mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

時代遅れの恋人たちが、永遠に美しい

高倉健さん死去>「不器用な男」日本人の美学重ね
毎日新聞 11月18日(火)11時54分配信

日本映画界最高の銀幕のスター、高倉健さんが10日、83年の生涯を閉じた。俳優の名前で多くの観客を映画館に呼べる数少ない俳優だった。晩年まで、私生活をほとんど公にすることはなく、役柄のイメージの高倉健を観客の心に残したまま旅だった。「健さん」として親しまれてきたのは、役の中での男の生きざまであり、高倉さん自身の生き方も重なって多くのファンが魅了された。日本映画は長年映画界をけん引してきた大きな柱を失った。

【写真特集】甘いマスクで銀幕を彩った高倉さん

高倉さんが人気を不動にしたのは任(にん)きょう映画。1960年代に大人気となった「網走番外地」「日本俠客伝」シリーズなどは、学生運動に身を投じる若者らからも圧倒的な支持を得た。着流しのアウトローが逆境に耐えながらも復讐(ふくしゅう)を果たす物語に観客は熱狂した。多くを語らず、いざという時に体を張って、義理や人情を大事にする姿は、男っぽさの神髄と受け入れられた。

任(にん)きょう映画の減少とともに、高倉さんは人間ドラマやアクション、大作へと出演映画のフィールドを広げた。ただ、過酷で暗い過去をひきずり、大きな重荷を背負って生きる役はその後もずっと続いた。青函トンネル開通に挑む男を演じた「海峡」(82年)、殺人事件を犯し逃亡しながらも母子家族の酪農を手伝う日本版「シェーン」といわれる「遥かなる山の呼び声」(80年)、引かれた女の元情夫が手配中の男と知り職務を遂行する刑事役の「駅 STATION」(81年)など。

武骨で口数は少ないが、人の情を大事にする素朴な男。「幸福の黄色いハンカチ」はその頂点の作品といっていいだろう。愚直なまでのきまじめさ、人生を常に遠回りしてしまい、必死に生きていても損な役回りになってしまう男の姿に、観客は共感と人生のつらさ、悲しみを感じた。

最新作「あなたへ」(2012年)がコンビを組んで20作目となり、高倉さんが最も信頼を寄せる降旗康男監督は同作で「健さんも年を取り、過去の重荷から解放してあげたかった」と話した。さらに、「普通の俳優は努力して人物のキャラクターに入っていくが、健さんはキャラクターを自分の中に入れてしまう。だから、相手とふれあうことでしか芝居が出てこない」。自身を「不器用」と言うのは「それを自認しているからだ」と説明した。

礼儀正しく、人情に厚く、物事の筋を通す性格はずっと変わらない。撮影現場では、若い新人俳優などにも丁寧にお辞儀してあいさつ。緊張感をほぐすために、共演者に気を使うことでも有名だ。12年9月、「あなたへ」がモントリオール世界映画祭に出品された時も、「『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)で最優秀男優賞をいただいたお礼が言いたかった」と80歳を過ぎて同映画祭に参加。得意の英語で受け答えする場面もあった。【鈴木隆

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141118-00000039-mai-soci




け、健さんが…(号泣)。今夜、♪望郷子守歌と♪網走番外地を聴いてお通夜しよう




「得意の英語で受け答えする場面もあった」で思い出した話をば








4本足生えた白黒TVには、1977年頃まで世話になったが
実写版サザエさんは1965年~1967年にTBS系列放映のため
1966年2月1日生まれのmathichenさんは無論、リアルタイムでは知らん
サザエ:江利チエミ
マスオ:川崎敬三( * 「そおなんですよ川崎さん」が元は二枚目俳優って、いまの何歳以上が知ってるだろーか)
波平:森川信
フネ:清川虹子
カツオ:吉原誠利
ワカメ:上原ゆかり
配役が適材適所はわかるから、年齢詐称疑惑消えないのであろう




江利チエミ出演ドラマといえば、1975年5月1日 - 1975年9月25日に放映された‘はじめまして’




開業医の妻子雄作の長男・雄一は雄作の反対を押し切り3歳歳上の中田阿都子(あつこ)と結婚した。実家の医院を継がないまま《ふとんの出前洗濯と乾燥業》を生業とし、二人の子供を儲けてつつましく暮らしていたが、雄一は交通事故に遭い28歳の若さで不慮の死を遂げる。

未亡人となった阿都子は途方にくれ、仕事も手に就かないまま4カ月も仏壇の前で涙にくれる毎日を過ごしていたが、子供たちや弟たちに叱咤され、再び 仕事を続けていくことを決意し、生活費も底をつき今の家でこれまで通りに暮らすには家賃の支払いが苦しいこともあり、心機一転引っ越すことにした。

ところが阿都子の弟・稜の見つけてきた新しい住まいは、偶然にも妻子医院の4件隣のご近所だった。阿都子は反発するが他に条件が見合う物件も見当たらないことや逃げていても仕様が無いからと腹を括って同意する。

阿都子たちは雄一の遺体を引き取ることも出来ず、阿都子は死のショックから葬儀にも参列しなかった。妻子家から月々送られてきた子供たちの養育費も 一切受け取らず返金し続けていた。雄一の妹である右子(ゆうこ)とは付き合いがあったが、雄作とは会ったことが無かった。しかし、引っ越した矢先に、娘の 行(みち)が高熱を出し、困りあぐねた阿都子はやむなく右子を頼りに妻子医院に駆け込んだが、右子は留守で居合わせたのは雄作。これが奇しくも子供たちと 一緒に雄作との初めての出会いとなった。

