mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

無垢なる邪悪

BIGLOBEトップページを見たら
http://news.biglobe.ne.jp/trend/0119/rct_150119_5686667831.html
【まさにヒーロー】真冬のロシアに捨てられていた赤ちゃんを助けたニャンコに世界中から拍手喝采
「天使や」「やっぱりネコは最強!」

2015年1月、ロシア南部のオブニンスクで1人の赤ちゃんが置き去りにされた
生後約3ヶ月の男の子で、発見時、暖かい格好をしており、離乳食やおむつも一緒に残され
アパートの中に設置された猫マーシャ用の段ボール箱の中に寝かされていたといったってねぇ
あのロシアの冬に無防備な赤ちゃんが1人……
赤ちゃんの体を温めつつ、助けを呼ぶかのように大声で鳴いていたマーシャ
その尋常でない鳴き声に驚いた近隣住民が、急いで声のする方に集まり、赤ちゃんが保護された
「マーシャは、ただ暖を取りたくて赤ちゃんと一緒にいただけじゃないの?」
それでもマーシャが赤ちゃんを救ったは事実である
“マーシャ”が女性名を考えると、母性愛発揮したでいいじゃないの




で、思い出したYahoo!知恵袋が、「『孫を長男嫁に任せておけないと感じた出来事』について。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10107534465
みなさんの回答を読んで驚きました・・。

同じ状況で、赤ちゃんが亡くなってニュースになったら、
みなさんは「シッターが悪い」っていう意見なのでしょうね。
赤ちゃんって、突然死もあるんです。
それを「破格のシッター」って、信用できないような他人に預けて「ストレス解消」ですか。

赤ちゃんが無事だったことがなによりです。
質問者さんは間違ってませんよ。 親としての自覚がない母親が多すぎます。
少子化問題を解決する前に、母親としての教育の場を創設してもらいたい。
いくら子供が増えたって、こんなんじゃ、日本に将来はないです。

腹立たしい。




オリヴァー・ストーン監督の‘天と地’(1993年)のモデルとなった、ベトナム出身で米国在住のレ・リ・ヘイスリップ
3人の息子との母子生活中、ある日の夕方、買い物から戻ると、児童虐待の通報を受けたという警官が来ていた
夕食用食材の買い足しに出ていたを話し、息子たちが清潔で健康な様子に警官も納得、事無きを得た
ところで、通報したのは誰?。レ・リの推測では、隣家の奥さん
隣家には高校生の娘がいて、レ・リが息子たちのシッター頼まないを不満に思っている
米国では、近所でのシッターが年齢高い子供の小遣い稼ぎの一つ
兄姉が弟妹の面倒見る、レ・リの東洋流儀が理解出来ないのもあるものの
子供だけで家にいるのを育児放棄や虐待の一つと見なし、状況次第では警察や児相が介入する
それも米国、そして先進国常識の一つには違いない




以前、別の話で、子持ち主婦の何人かに聞いた所
いくら夫や姑や実家のママが「たまにはノンビリ遊んでおいで」と快く送り出してくれようと
「繊細な乳幼児の様子が気にかかる。予定より早く帰るか、トイレ立つ振りして家に電話する」と口を揃えた
知恵袋に登場する長男嫁の、「カラオケで騒々しくて電話に気づかなかったと言い訳」通らないわけよ
「嫁に数度電話を入れるも返答ないまま、0時をかなり過ぎて嫁は酔って帰宅」
電話への返答はさておき、新生児いながら午前様の母親なんて、シッターと変わらん粗悪品である




従って、アタクシが質問者の立場であれば
息子嫁でなく実娘の場合、魂吹っ飛ぶくらい張り倒し、子供と絶縁させ、一族から勘当して抹消する
息子嫁の場合、一家の主である息子に通報した上で
・夫側が子供引き取り母親とは絶縁させる離婚を視野に入れた、長男嫁側含めた親族会議を開く
・「親子2人で育児ノイローゼになりかかってストレス発散したかった?
あら、そう。じゃ、ウチに同居しなさい。ウチの宿六もいれば、親しいご近所さんもいて、孤立しませんよ
出張多い息子と結婚したアナタを、一日中マンションに置いておくのが、そもそも間違っていました
育児の基本は専業主婦であるアナタが責任負うが、何か困った時には相談に乗ります
気分転換も、一定のスケジュール組んで予告し厳守すれば、認めてあげましょう
理由がどうあれ一度は子供を危険にさらした以上、アナタに過分な発言や行動の権利は金輪際許しませんよ」




