mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

最も相応しい事をすれば、神も最善を尽くしてくれる

タクシードライバーと老婆の『最高の時』を巡る感動物語」
昨日の転載記事お題ね




運転手と婆さんと聞いて、最初スーッと浮かんだのが




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1948年のジョージア州アトランタ。元教師のユダヤ系老婦人デイジー・ワサンは買い物に出かけようと勇んでキャデラックに乗り込むが、運転を誤って隣家の垣根に突っ込んでしまう。それを見かねた息子のブーリーは彼女に対して運転手を雇うように薦めるが、デイジー聞く耳を持たない。そんなデイジーの元に初老の黒人男性、ホーク・コバーンが運転手として雇われてきた。

初めは意固地にホークを拒絶していたデイジーだったが、根負けしてついにホークが運転する車に乗り込む。彼女がホークを嫌がっていたのは、自分が嫌味な成金であると周囲に思われるのを危惧していたからだった。しかしホークの真面目な仕事振りと正直な人柄に感銘を受けたデイジーは、やがて何処へ行くにもホークの運転する車に乗ることになる。

1953年のクリスマスに、デイジーは読み書きの出来ないホークに簡単な参考書をプレゼントする。デイジーアラバマ州モービルに住む兄弟の90歳の誕生日を祝うため、ホークの運転するキャデラックに乗って遠出することになる。既に70歳近い高齢のホークだが、州外に出るのはこれが生まれて初めてだという。道中で路肩に止めた車の中で食事をする二人だが、その際の警察官の対応に、デイジーはいまだ法のもとで人種差別が容認されているアメリカ南部に根強く残る、黒人に対する人種的偏見を実感する。

1963年の或る日、デイジーに長年仕えてきた家政婦であるアイデラがテレビを観てる最中に急死してしまう。アイデラの死後一人で家を切り盛りしなくてはならなくなったデイジーは、万事にそつが無いホークをより一層重宝するようになる。

1966年の雨の日、デイジーは礼拝に向かう道中に、クー・クラックス・クランによってシナゴーグが爆破されたと知る。南部では黒人のみならず、ユダヤ人も偏見の対象なのだ。デイジーマーティン・ルーサー・キング牧師の説教を聞くため夕食会に参加する。当初は息子のブーリーと共に出席する予定だったが、彼は公民権運動の結果公民権法が施行されたにもかかわらず、まだまだ人種偏見が残る地元の同業者たちに後ろ指を差されることを心配して欠席。デイジーは夕食会に向かう途中でホークを誘うが、「本当にその気が有るならもっと早く言うべきだった」と彼に窘められる。結局一人で夕食会に出席するデイジー。その夜のキング牧師の説教は、善意の人々による無自覚の差別の話だった。

1971年、ある朝いつものようにデイジーの家を訪れたホークは、錯乱しているデイジーを発見する。突然顕れた認知症により、自身の教師時代に戻って子供たちの宿題を探し回っていたのだった。デイジーを優しく宥めるホーク。そんな彼に対し、デイジーは「貴方は一番のお友達よ」と告げる。

1973年、認知症が進み、体調も衰えたデイジーは現在老人ホームで暮らしている。ホークとブーリーは感謝祭のお祝いを述べるため、デイジーの元を訪れる。ブーリーを除け者にし、デイジーとホークは二人きりで言葉を交わす。出会った頃と同じ軽妙なやりとりを楽しむ二人。そしてデイジーは息子が未だにホークに毎週運転手としての給料を払っていることを知る。ホークがパンプキンパイをデイジーに食べさせているシーンで映画は幕を閉じる。

Wikipediaドライビング Miss デイジーより引用 )





「デイジーは夕食会に向かう途中でホークを誘うが
『本当にその気が有るならもっと早く言うべきだった』と彼に窘められる
結局一人で夕食会に出席するデイジー
その夜のキング牧師の説教は、善意の人々による無自覚の差別の話だった」




「黒人はトイレを使えないんですよ、ご存知でしょう」
アラバマ州モービルへ向かう車中、ホークが用足しを願い出、デイジーの「さっき行っておけば」への返答
アラバマ州といえば、人種差別自体は何も南部に限らないものの
【倫理観守るべく、物事の白黒決める必要性は大きい】(2014年1月21日)
『グレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞受賞した‘アラバマ物語’(1962年)』
『公民権運動の母、ローザ・パークス』
『公民権運動7 バーミングハム闘争とワシントン大行進その2』
「犯人にされる者はいつも決まっている」、その代表格と言える




デイジーには、意固地にホークを拒絶していた頃、台所保存食の缶詰をホークがネコババしたと騒いだ事も
缶詰が何個あるか普段から数えており、今日見たら減っていると怒った
何のこっちゃない、「古くなっている物は好きに食べていい」、自分が言ったを忘れていたお粗末だったが
ホークを真っ先に疑ったのって、「犯人にされる者はいつも決まっている」の表れと言えよう




