mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

‘名子役の虚構 ケンちゃんの真実’を聖書に推奨

「新着がお気に入り先へ届いたり届かなかったり」、エエ加減にさらしましょね
アクセス解析じゃなく、虚弱体質Ahoo!システム解析が欲しいわ




アクセス解析といえば、アメブロ別荘の人気検索キーワードが、『宮脇泰之 兄』
当記事題名に使い回した2010年4月27日FC2別館記事の最後
「(2012年9月17日の追記)
名子役ケンちゃんの真実については
2012年8月12日アメブロ別荘記事まで
http://ameblo.jp/mathichen17/entry-11326727487.html
以来、【天使の微笑みは悪魔な親から生まれ、最後には天国と地獄の共倒れ】の人気度UPした
その記事のYahoo!本館版でやんす




『「稼げるうちに稼がせろ!?」No.1子役・加藤清史郎くんの多忙すぎる日々』
TOYOTAこども店長CMから5年以上経ち、中坊年齢の現在、何やってんの?
母親が週刊誌各社の間では『ウルサ型』の御仁で知られ
「前にうちの記事で清史郎くんの悪い話をちょこっと書いたら、
もの凄い勢いで編集部に抗議電話をかけてきました」
(週刊誌記者)

「人気子役はスポーツ選手並みに"寿命"が短い。
だからこそ周囲は稼げるうちに稼いでおこうと考えるのかもしれない。
特に子役の両親にその傾向が強い。
もちろん、成長を遅くするためにカップラーメンを食べされるわけではありませんが......」
放送作家


8歳児の母親なら、30~40歳の間かと
その年代なら親自身が
「野菜が大嫌い。反対に好物は肉やカップラーメン。
特にカップラーメンは3食たべることもある」
育ち方していると十分考えられますからね
そこまでいかずとも、マクド育ちは高確率でしょうな

食育も然る事ながら
8歳頃にしか経験出来ない学校生活や友達との遊び
これを第二義にしてしまいかねない育ち方が問題
将来、貯金は出来ても人間値は低いまま
…なんですけどねぇ

アタシゃ、FC2記事にお説教書いたんですけどねぇ
だって、稼げるうちに稼いだって…次の段みたいな展開であれば?




『仕事で稼いだ金を全てギャンブルに注ぎ込んだ元・人気子役。負けた総額は1億5000万円。』
1967年6月1日生まれ、mathichenさんよりわずか1歳4ヶ月下ですので、子役時代は記憶しております
赤い疑惑’第15話『秘密を知った娘・幸子』(1975年)- いそべあきら(白血病の少年)役
再生不良貧血と教えられていたモモエちゃんが、同じ病状を持つあきら少年とのやりとりから
当時不治の病であった白血病と知ってしまうの(半泣)
一番の不幸は、『パリの叔母様』(演じるは、実際にパリ在住の岸恵子)から生まれた不幸な出生の秘密を知り
最愛の光夫さん(演じるは、未来の旦那さん・三浦友和)と異母兄妹を知ってしまう事ですけどね(号泣)
…じゃなくて、8歳の頃の坂上忍は結構以上に可愛かったですわ~
自分がブッサイク中年へと没落しながら、ブスは嫌いとぬかすんじゃありませんよッ
借金返済のためにも子役の仕事を続け、競艇通いの父親のおかげで辛い少年時代を過ごしただろうに
自身も競艇にハマってしまうとは血は争えない?という皮肉な話
とはいえ、全てを整理し、「勤労意欲のために」ならば、 お好きにしなされ





父親が競艇に血眼、経営に失敗して会社が倒産した上、借金と浮気で問題を起こして離婚しているetc.
坂上家もだが、人気子役を生み出すと崩壊しちゃう家庭の代表例が




「子役で10年以上に亘って、ドラマの主役をつとめた役者は彼以外に未だ存在しない」




1962年から1969年にかけて放送されたチャコちゃんシリーズに続いて放送された、ケンちゃんシリーズ
主に幼児から小学生、およびその家族向けに作られた
制作は国際放映。1976年頃まで『ライオンこども劇場』と冠がついていた
宮脇康之、現在の宮脇健が、1976年3月4日~1977年2月24日放送‘フルーツケンちゃん’までのケンイチ役
1977年3月3日~1978年2月23日放送‘パン屋のケンちゃん’より、ケンジ役から格上げされた岡浩也が演じた
宮沢公二が演じた1982年3月4日~ 9月30日放送‘チャコとケンちゃん’が
これまでの作品と比べドタバタコメディ的な内容が強く、主題歌はロック調
これまで安定して確保していた視聴率も低迷する一方となり
チャコちゃんシリーズから続いていたケンちゃんシリーズのドラマがトータルで20年の歴史に幕を閉じた




