mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

【投稿ネタ】アナタが出会った驚きの野生動物

【15、16、17と♪】(2014年11月6日)
「アタシの人生暗かった♪
過去はどんなに暗くとも♪
夢は夜ひらく♪
宇多田ヒカルの御母堂、天国から門前払い食らってないよう祈ると合掌しといて」
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/33099761.html




某おうじが35歳と前期アラフォー親父を迎えた翌日、月と日の数字足すとアラ♪17だわ☆
午後2時24分に、全体の訪問者数160000人到達。あざ~す☆
待ちに待った、『17』0000人までのカウントダウン開幕だぜ♪
それから待ちに待って待ちクタビレ、7ヶ月ちょい経った本日午後10時38分





イメージ 1
全体の訪問者数170000人到達

投稿時間も、額縁の太さ(幅)も、17の執念深さよ





日時指定投稿が、記事作成時点の前後2週間指定出来るのも、Yahoo!にしちゃ便利になったに加え
「記事作成始めた後にページを離れ、別の新規投稿始めようとすると、先の分を読み込むか?の確認される」
Yahoo!ブログ間借人の皆様、知ってた?
mathichenさんは、連続投稿時、新規投稿画面を複数ブラウザ同時立ち上げてなので気づいた




Yahoo!提供の【投稿ネタ】を記事題名に使用の意味わからねーけどですと?





↑が、訪問者の皆様から見ての野生動物。何か異論でも?

根拠:「2014年2月23日当時、48歳。なのに、永遠の17歳を主張」




恥ずかし~く感じないかって?
鏡に映る現実を無視して、「子猫ちゃん捕獲出来るぜ」と本気で思えるメタボ親父がもっと恥ずかしくないかえ?
古女房が薄給亭主補填に加え、家事育児介護してくれなけりゃ、何一つ満足にやれん以前に
自分のママもまた古女房、要するに、女いなけりゃ生まれる事も育つ事も出来んを知らんサルの分際だ
子猫ちゃん捕獲希望、古女房LOVE亭主ともども、男は稼いでナンボの動物であるを覚えとけよと説教しといて




5年ほど前に書いた事を思い出したついでに再記載すると
「1983年春、‘トッツィー’宣伝のため来日したダスティン・ホフマン
『撮影の休憩時間、女装したまま街を歩いたら、誰も振り向いてくれず寂しかった
ドロシーは内面が魅力的な女性、でも外見が美人じゃないせいだね
世の女性が男性と同じ基準で男性を選んだら、男性の90%はデートすら叶わないだろうに、バカだと自覚した』」
男に選ぶ権利あるなら、女にも選ぶ権利ある。そこを知るかが、男として成長可能の鍵であるわけ
追記すると、ホフマンは10代の頃、デート相手はもっぱらアジア系だった
白人のギャルだと、自分より背が高い子がほとんど
…デートしてくれる子いた。彼女いない歴=年齢が同じよか幸運でねえかい
最初の嫁が、自分より背の高い、子連れバレリーナ
離婚後も継娘を大事にした点が特に、早いうちから成長の兆しと達観あった感を受けるぞ
いつまでも恋愛体質で、自分の生んだ子供振り回す連中なんて、野生動物も驚く野獣以外の何物でもない
動物がライオンさんとキリンさん他、方法はそれぞれ異なれど、子供を大事に育て一人前に成長させる思えばね




恥ずかし~く感じないか?へ戻ると




数年前、ネットに強い知り合いが言ってた
「ねーさんのブログ、フザケ路線でやればいいよ
真面目路線だから、書き手の中身と比例すると決まってない
真面目路線の息抜き、悪意無い脱線が文章力次第では、読み手が騙された気分にもある
フザケ路線は根が真面目でこそ、節度保てる
実際、フザケ系の書く真面目記事って説得力大きい人多い
フザケ系で長続きするのは、真面目で文才持つという結論ね」




記事の見た目関係無く、書き手の意識次第
真面目路線だから、書き手の中身と比例すると決まってない
真面目系、フザケ系ともに、情報鵜呑み度世界ランキング上位国民らしい軽佻浮薄ブログをよく見かける
エラソーな高説垂れながら、身元特定されるを必要以上に恐れてりゃ「自信ねーのかよ」と噴飯物
特定されないの安心感から、ツバメの低空飛行知的水準を呈するのまで
ネット師匠格の一人が、「投稿画像のほんの小さな部分で特定され、身バレあり得るんですよ」
師匠格自身の経験を教えてくれた通り、身バレ絶対お断りなら、最初からネットやらない方が余程マシ
所詮ネット、されどネット。人間の産物以上でもそれ以下でもない、人の世の写し絵である
ネットも人間の行動であり、多少のアレンジは許されるが、仮想空間だからと侮れば痛い目に遭いかねない
以上の意味に於いては、正しく使うならば実名Facebookが、匿名ブログより高等ツールと言える




フザケ仕様の真面目記事といえば
「バカにしないでよッ そっちのせいよぉ…アタシだって アタシだって 疲れるわ…」
堺市への絶叫のみならず、カテゴリ登録落ちYahoo!への絶叫ともなったを補足しといて、参考までに
【世界一デカイ墓場都市から光ある世界への伝書鳩】(2013年3月14日)
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/31595271.html




昔々、コメディNo.1坂田利夫師匠が、レストランでの食事中
近くの席にいた幼児から、「アホの坂田や~」と突っ込まれ、母親もアハハハ~と笑うてたという話あった
坂田師匠はアホ演じられる賢人やぞ。ホンマもんのアホとしてもや、いきなりは失礼やっちゅうねん
幼児はこの際、許したる。親のサル真似してるだけやろからな
恐らく幼児の祖父母から躾受けなかった母親こそ、紛う事無きアホ、家庭環境問わず野獣認定してやる
Wild BeastBeastの部分を別のB単語に置き換えていい水準のね(別のB単語の和訳:「クソアマ」)