こんな話あるから、真面目な専業主婦まで十把一絡げに見下される、因業な世の中へますます進む
もっとも、幼稚園から大学まで私立一貫可能な高収入夫婦ほど、子供を保育所預ける時間長い
兼業主婦だって、子供を危険にさらし、支援学校進学の可能性あるんだぜ、その例として…
保育所の栄養士→《ワルツ堂 堂島店》《Walty堂島》のレジ→保育士が、レジ打ち時代に
「子供の世話する仕事だから、預かり時間長ければ長いほど、保育士が親の気づかない観察出来てる多いんよ
医者じゃないものの経験値により、『この子、ヤバイ…』と障害を察知、『親、早く気づいてくれ』と願う事もある」
ちなみに、両親が子供の障害知った際の反応は概ね、「男は、逃げる」
女は自分が痛い目して産んだ子とあって、一通りのパニックが過ぎると、腰を据えて育児新規蒔き直し
と対照的に、男は、ジジババとつるんで嫁が障害の原因扱いして大騒ぎなど、嫌な事や面倒から逃げる
実際、ウチの元料理番ババァ仲間の宿六がそうであった
他所様の旦那をドロボー猫と再婚したいは、通った
ビタ一文払いたくない離婚請求なんて、障害児捨てる離婚じゃ、日本の未熟な司法にさえ通らなかったけどね
正妻の権利は強固。男女逆ながら、ミフネを捨てた愛人の娘には通じない。高橋さんオンナ見る目無かったわ




今日もひたすら長い記事上げたくなった理由:「アメブロ解析に、『SIDS(乳児突然死症候群)』が載っていた」
2013-05-31 16:51:00 投稿オリジナル記事の本題を加筆修正したくなった
以下の通りでやんす…





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‘赤ちゃんは殺されたのか’(2002年刊行)
SIDS(乳児突然死症候群)の学説を隠れ蓑にした母親による嬰児殺人
1960年代から1970年代にかけて起きた事件が
1980年代に起きた父親による嬰児保険金殺人事件をきっかけに、20数年後の1994年、司法の場で暴かれました




学説を隠れ蓑にしたというか、学説打ち立てた側が怪しげな『ゆりかごの死』に乗っかり利権を得たというか
不明な点も見られ、複雑怪奇な事件ではあります
亡くなった5人のうち、1人は2歳を過ぎた健康な幼児であるなど
SIDSとは考えられないケースが含まれ、個人的には殺人だと見てますがね




この本の冒頭に引用された
「発見とは、誰もが目にしていた物事を見て、誰も考えつきもしなかった事を考える事である。」
( * ハンガリー出身のセーケイ人でアメリカ合衆国に移住した生理学者セント=ジェルジ・アルベルトの語)
皆様、興味深いと思いませんか
「殺人の証拠を、誰もが目にしていたのに、母親が我が子を殺すわけないという幻想にとらわれていた」
と換言すれば?




ちなみに、母親による殺人を疑っていた者も、少なからず存在しました
4番目と5番目の子供が入院していた病院の看護婦たちです
「あの子たちを家に帰せば、明日には死ぬ」
それだけの黒い感触を、母親から感じ取り、医師に警告した者までいました
が、思い込み(そして、利権)の前には、命を救う力持たなかった…




この事件が白か黒かに決着つけたい記事ではありません
白と黒の間には、グレーゾーン見られる、そんな物事もある、お忘れなく
一度は常識から離れ、あらゆる可能性を考えてみる必要、時には生じる
看過すると、取り返しのつかない悲劇を招いてしまいかねない

それが、主旨なのですよ
何しろ、毎日のように、子供虐待死ニュースが流されるご時世とあって…




Waneta Hoyt (May 13, 1946 – August 13, 1998)
米国ニューヨーク州シラキュースに住んでいた主婦、ワネタ・ホイト
1994年3月、1965年から1971年にかけて5人の我が子を殺害した容疑で逮捕された
子供たちの内訳は以下の通り(死亡日、名前、死亡当時の年齢)
1965年1月26日 エリック・ホイト(生後3ヶ月)
1968年9月5日 ジュリー・ホイト(生後1ヶ月半)
同年9月26日 ジェイムス・ホイト(生後2年3ヶ月)
1970年6月5日 モリー・ホイト(生後2ヶ月半)
1971年7月28日 ノア・ホイト(生後2ヶ月半)




5人全員、SIDS(乳児突然死症候群)の死因が下されました
SIDSに関する専門的な事はサッパリ。‘赤ちゃんは殺されたのか’を各自でお読み下さいまし
この本に登場する小児専門の病理学者によれば、SIDSは遺伝的素因持たないという
一家に1件以上発症と聞くと、神経をとがらし、3件と聞くと、殺人と断言する
SIDSが1件出た家の隣家で新たに出る方が確率高いとまで
それほど、連続発症はあり得ないのですよ