1998年頃の宮脇康之が挫折と流転の半世記を語った‘別冊宝島’を読んでみい
宮脇家が偶像の『ケンちゃん』に振り回され、歯車狂わされたのがよくわかる




お父さんは都内の高校教師、お母さんは専業主婦と、ごく普通の両親だった
教師、息子の宣伝係と二足のワラジを履き、ステージママに大忙しとなり、康之を取り巻く環境が歪み始める
弟に両親を独占された格好の、6歳上のお兄ちゃんが蚊帳の外に置かれ
お兄ちゃんは、人気者の兄という事で、学校でイジメを受け、両親に窮状を訴えるも
無断欠席などにより、「あなたがいると(ケンちゃんの)イメージダウンになる」と言われる孤立無援へ
そりゃグレまくり人生が始まるってば
弟が高校合格した直後、遂にというか、右手に持ったカッターナイフを左手首に…
すぐに自分自身で、近くにあった布切れで傷口を押さえたというが
手首から溢れる血を見て、弟の顔が脳裏に浮かび、「ケンちゃんの名前を汚してはいけない」
…お兄ちゃんもまたケンちゃんに呪縛され、『スターの兄』仮面被り続けようとしたとは、これまた哀しい事実ね




康之が中学3年生頃には、お父さんが愛人を作り、転職して単身赴任、家庭はもう完全崩壊状態
康之自身はといえば、家庭の問題に薄々気づいていたものの、本質的には何も知らないカゴの鳥だった
お兄ちゃんが手首を誤って切ったと聞かされた出来事も、数年後に自死未遂と真実を知った
成人後のケンちゃん放浪記はとにかく長い。各自で検索せよ
一つだけ、「1994年、33歳当時のタレントスクール講師歴が、人生の重さを感じさせますね」
子供が売れる事によって浮かれ舞い上がる親。「ウチの子供はいくら稼げますか」と真顔で聞いてくる親
それらアホンダラ小娘青二才親を見るたび、自分の家庭環境を思い出したんだって
子供が家庭は無論、大人の世界のドル箱だと、叱らない教育となり、おバカが育つ
ケンちゃんも、下にも置かない存在となり、楽屋ではバカ殿様状態だった
嘘かマコトか、酒瓶が用意され、大人たちに「さあ飲んでよ♪☆」と勧めたという
ドラマでは厳しい親父さんを演じる牟田悌三が土下座していたなんて目も当てられんがな
「僕はガキでした」、子供やからガキやろながらも、それにしたってトホホ過ぎる…




とにもかくにも初潮や変声期以降も生き残る子役の親は本当、子供を生かすも殺すも親次第なのよね




『Home Alone Trailer』
ドロボー親父どもを単独で退治した小坊主も、自分ちの因業親父には勝てなんだ
兄弟妹や友だちと子供同士で飲み会までやったガキとはいいますが
カルキン家のベビーシッター務めた女性によれば
「子供たちは案外、素直なカワイイ面あるのよ。躾出来ない両親が悪かったとしか言えないわね」
内縁関係なのに子供何人もボコボコ産む両親が計画性持つとは到底思えない
マコーレーが演じるべきと横車を押し、一人の有能な子役の機会を潰したのが、‘危険な遊び’(1993年)
マコーレーの能力超える難役が誰の目にも明らかだったので、案の定、失敗作となった
1994年後半には、父親の非常識な要求などで、マコーレーへの出演依頼が減少
1995年、両親が別れる際には、マコーレーが稼いだ1700万ドル(当時のレートで約17億円)を巡る泥沼裁判開始
1996年にはマコーレーが遂に、両親が裁判に決着をつけるまで、俳優活動の休業を発表した
1997年2月、裁判所が「マコーレーの稼いだお金は家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように」
同年の4月にマネージャーを務めていた父親が全てを放棄する形で裁判は終了した
因果は巡る自分の末路に。親父はその後、どっかの砂漠で独り朽ち果てる日々との風の便り