アラバマへの道中での警察官たちは、職質から解放後、「黒ん坊とユダヤの婆さんかい」と二人で冷笑した
「1966年の雨の日、デイジーは礼拝に向かう道中に
クー・クラックス・クランによってシナゴーグが爆破されたと知る
南部では黒人のみならず、ユダヤ人も偏見の対象なのだ」
フランス人ルイ・マルが米国で監督した‘アラモ・ベイ’(1985年)。YouTubeコチラ
テキサスの小さな漁村を舞台に地元の漁民とベトナム難民の対立を描く中に
白人集会のリーダー格が「我々の敵は、共産主義者カトリックである」と言う場面があった
思えば、カトリック教徒の合衆国大統領って、キャロライン駐日大使の父親、すなわちJFK唯一人
米国がそもそも、英国から、ピューリタン清教徒プロテスタント)が信仰自由を守るためやってきた国である
JFKが大統領当選ニュースがTVに流れるや、舌打ちしたプロテスタント家庭が全米に見られたというほど
米国が元来保守的な国であり、とりわけ南部は偏狭な価値観に支配されている
もっとも一応白人社会の一員であるユダヤ系の場合、「ユダヤ人と犬はお断り」の貼り紙でも無ければ
揉み上げ伸ばした黒服ラビの説教と、あれこれ細かい戒律に従うユダヤ教コミュニティ外に住む者にとって
日常、黒人のようにあからさまな差別を感じる場面に出会わずに済むのだろう
人間やはり、人生破滅同様、差別も自分自身に降りかからない間には理解不能に近い
そして、被差別者もまた、差別者の一員に加わりやすいもの
最下層の世界でさえ、その中で上下関係を見出し、新たな差別の連鎖始まるのは、世界各地に見られる
やってる事の本質が鉤十字ドイツと同じになりつつの現代日本人を見なさいよ
愛国心に満ちた善意の市民と主張するも、無自覚でどれだけ悪意の火種をバラまいてるやら




ドライビングMissデイジー’評を見て歩くと
「一人の老婦とその老婦の運転手となる老人のストーリーで、話の筋は非常に単純であり
妙に曲がったり寄り道したりすることもなく実直に真っ直ぐ進んで行く非常に明解で単純極まりない話だ
しかしその単純な筋の中に実に自然に、素直に、そして巧みに沢山の重要なモチーフが織り込まれている
あまりに巧みに織り込まれているため
本筋との馴染み具合がまるで違和感のなく、不協和音もなく、見事に融合している
ただ観ていたらさっと流れてしまいそうなくらい自然なちょっとしたセリフに
痛烈な社会批判、人種差別批判、体制批判、人間批判が込められている」
「優しさと示唆に富んだ映画だ
悲しみ、怒り、憤りを語りながら、絶望はしていない
ラストには大いなる希望と夢をも描いている
現実の厳しさ、人間の愚かさを語りながらも、希望と夢を忘れてはいない、そして理想までをも描いている」




デイジーの運転手雇う事への拒絶反応は、自分が嫌味な成金であると周囲に思われるのを危惧以上に
「どんな状況を迎えようと、自分に出来ない事は何も無い」が占めているに思われる
ある朝突然顕れた認知症により、自身の教師時代に戻って子供たちの宿題を探し回る姿に
責任感強く、自分に厳しいデイジーの性格が現れているからね
「ヘマして恥かいたりしながら、少しずつ、出来る事と出来ない事を見分けながら
生きとし生けるもの全てが避けて通れない老いを受け入れてゆく」
老いても尚、成長可能を示唆する映画と言える
Do the likeliest, and God will do the best.
「人事を尽くして天命を待つ」に相当する英語の諺が、記事題名ネタ元である








「ホーク、貴方は一番のお友だちよ」
教師時代に若返った後、まだ混乱しながらもホークの存在は認知出来たので
23年もかかったけど、自分がもはや完全に無力と実感出来てからではあるけど
デイジーにとって最も相応しい事、ホークを認める最大の賛辞を口にするまでに成長した
認知症発症第一発見者が、ホーク。彼が感謝される場面を設けた。神さんも最善を尽くしてくれたわけね








認知症が進み、体調も衰えたデイジーながら
やはり年老いたホークを心配し、彼が孫娘に運転して貰う身をむしろ喜ぶ余裕は持っていた
息子ブーリーに「看護婦と遊んどけ」、感謝祭のパンプキンパイをホークに食べさせて貰う
感謝祭は、州ごとに祝日異なる少なくないアメリカ合衆国に於いて、National Holiday、国民の祝日の一つである
現代の感謝祭では、宗教的な意味合いはかなり弱くなっており
現代アメリカ人の意識の中では、たくさんの親族や友人が集まる大規模な食事会であり
感謝祭が行楽のための休日ではなく家族や親戚が集うためのものと位置づけられているを思うと
デイジーが息子でなく運転手を選んだのは、ホークにとって光栄の至りですな
YouTubeでは見づらいけど、1:55辺り以降、ホークの運転するデイジー御料車が重なる
最後の最後に、最も感動的な場面。映画館だとバイトから塩撒かれそうなくらい、しばらく立てない確実