エリックの死だけならば、たまたまSIDSで亡くなったと考えても不自然と言えないでしょう
ホイト家の子供たちの『突然死』が当時疑われて然るべき理由として、「年齢順に死んでいない」
年齢順だと
長男エリック・ホイト
次男ジェイムス・ホイト
長女ジュリー・ホイト
次女モリー・ホイト
三男ノア・ホイト
となるので、怪し過ぎるというわけです
SIDSというのは、生後3ヶ月~9ヶ月頃が危険率高く、1歳を過ぎるとドーンと低下するそうです
( * 知恵袋長男嫁や、0歳保育を軽く考える共稼ぎ主婦が、如何に愚かであるかですわな
危険な時期を過ぎたって、子供の活動範囲が増えると、最低数年は目を離せない
先天性か後天性か、いずれにせよ、障害児誕生の可能性は誰しもが持つ
あらゆる危険を想定しておく。それが親になる人間としての最低条件
自分の属性を同性親から学ぶべく、異性観を異性親から学ぶべく、育児は男女共同作業ながら
産む性は、「女は決して男と同等に働けない環境や時期を忘れるべからず」
産ませる性は、「妻子の保護が求められる環境や時期には、家族養う一切の責任を負う」
男女の領域は異なるを教育する事こそ、真の男女平等である)

どんなに多産母さんでも、1回産んだら次産むまで、母体の休養も要るだろうし、最低1年はかかりますよね
仮に一家でのSIDS連続発症があり得るとしたって、危険な時期を考えれば
妹ジュリーが生後1ヶ月半で亡くなった時、生後2年3ヶ月と乳児どころか幼児の兄ジミーが亡くなるなんて?
このジミーは亡くなる直前まで、至って健康に過ごしていた
それが、朝食後、叫び声を上げて突然死。肺、肝臓と脳に鬱血が認められた。副腎が小さいと考えられた
…そんなアホな話、どんだけド素人でも信じられますか?




5人全員、彼らを襲ったSIDSが即死とは限らない故に、『事故』は、母親の報告によるものでした
ワネタは裁判の証言台で、ジュリーの『事故』について話した際
「家の外に出て助けを求める時、ジミーにおとなしく長椅子に座ってなさいと言い、ジミーは座っていた」
法廷に戦慄が走ったといいますが、賢明な皆様のご想像通り、「ジミーは、目撃してしまったのか?」
SIDSが考えられない年齢で、妹の死からわずか3週間後に突然死した
2歳にもなれば、ある程度の意思の疎通が図れる…母親に、何か伝えたのか?




「母親による殺人を疑っていた者も、少なからず存在しました
4番目と5番目の子供が入院していた病院の看護婦たちです」
実の所、嘆き悲しむ母親を前にしては憚られただけで
確率的にはあり得ない、ジュリーとジミーの連続突然死当時は特に、近隣で不審がられていたよう
殺人までは思いつかずとも、母親に対して何か疑念を抱いてはいた
ワネタの夫ティムの姉アンなど、連続突然死からわずか半年後の1969年に義妹が4人目妊娠を聞き
「もう3人も亡くしてるのに、また産む?。あんたの頭のネジはどこかユルんでるんじゃないの
子供産む事が務めだと母さんの教えに従った?。あんたの母さんの頭がどうかしてるわ
( * アンは、ワネタの実母がどうしても好きになれなかった)
どうしても子供欲しけりゃ、どっかから貰ってくりゃいいでしょうに」
義妹に噛みついた後、次は実弟にも説教したら
ティムの方は、また子供失う恐怖から、諦めるよう妻を説得したというも、夫婦の力関係で勝てなかったと…




ティムが一度も妻を疑う事は無かったのか?
彼は、妻から言われれば、真夏なのに外で雪が降っているを信じかねないタイプなのですよ
昔々の映画‘ラスト・タンゴ・イン・パリ’(1972年)のマーロン・ブランドのように
妻が自ら命を絶った原因がわからない夫の台詞として
「例え夫が200年生きようと、妻の真の姿を知る事はない」
続けて
「例え宇宙を理解し得たとしても、君の真の姿を知る事は出来ない」
これも、夫婦の一面の真理ではあるものの…




子供が亡くなるごとに、嘆き悲しむ母親の姿を見せたワネタ
母親なら当然と思われるでしょうが、ワネタ自身は否定した彼女の『病気』に

代理ミュンヒハウゼン症候群(だいりミュンヒハウゼンしょうこうぐん、Münchhausen Syndrome by Proxy, MSbP)とはミュンヒハウゼン症候群の一形態であって、傷害の対象が自分自身ではなく何か代理のものであるような精神疾患である。