『Paper Moon TV show Promo』
はい?。‘ペーパームーン’は、劇場映画で、ライアン&テータムオニール父娘だろ?
『「ペーパー・ムーン」Paper Moon(1973米)』
どんだけ若いんじゃ。トシヨリなら、家にTVあらへんかったのか?
1973年映画の翌年、当時11歳だった未来のアカデミー主演女優賞2度受賞が出演したTVシリーズ版よ
共演のクリストファー・ゲーブル、ライアン・オニールと‘ペイトンプレース物語’で共演は置き




テータムちゃんついでに書いとくと




9歳の時に出演した‘ペーパー・ムーン’により、演技賞史上最年少(10歳)でアカデミー助演女優賞を受賞した
1930年代の名子役シャーリー・テンプルの再来かと騒がれる
(なお、1935年に6歳で映画芸術科学アカデミーアカデミー賞特別賞に輝いたのが、テンプル)
1976年の‘がんばれ!ベアーズ’の頃は最も稼ぐ子役スターだった
しかし以後は役に恵まれず、次第にスクリーンから遠ざかってゆく
テニス選手のジョン・マッケンローと同棲、おめでた、結婚の時には、父親が猛反対するも、「パパより、マシよ」
後年、ド派手に喧嘩して離婚した時に、パパの目が正しかったとわかったろ?
とはいうものの、パパの悪童ぶり思うと、娘が男見る目育たなかったのも致し方あるめえ
9歳でのオスカー受賞が後にも先にもだが、父親同伴ながら英国ナイトクラブ入場した子供も空前絶後だもの
パパは娘を息子グリフィンともに、母親から強引に引き取っておいて、育児放置気味な面も見られた
テータムちゃんはパパの再婚当時、寄宿学校に入れられたが、有名人を親に持つ子供は苦労する
上級生がゴシップ雑誌突きつけ、「アンタが邪魔だから、捨てられたのよ」とからかわれ
「違う!」と抵抗して大喧嘩となれば、被害者なのに問題児扱いされ
ペーパー・ムーン’頃の父娘関係はあまり良くなかった
パパが父娘共演要請受け入れたのは、娘と長時間過ごし、ご機嫌取り目的あったも納得出来よう
パパ留守気味で姉が弟の世話した時期あっただけに、しかも悪童の血を受け継いだグリフィンも哀れだ
姉は父親からのセクハラ暴露したし、オニール家は一体どーなってんだ
やっぱダメね、出来ちゃった婚するわ、その後始末すら出来ないのに再婚するわの知的水準親持つとさ
親はなくとも子は育つというが、親が自分の義務果たさん家庭に育った子供の成長歪むも事実の例である
50歳過ぎた娘が現在、同性デートに熱心なのは、永遠のガキな男にゃコリゴリとういう方向にしとこ




そーいえば、息子たち産んだが、同性愛者だよねのジョディ・フォスターへ戻ると




母親が、ステージママと陰口叩かれた
が、母は強し、「はい、ステージママですが、何か?」
フォスター家も離婚家庭であり、母子家庭は普通であれば、ママが馬車馬の如く働かな食えんけど
「ワタクシが昼間働いたら、子供たちの面倒は、誰が見るのです?
子供たちがモデルや子役として働けば、ワタクシは付添い人として一緒に過ごせますでしょ
それが、子供たちを赤ん坊の頃から次々と芸能界に送り込んだ理由ざます」
フォスター家で芸能活動続けたのは唯一人、末っ子のジョディだけだった
稼いだカネはママの管理に任せる代わり、子供の頃から大人相手にポーカーか何かで小金貯め続け
国語の英語以外はフランス語話すリセ・フランセに通い
親の七光り合衆国大統領が裏口入学した名門イェール大学に優秀な学績掲げて正面玄関から入学し卒業した
ママが娘の自主性を認め、親の思い通りにコントロールしなかったおかげ様ですってば
ちなみに、ジョディさんは日本のTVCM出演時、スタッフから評判良かった
どういう映像を撮りたいかコレコレ云々と説明を受け、納得ゆけば、何でもホイホイやってくれる
物心つく頃からCMモデルやり、米国と日本の違いあれどCM撮影現場を熟知している、亀の甲より年の功ね





