mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

極北に見出した真情とは…惜みなく愛は奪ふ

昨日、野暮用に疲れた。今日は、タヌキ寝入り日
気温上がったと思ったら、また極寒に戻った今週なもんで
布団にもぐり込み、古い映画の連想ゲームしてみた結果
2012/02/09 04:34投稿ウェブり休憩所記事をいじり回したくなった
ブログ複数営業って、便利なんだか、ハタ迷惑なんだか、ま~両方であろう




ベルナルド・ベルトルッチ監督の‘シェルタリング・スカイ’(1990年)
成瀬巳喜男監督の‘浮雲’(1955年)




「西洋には、情は無いが、愛はある。東洋には、愛は無いが、情はある」
いつかの記事に書いた言葉について、同い年のY子ちゃんも熱弁振るったが
言いだしっぺは、山本晋也監督であった
1999年、シェルタリング・スカイNHK-BS2放送時に、あるTV雑誌で
西洋と東洋に於ける男女愛の究極の違いを語っていた




ある日本のソプラノ歌手が一昔ちょい前に
「欧州の劇場出演したり、日本国内でも欧州の演出家の方とお仕事したりして、難しい事2点
(1)意見がなかなか言えず、すぐに『はい』
(2)人を見る視線の合わせ方、目の表情に、洋の東西の違いある」
 



(1)は、説明不要ですわな
(2)は、例えば、男女の諍い後の和解に於いて
東洋では、女性の場合は母性的な、思いやり深い目
西洋では、「さて一件落着。この後はワイワイお茶しましょ」的なスッとした目
こんな感じ
西洋では、悔悛すれば、ムショの中でも社会貢献出来る
東洋では、不当な軽罪で済ましたクソッタレが、TVなんかにエラソーな顔見せたりする
…を見ても?




シェルタリング・スカイ浮雲へ戻ると




西洋では、ニューヨーク中流夫婦が倦怠期乗り越えるため、アフリカくんだりまで旅に出た
愛を見失って気候厳しい異国の地に彷徨う波乱万丈巨編
「何で、こんなケッタイな映画を観に来てしもたんやろ~」
坂本龍一の音楽目的で出かけたY子ちゃん、ブツブツ文句垂れたほど




東洋では、仏印(フランス領インドシナ、現ベトナム)に始まる腐れ縁の中年男女
男は優柔不断なダメ男、女はそれでも見切りつけられず
観ていて腹立つほどジメジメした、「不倫のツケじゃ。どこが純愛映画やねん~」




何というか、狩猟民族と農耕民族の体力差ですかね
mathichenさんは肉食系女子の成れの果て、アフリカだろうが冥王星だろうが旅行きたいタイプながらも
浮雲が真に迫る理由として、森雅之が富岡役を演じたにあると思います






1911年、当時札幌で教職を勤めていた有島武郎と、陸軍大将・男爵神尾光臣の娘でもある母安子のもとに、長男として生まれる。他に弟が2人いた。

3歳まで札幌で過ごし、1914年、旧旗本屋敷だった東京麹町の有島邸に家族揃って転居。1916年には母を結核で、1923年には父を心中で失い、弟2人と共に叔父の有島生馬らの下で育てられる。...

知的で彫りの深い端整な顔立ちながら、憂いと翳りを含んだ独特の存在感で人気を博し、日本映画黄金期を代表する名優の一人に数えられている。映画で は、準主演ながら主演俳優・女優の引き立て役にまわることもあったが、彼の存在がその映画作品の評価をあげることとなった。作家を父に持ったためなのか、 硬派な文学作品の主役級の役がまわってくることが多く、父の同名小説を映画化した『或る女』でも主役級の役を演じている。ちなみに、幸田文の同名の自伝小説を映画化した『おとうと』では、文の父で作家の幸田露伴を演じている。また、家柄の良さとインテリジェンスから、小柄ながら上品かつ迫力ある役作りのできる俳優だった。特に老け役を得意とし、舞台『怒濤』や映画『悪い奴ほどよく眠る』等で高い評価を得ている。

『虎の尾を踏む男達』『續姿三四郎』『羅生門』『白痴』『悪い奴ほどよく眠る』など、黒澤明の映画作品に欠かせない演技派二枚目俳優でもあった。三船敏郎と共演する場合は対照的な役柄を演じることが多く、また、野性味豊かな演技の「動の三船敏郎」に対し、堅実で理知的な演技の「静の森雅之」と呼ばれることもあった。

...私生活では、1939年に文学座の堀越節子と結婚したが、宝塚歌劇団卒業生梅香ふみ子との不倫関係、森と梅香の間に中島葵が生まれたことも話題となった。その後堀越との離婚や梅香との離別を経て1946年に日劇ダンシングチームの女性と再婚した。

Wikipedia森雅之より引用 )
創作力に衰えが見え始め、『星座』を途中で筆を絶つ。1922年(大正11年)、『宣言一つ』を発表し、北海道狩太村の有島農場を開放する。1923年(大正12年)、『婦人公論』記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、恋愛感情を抱く(有島は妻・安子と死別後は再婚せず独身を通した)。しかし、秋子の夫春房に知られるところとなり、脅迫を受けて苦しむことになる。そして6月9日、2人は軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死を遂げた。7月7日に発見されるが、梅雨の時期に1ヶ月以上遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたという。複数残されていた遺書の一つには、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されていた。2009年(平成21年)7月に、死の約半年前から有島が秋子と取り交わした書簡各3通が札幌市にある「北海道立文学館」で一般公開された。

辞世の歌は

「幾年の命を人は遂げんとや思い入りたる喜びも見で / 修禅する人のごとくに世にそむき静かに恋の門にのぞまん / 蝉ひとつ樹をば離れて地に落ちぬ風なき秋の静かなるかな」

というものらしく、唐木順三の評では「いずれも少女趣味以上ではない」と断じられている(『自殺について』1950年(昭和25年))。

また師であった内村鑑三は「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ」(大意)と言明した。

魯迅が紹介したことから中国での知名度が高く、教科書にも掲載され広く読まれている。

Wikipedia有島武郎より引用 )





雨月物語’(1953年)、予告編本編、時間と気分次第で選んで観なはれ




学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学
キリスト教の洗礼を受け、米国留学歴持つ
そんな親父の息子は、京大哲学科を中退して演劇を志した知性派
しかしながら、多感な時期に親父が人妻と情死しちゃうなんて
せっかくの男前なのに、どこか屈折してもおかしくない
実際、この人の持ち味は、人間的矛盾を内包した負のダンディズム
自堕落で、破壊型で、それでいてインテリジェンスを感じさせる
吉村公三郎監督の‘安城家の舞踏会’(1947年)では、没落した名門華族のおバカ長男を演じたが
努力では如何ともし難い、持って生まれた氏素性の良さってやっぱ大事ね
華族の説得力を与え、尚且つ、ダメ男なのに「ま、惚れる女おっても不思議やないわ~」




浮雲幕切れは、原作(旧仮名遣で読破経験あり)では、富岡の心情表現
映画では、事切れたゆき子の上にくずれ落ちむせび泣く
ダメ男の背中に自責と後悔と情が滲み出ていて、つい貰い泣きしてしまいました




…だから、こんな記事書くアタシゃ一体、ホントは何歳なんだ?。自分自身もお意味不明じゃ!
セスクが覗き込む布団にもぐり込む妄想モード全開の、明日が48歳最終日のmathichenさんです




なお、食欲だけは、14歳の中坊級。2015/1/30(金) 午後 7:17投稿を参照どーぞ