多 くの場合傷害対象は自らの子供であるため、児童虐待と同列に挙げられることも多い。しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく、手段として傷害行為に 及び自分に周囲の関心を引き寄せることで、自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである。子供が患者の傷害の対象である症例では、患者は傷害を 目的として行っているわけではないとはいえ、行為が反復・継続し、重篤な傷害を負わされる危険があるので、早急に対策を行う必要がある。傷害の対象と患者 を隔離すれば、直ちに「傷害」は改善する。

Wikipedia代理ミュンヒハウゼン症候群より引用 )

考えられるそうです
モリーとノアの入院していた病院の看護婦たちは、ワネタは子供に興味が無いと見ていました
母親は普通、子供を抱き寄せる。ワネタは、遠く突き放す格好で抱く
ティムが病院を訪れ、子供たちを抱くと、怒ったように見ていて、夫にベッタリしようとする
…何かにつけ、自分に関心を集めるためなら、手段は選ばないタイプと考えられますよね
世間の注目を集めた裁判の間も、何やら楽しそうな表情が見られたといいますし…




ワネタ裁判に於いて、弁護側ですら胸にグッと来たのは、検察側の最終弁論でした




「弁護側は政府の強力な権力について話した。わたしたちは権力を持っている
しかし政府の力など、ホイト夫人が5人もの我が子を殺した力と比べ物にならない
ホイト夫人には弁護士がつき、無実を証明しようと奔走してくれる
一方で5人の子供たちには弁護士はついておらず、誰もこの子たちの権利を訴えてくれない
権力というが、それならばタオルや肩で口をふさぐ力は何なのだ?。それこそが強大な権力でないか
彼女は我が子を殺した。だから殺人罪に問われなければならない」




ワネタは自白後、法廷では一転して無罪を主張したが、4件の殺人で有罪となり、75年の刑が言い渡されました
1998年8月13日に膵臓癌で死亡したので、訴追側にすれば刑の重さが堪えない間にの無念ですかね
いや、ノアの死後に迎えられたホイト家養子ジェイが一番、無念極まりないかも
裁判長が判決を言い渡す際、ワネタへの忠告として
「ワネタ、ご主人に、また弁護士に、わたしに、神に、何を話そうと構わないけれど
そこに座っている我が子には責任がある。あなたは彼に真実を告げる義務がある」
ティムはもう成人だ。ワネタと一緒に長い年月を共にして来た
妻の罪、自分の無知と無為という真実に向き合える。離別も出来る。選択肢があるのだ
だが18歳の少年であるジェイには、ワネタが母親であり、彼女を信じるしか道は無い
ワネタはといえば、刑務所で「どうしてここから出してくれないの」と不満、マスコミには無罪を主張し続けました
息子にもでしょうね
息子は母親の言葉を信じるしか無いのに、現実は、母親は監獄に入れられたまま、そして死んだ
どう折り合いつける?
陪審員による有罪評決が出た直後、テーブルに突っ伏して泣く姿のジェイの写真を見ると
裁判長がジェイに言った、「あなたは6番目の犠牲者だ」、ズシリ感じませんかね




なお、ワネタの晩年、50歳前後にして70歳代に見える老化が見られました
長年抱えていた闇がそうさせたのであれば、【復讐するは我に在り】





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2人の娼婦がそれぞれ新生児と一緒のベッドで寝ていた所
片方の母親が自分の横に寝ていた我が子が死んでいるのに気づいた
その母親は夜中に隣の赤ん坊と死んだ子を取り替え、自分の子だと言い張った
もう1人の母親は相手の企みに気づき、互いに譲らず、遂にソロモン王に持ち込まれる争いとなった
王は剣を抜き、赤ん坊を2つに切り裂くから、それぞれ持ち帰るがよいと提案した
本当の母親は赤ん坊の命を救うため、訴えを取り下げた
そうやって王は誰が正しい母親かを見抜き、彼女に赤ん坊を渡した




旧約聖書に、世界で最初の赤ん坊の突然死が書かれているのですな




子供を敢えて危険にさらして、真の親心を試す
ジェイ・ホイトを立たせ、ソロモン王の審判に似た提案をワネタ・ホイトにしたら、どう応えるか?
証拠残さないよう巧妙に児童虐待を繰り返し、通報や児相に噛みつく親に、似た提案したら?
非常に興味湧く今日この頃であります




1989年の米国映画‘バックマン家の人々’に、キアヌー・リーヴスの台詞として
「犬を飼うにも免許が要る場合がある。車の運転や釣りにも免許証が…なのに父親は誰でも無免許でなれる」
親にド突き回され通しの子供時代を回想した言葉
この映画にはもう一つ、「子供は電化製品とは違うわ。欠陥製品の保証書は無いのよ」




「育てられない事情あるならあるで、リサイクルに出すなら出すで
ねんねこや猫が助けになる確率がSIDS連続発症率の低い寒空へ不法投棄でなく、指定場所へ赴きましょうね」
というオチですよ