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全米のアイドルとなったシャーリー・テンプル、《アワァ・ギャング》の人気者デブのスパンキーに黒人のスタイミー、チャップリンの『キッド』のジャッ キー・クーガン、少女時代のエリザベス・テイラーナタリー・ウッド…1930年代の不況時代を中心に、アメリカ映画界には数多くの子役スターが生まれた。1年に何10本もの作品に出演し、6歳にしてすでに大金持だった子役たち。しかし一見はなばなしい世界の裏には、子供にはあまりに過酷な現実があっ た。自らも100本以上の映画に出演し、名子役といわれた著者は、長いあいだ“失われた子供時間”の意味をとらえ直したいと思っていた。そして、30人を 超す当時の子役仲間に連絡をとりインタビューして、それぞれの人生を語り合ったのだった。ここに語られているのは、ハリウッドの黄金時代をになった小さな星たちの、華やかで残酷な軌跡である。

Amazonより引用 )




‘ハリウッドのピーターパンたち’、1987年初版単行本で読んだ




少女スター時代をめぐるシャーリーの思い

ほとんどの子役スターは、ハリウッドの子役時代に対して何らかの心の傷を抱えている。しかしシャーリーは、ハリウッドという危険な虎の穴に入って、その体験を楽しみ、けろりとして無傷で出てきたほとんど唯一の存在であった。その時期を振り返り、おごることなく慎ましやかに語っている。

「私は最高の子供時代を過ごした。神話や小説とかの素晴らしい物語を読んでもらう代わりに、実際に物語の中で生きることが出来たのだから。幼い頃母は雑誌や新聞に私の記事が載ると、私の目に触れないようにしていた。後に、もし読みたいなら読んでもいいと認められたのだが、二、三の記事を読んだだけで止めてしまった。確かに私について書いてはあるものの、他の人が作り上げたシャーリー・テンプル像で、たいていは理想化してあったからだ。私はプリンセスではないし女神でもないし、なりたいとも思わない。最高の人生を送ってきたのは運がよかったのだし、映画で人々に喜びをもたらしたと思いたい。その反面、チャンスがまわってきたのは運命つまりタイミングのいたずらだと感じている」。

Wikipediaシャーリー・テンプルより引用 )





シャーリーは他に、「映画出演は子供のうちから始めれば、おカネの価値と使い方が身に付く」
「大人になってから大金を稼ぐと、いろいろ欲が出て、皆おかしくなるのよ」
あながち的外れじゃない。しかしながら、周囲の大人がよほどシッカリ子供の監督出来る能力持つ前提である
子役の仕事に千載一遇の機会を捉え、一攫千金を狙うような知的水準の貧乏親が大半だけど?と言いたい




仕事の休日に、隣家で庭遊びに興じる子供たちを見て、「あの子たち、今日は仕事行かないの?」
子供は普通、仕事なんて行かないと知ると、「子供が働かないと、親が困るじゃないの」と真顔で言った少女
そのような価値観に染まったが、人間の成長は止められない世の定めにより
「老けたな」、5歳にして見切り品扱いされ、「人生終わった」と実感した少女もいた
1921年チャップリンの映画‘キッド’で起用された子役のジャッキー・クーガン(1921年当時7歳)
彼の稼いだ約300万ドルの資産を両親(父は、母の再婚相手…再婚親クソの証明)が全て浪費した事が発覚し
親と訴訟沙汰になった事が契機となって1939年に制定された『クーガン法』
・未成年者が稼ぐ収益から、未成年者の生活・世話・維持・教育・訓練のための費用などの額を確保しておく
・出演料の15%をその子役が成人するまで積み立てる
が規定されているものの、マコーレー・カルキンを見ればねぇ…
大学出ていようが欲に目が眩み、法律クソ食らえ親が法律だのバカタレは後を絶たないのよ




ジョディ・フォスターシャーリー・テンプルの例は換言すれば
「子供が『プロ精神』を持てる、そう躾けられるという、親子双方への教訓」
親バカ系ステージパパママなんて、身の程知らずな私立受験好きなバカ親と変わらん
自分の息子がちょいとイケメンなくらいで、「ジャニーズ入れたら人気者♪☆」の因業親、よーく聞いとけッ
オマエらが子供の老後見られるわけねえんだから、子供にはちゃんと勉強させとかな無責任極まるぞっての
他所のガキ面倒見る余裕無い、こっちが面倒見て欲しいくらいだ、マザー・テレサにゃなれんので提案だけしとく