頑固な雄作とひたむきな阿都子たちが次第に誤解を解きながら歩み寄っていく人間関係を中心に。人のこころの通い合いを描く。

舞台として想定されているのは世田谷区祖師谷大蔵界隈。

Wikipedia:『はじめまして(テレビドラマ)』より引用 )





ドタバタ後、苦虫を噛んだような仏頂面した舅役・山村聰に「はじめまして~」の第一話幕切れ、懐かしいわ~
現在一人暮らしする隣家爺さんのお祖母ちゃんと、毎週金曜日の夕方に、「昨日の‘はじめまして’、観た?」
【アタシ、こんな子どもでした】
酔っ払い予備軍にして何ともオバハン臭かった9歳小学4年生であった。神さんと悪魔両方が呆れる実話ざます




『江利チエミ 初期の名唱集』
江利チエミ テネシー・ワルツ




一昔以上前、大阪朝日放送ラジオ‘歌謡大全集’で、♪テネシー・ワルツ流す前に
進行役・桂南光が、「英語の発音でアメリカ人に評判良い歌手って、江利さんやそうですわ」
そういえば、べかちゃんの師匠である桂枝雀の、同じABCのTV番組‘枝雀寄席’で
対談コーナー登場したダニエル・カールが、「枝雀師匠の英語落語、発音わかりやすいっす」
アメリカ人同士でもね、南部訛りとか全然わかんねえや多いの
下手に正確な発音狙うより、ジャパニーズ・イングリッシュで十分通じるよ」
同感ですな
古い歌手が英語で歌うのを多く聴いたけど、正確な発音意識し過ぎたり、本場歌手のサルマネだったり
チエミおねえさん以外、歌詞聴き取れず意味不明だもん




江利チエミと聞くと真っ先に、45歳の若さで孤独死を迎えたが頭に浮かぶ




江利チエミ

1959年2月16日、1956年の映画『恐怖の空中殺人』での共演が縁で江利チエミと結婚。3年後の1962年、江利は妊娠し子供を授かるが重度の妊娠高血圧症候群(この当時は「妊娠中毒症」と呼ばれていた)を発症し、中絶を余儀なくされ子宝には恵まれなかった。また1970年1月21日には当時世田谷区瀬田(旧・玉川瀬田町)にあった邸宅を火災で焼失するなど、波乱含みの夫婦生活だった。1971年9月3日に離婚を発表。高倉はその後独身を通している。江利は離婚後、1982年2月13日、脳出血と吐瀉物誤嚥による窒息のため45歳で不慮の死を遂げている。葬儀には姿を現さなかった高倉だが、江利の命日には毎年欠かさず早朝に一人でひっそりと墓参、花を手向け、本名を記した線香を贈っていた。

離婚に至った原因も実際は不仲によるものではなく、江利の異父姉が芸能人である江利を妬み、妹を貶めるため意図的に仕組んだ事が原因とされている。 家政婦・江利の付き人として小田家に入り込み、江利からの信用を得て実印を預かるなど、家族同然の立場になると、やがてふたりへの誹謗中傷や 夫妻の財産横領を行うようになり、発覚後も容疑を否定、週刊誌で反論や夫婦の私生活についてリークや誹謗中傷を展開するなど悪質・執拗なもので、挙句に失 踪・自殺未遂騒動を起こしている。結局「これ以上迷惑をかけられない」と江利側から申し出たものである。この異父姉はその後、江利自身により刑事告訴さ れ、実刑判決を受けている。

1962年の主演映画『三百六十五夜』は、東映東京撮影所の所長兼取締役・岡田茂がなかなか芽の出ない高倉をスターにするため、江利・美空ひばり雪村いづみの三人娘と鶴田浩二の共演で企画された作品だった。岡田は江利に「亭主の高倉主演で『三百六十五夜』を撮りたい。当てて高倉に実績を残すためにも、三人娘で色どりを添えたいんだ」とオファーしたが、「いやです。わたしは仕事と私生活を混同したくないんです。亭主は亭主です。そういう映画には出たくない」と即座に断られた。 高倉は岡田から「おまえ、女房になめられてるじゃないか。今後ウチでは、チエミは一切つかわんからな。チエミごときになめられて、勝手なことをやられてい るようでは一人前になれないぞ。おまえが大スターになって見返さんと駄目だよ」と発破をかけられ、奮起を促されたという。

Wikipedia:『高倉健』より引用 )





「いやです。わたしは仕事と私生活を混同したくないんです。亭主は亭主です。そういう映画には出たくない」
格好エエ♪健さんやっぱ男の中の男だ☆
世の亭主族、特に夫婦揃って朝から晩まで育児放棄して貧乏共稼ぎするのを恥に思わん青二才どもよ
「女も経済力を」=「オレ甲斐性無しだから、補填頼むわ」のタカリ屋にして、家事育児介護をオンブ抱っ子
嫁が挌上の場合、スネてDV、あるいは、左団扇パタパタ毎日が夏休み必勝志願
関白宣言以前に、男名乗る資格無いを肝に銘じとけ
キャリアウーマン気取るくせに、親に孫守りなど実家依存症とか、永遠の小娘女房族(ちょい足し参照)もだ
女が甘やかすから男ツケ上がる、つまり日常の苦労は自業自得、亭主を一方的に責める資格無いをメモメモ




チエミおねえさんの柩が玄関を出た2月16日は奇しくも
最期まで愛し続けた健さんとの結婚の際、花嫁衣装を着て実家の玄関を出た日と同じだった
これも一昔以上前に聞いた話によれば
健さんは自分の墓地を、チエミおねえさんの眠る近くに購入したとの事
離婚の原因が何であれ、生前のチエミおねえさんに気を遣い続け、没後には墓参続けた
…別れても好きな人、泣けて来ない?