「面白おかしく楽しませる芸人としてのセンスが試されますやんか
喜びには、哀しみ。涙を笑いのインクに…C'est la vie !(これが人生だ!)
上質な喜劇とは、実は重い内容でも笑わせる力を持ち、シリアス物も演じられる才能だけが成功させられる
喜劇と悲劇は表裏一体、人生の機微を知る者と換言してもいい
売れると『ドタバタ路線から、ペーソス路線へ』と転向を口にする喜劇人を、作家の小林信彦が『わかってないね』
喜劇王チャーリー・チャップリンを見なされ、一目瞭然ですわな」
【楽に寄す猫たちの競演】(2014年5月7日)
喜劇以外にも適用される例を、今月9日の乳母様への返信より挙げると
「ジェルソミーナといえば、演じたジュリエッタ・マシーナは偉大ですよ
オツム弱い役を外連味無く説得力抜群、あれこそヴェリズモ写実主義でしょう」








旅芸人のザンパノは芸の手伝いをする女が死んでしまったため
その姉妹のジェルソミーナをただ同然で買い取った
粗野で暴力を振るうザンパノと、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る
綱渡り芸人のキ印がジェルソミーナに、「この世のどんなつまらないものでも、役に立つ時があるのだ」
頭の足りないジェルソミーナも、この言葉には胸を打たれた
「自分の運命はザンパノとともにある」、ジェルソミーナの想いは残念ながら届かず…
ザンパノは、キ印の死に放心状態となったジェルソミーナを捨て去った
数年の時が流れ、見知らぬ海辺の町に立ち寄ると
ザンパノの耳慣れた、ジェルソミーナがよくラッパで吹いていた曲が聴こえて来た
ジェルソミーナと思われる放浪女が、誰にも省みられる事なく死んで行ったという
海岸にやって来たザンパノは、絶望的な孤独感に打ちのめされ、ひとり嗚咽を漏らすのだった




ジュリエッタ・マシーナは、1970年代以降、長く女優活動から遠ざかっていたが、1980年代に









ジンジャーとフレッド”という芸名で30年代に人気を博した芸人コンビが30年ぶりにTVで再会する姿を描く
御本尊であるフレッド・アステアジンジャー・ロジャース、この踊る名コンビ、舞台裏では犬猿の仲だった
舞台上で仲良しさん演じる名漫才コンビにもよく、私的には完全別行動、口も利かないが見られるように
とうの昔に離婚したが、舞台では永遠の夫婦漫才続くように
芸術上の相方って一握りの例を除き、代替利かない。それを理解するかが、芸人の立身出世成否を分ける




ジェルソミーナが他の女優で演じられていれば、作品が果たして世界的名声得るほどの成功を?
慈善活動にスポット当たろうと、OscarNightに合わせた整形に成功しようと
彼・彼女、亭主・嫁を取っ替え引っ替えするハリウッドや極東の賢しらぶった化け猫どもにゃ真似出来ん




マシーナと夫フェデリコ・フェリーニ監督の結婚期間、1943年~1993年と半世紀に渡った
別居していた時期はあったが、フェリーニが病死するまで連れ添った
マシーナが肺癌で他界したのはフェリーニの死から5ヶ月後の事であったというから、魂の伴侶級
‘道’を見ると、マシーナがフェリーニにとって芸術の女神と断言出来る
父親がヴァイオリニスト及び音楽教師、母親が学校教師の家庭に生まれた
成長期の大半を親戚の家で過ごしたが、ここも教育に恵まれた環境で、文学を学び、大学では演技を専攻した
特に弱い立場の愚かな女性の内面を見事なまでにスクリーンに表現し得る演技力とそれを裏打ちする知性が
美人というわけじゃなく、プロポーションも良いと言えないが、小柄で愛嬌のある顔立ちの内側に秘められ
ジェルソミーナ役と‘道’、そして夫の成功を導き出した




あ、そーだ…

新藤とは夫婦であっても、乙羽は「先生」と呼び、また新藤は「乙羽君」と呼び合っていた。『原爆の子』に出演した頃に恋仲になった時、新藤には既に妻がおり、忍ぶ間柄であった。しかし、新藤の前妻が亡くなった後の1978年(昭和53年)に結ばれた2人を、前妻の子は祝福し迎えている。「いきなり子供達ができました」と、乙羽は喜んでいた。新藤の監督作品へは「午後の遺言状」まで全作出演しているが、新藤以外との仕事も多くこなし、テレビ・舞台と幅広く活躍。温和な母親役から凄味を感じさせる殺人者役まで善悪硬軟こなせる貴重な名脇役として人気を博した。

遺作である『午後の遺言状』の撮影では、新藤は作品が乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、メガホンを取ったという。乙羽自身も残された時間を知った上で出演したといわれている。

Wikipedia乙羽信子より引用 )

日本には、新藤兼人監督の愛妻物語あるのを忘れてた。申し訳~済まね




元へ戻り




一家に主人は二人要らないというより、夫婦ともに主人級才能の持ち主なら、お互いの能力導き出し合う
それが、夫婦にせよ芸術家同士にせよ、長続きする成功の秘訣ですかね




ブログ営業単独作業に於いても、恥性と狂幼を安倍ちゃん級にしないだけの知性と教養を目指すという結論ね
ガラスの仮面’、長い間読んでないけど、自称:「ブログ界北島マヤ
劇中劇の‘忘れられた荒野’主人公、狼少女ジェーンみたいに文明骨抜きされないだけの野生を持ってだ~