まァ、誰が選ばれるにせよ、施設や自宅へヨレヨレ婆さんを訪れる者がいてくれるのは、婆さんの人柄次第よ
mathichenさんが昨秋、ちょいと野暮用で、特養の女王様に喧嘩売り売られに行った際
その日は週末のためジジババへの面会家族多かったものの、誰も来ないジジババもやっぱ多いのよね
ジジィ勘当先の住宅型有料老人ホームにも、面会無しの入所者いるとマネージャーから聞いた
世俗に聞く話と擦り合わせると、死別などで身内無しを除く十中八九、長年スッタモンダ抱えた家庭との事
特養の女王様にイイ加減頭来た+ババァの暗部見せるべく、ハG従僕の前でブチギレてやった折にも
従僕はアタシの確信犯を承知しており、「細かい内容わかりませんが、スッタモンダ家庭よく見られますわ~」
施設介護、在宅介護どちらとも、身内にやって欲しけりゃ、親の権利より子供への義務果たし、嫁イビリもすんな
身内の専属介護人が難しい場合、運転手付きのデイサーヴィスやショートステイを拒絶すんな
それが、デイジー先生からの教訓と皆様メモメモ




デイジーを演じたジェシカ・タンディは、強面から皆様わかるかしら、ロンドン生まれの英国人
2番目の夫がカナダ出身の俳優ヒューム・クローニンで、よく夫婦共演していた
宇宙への姥捨て山映画‘コクーン’(1985年)の他、‘ニューヨーク東8番街の奇跡’(1987年)
『*batteries not included (1987)』
UFOが赤ん坊産み、ミニUFO可愛かったわ~は置いといて
ニューヨーク下町にも再開発の波が押し寄せ、イーストサイドの最も古いアパートでも立ち退き問題起きていた
亡くなった息子がまだ生きていると信じる妻フェイを世話する夫のフランクは、年老いて疲れを感じ始める日々
さよう、フランクとフェイは、認知症老老介護夫婦。この映画でのタンディは最初から、ヨレヨレ婆さんだった
「*電池は含まれません」という電気製品によくある注意書きをもじった映画原題見るとさ
アントニオ猪木でなくたって永久電池が、とりわけ人間用には不可能な相談
医療発展し過ぎた現代であろうと、人間皆、いつかは老い死ぬ身を恐れるな
ジジババは心身ともに危うくなり出したら、世のため人のため、無駄な抵抗せず、運転免許返納しましょね~








タンディは80歳でアカデミー主演女優賞を獲得したが、彼女の年齢は同賞に於ける最高齢での受賞である
『Jeremy Irons Wins Best Actor: 1991 Oscars』
これらの他に上下とも黒の革製パンツ・ルックで決めたり、80歳過ぎて颯爽としていた
経年劣化は自然の摂理を受け入れ、悪アガキしないでいれば、不要にボケず、年齢相応の若さも保てる
デキる男女の証明ざます




ホークを演じたモーガン・フリーマンにも触れておくと

アフリカ系アメリカ人のコミュニティーが主催する「黒人の歴史月間」に対して公式に、それらのイベントに参加しない姿勢をとっている。『黒人の歴史はアメリカ合衆国の歴史である』というのが彼の理由である。彼の強い主張によれば『黒人差別を無くすには、その話をしないことだ』と語っており『アメリカに「白人の日」は無い』と述べている。CBS放送のドキュメンタリー番組に出演した際にはインタビュアー(白人)に対し「私はあなたを「白人」とは呼ばない。そして私はあなたにお願いする、私を「黒人」と呼ばないように、と」と述べた。また、アクターズ・スタジオ・インタビューでは司会者が「映画『ディープ・インパクト』では黒人の大統領を演じました」と発言したのに対し、「私は黒人だ。黒人を演じているのではない」と返し、聴衆はその言葉に拍手を送った。

Wikipediaモーガン・フリーマンより引用 )

『Deep Impact - Let Us Begin (1998)』
17年前、黒人の合衆国大統領が本当に登場すると思わなんだ
オバマより風格に満ち溢れ、颯爽として賢そうに思えるの、アタシだけ?
好きな言葉を聞かれて「フ○○ク」、英語の四文字言葉と答えたのに、下品さ感じないスゴイぞぉ
ただ…最も相応しい事をすれば、悪魔も最悪を尽くしてくれる
御年78歳。もしもボケ出したら、四文字言葉連発しながら言葉に似合う尾籠な世界を呈する、それが心配だ…