1981年にも世界大会(開催地はニューヨーク)で審査員を務めた
(1978年の日本代表が、女優の萬田久子。1981年は写真家の織作峰子いうから、ここでも天は二物以上を~)
ツラツラ思うに…50歳前後のモッフォおねえさんが、世界一の美女やったんちゃう?
(美女の妖しさならぬモノノケ系怪しさが漂うデヴィ夫人には、絶対勝利する!)








これ間違いなく、若い頃の録音を口パク…それが、どーした!?<(`^´)>
53歳でも55歳でも、ふるいつきたくなる美女やないか~゚+o。。o+゚♡゚+o。。o+゚♡゚
これ観て「BBAやんけ」とぬかした青二才、ちょっと来いや( ´_ゝ`)∂゛
オトコ失格じゃ、顔洗って幼稚園からやり直して来い●~*\(・ω・。)ピタッ!!!(。・ω・。)ノ⌒●~*イラネッ








別れた亭主が撮ったヴェルディの♪椿姫
第三幕、愛しのアルフレードが訪れるのを半分諦めながらも心待ちにしている病床のヴィオレッタ
アルフレード到着し、天敵の彼父から娘と呼んで貰え、ようやく幸福になり、発作治ったわも束の間に終わった




モッフォおねえさん自身はといえば
1974年11月14日にRCAの取締役会長ロバート・サーノフと再婚
1997年2月22日に夫サーノフと死別
その後に乳癌を患い、その悪化に伴い脳卒中を併発して、ニューヨークにて逝去した
実子はいないため、実弟と、夫の連れ子(義理の娘3人)が遺族となった
…BBAだろうが、玉の輿に乗れ、デカイ継娘を3人も連れたカネ持ち爺さんと添い遂げたんだぞ
若くピチピチしていようが、ATMや托卵を企んで亭主の家を傾けさせる後妻にゃ真似出来ない、性格良さじゃ?




…何言いたいんだか、自分自身わからなくなって来たが(=_=)
「性格良けりゃ、金庫スッカラカン許せる傾国美女。性格悪いのは、イエローカード無視するな警告美女」
と、E6が裏返ったダミ声で主張して締めくくっとく