mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

L'important c'est d'aimer.

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その結果


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‘サン・スーシの女’
この映画、1984年3月30日日本公開
もう30年経った(光陰矢の如し)
そのうち15年以上も悩んでる事(短気なくせに執念深い)
「♪亡命の歌、女声で聴いたが、歌手は誰だ?」




いますぐ思い出せるのは
「動画冒頭に登場する少年は、ロミー・シュナイダーの息子」



継父のビアシーニになついていた息子のダビッドは母の新しい愛人を拒絶し、母に反抗した。母の元を離れ、継父とその両親と暮らすようになり、苦渋と絶望が母ロミーの胸をさらに痛めつけることになった。

1981年7月5日、14歳のダビッドはたまたま留守だったビアシーニ両親宅の垣根を飛び越えたとき、足をすべらせ、鉄製の鋭い角棒に身を貫いて無残な事故死を遂げた。4時間に及んだ手術の後、医師が小声で伝える。「遺憾ながら…」。その瞬間、ロミーの叫びが病院の廊下に響き渡った。ビアシーニが回想する。「何という叫びだったろう。金属のようにカン高い、絶望の叫び。私がこれまでの全生涯で耳にした、最も痛ましい声だった」

数日後の葬儀はアラン・ドロンが手配した。何百通という悔やみ状が届いたが、その中にはフランス大統領・フランソワ・ミッテランのものも混じっていた。黒い大きなサングラスをかけ、実弟に抱きかかえられたロミーの映像が残っている。

ロミーがナチに追われ夫と共に殺害される女性と現代の女性の2役を演じた遺作・『サン・スーシの女』(ジャック・ルーフィオ監督)の撮影はダビッドの死後3ヶ月の1981年10月にベルリンで開始された。何度もロミーの病気や息子の死で撮影開始が延期されたが、その企画の段階からロミーが関わり、自身が演じることにこだわった、楽しみにしていた役であった。
息子の死にうちのめされ、心身ともにボロボロの状態だったが、ロミーにとってはカメラの前に立ってしゃにむに働くことだけが、自分に納得のいく唯一の治療だった。劇中、ロミー演ずるエルザが引き取る少年・マックス役のウェンデリン・ウェルナーとの共演をロミーは不安に感じていた。死んだダビッドを思い出すからである。したがってロミーとウェルナー少年との間は始めよそよそしいものだったが、撮影が進むにつれ、少しずつ改善されていった。ウェルナーとのカットを全て撮り終えたころ、ロミーは少年を自宅に招き、亀のお守りをプレゼントした。 マックスがヴァイオリンで『亡命の歌』を弾き、エルザに微笑みかけるクリスマス・ディナーのシーンでは、痩せやつれたロミーのために何度もドレスの寸法を 直さねばならず、最初のテストの時から感情を昂ぶらせたロミーはすぐに泣き崩れてしまった。何度も同じことが繰り返され、苦心の末ようやくカメラに収める ことができたという。

演劇学校で学んだことがなく、現場叩き上げだったロミーは、「才能は、習得できるものではない。もし才能があるなら、細かい技術はおのずと身についてくる。舞台でどう動くかとか映画でいかに話すか、などということは」という考え方を持っていたため、アクターズスタジオ系の俳優や、その構築的な演技手法とは終生そりが合わなかった。

Wikipedia:『ロミー・シュナイダー』より引用 )






娘のサラ・ビアシーニが、アクターズスタジオ
ったく、天国のお母様の感想を聞いてみたいもんだ
英国の名優ローレンス・オリヴィエが、「演劇学校で基礎学んでおけば、必要無いのに」
役と一心同体型アクターズスタジオ系を酷評したけど
限りなくプロに近いアマチュアというか、いや本当、それほどまでに才能があるなら
役作りの上での技術的な事に時間取られず済むわ




祖母ローザ・アルバッハ=レッティはウィーンのブルク劇場で活躍した大女優
その息子で父・ヴォルフ・アルバッハ=レッティも舞台・映画で活躍した俳優であった
母マグダ・シュナイダーはドイツのアウグスブルクの出身
正確にはオーストリア人ながら、父親が戦時中にドイツ国籍取得したし、娘もドイツ人と言える
ロミー自身は、母親の再婚相手による搾取など、私生活では順風満帆と行かなかった上に
後年、『裏切り』を許さなかったドイツ国民への複雑な感情を抱き続けるものの、ひとまず置いといて
10代で、オーストリア皇后エリザベートを描く‘プリンセス・シシー’に主演
一気に有名となり人気上昇、続編と続々編にも主演し、文字通りのお姫様女優となった
20歳前に、30歳年上である指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの何番目かの嫁候補に挙がったが
帝王の横に飾られるお妃様の役回りに興味示さず話は流れたそうな
…彼女がシシー映画で共演しているカールハインツ・ベーム
カラヤン犬猿な指揮者カール・ベームの息子だけに、何となく笑える…
笑えないのは、ロミー自身ね
「私はシシーなんかじゃない。わかっていたのは私だけ
役として演じはしたけど、私は夢のようなお姫様とは似ても似つかない人間だった」




それだけに






アラン・ドロンとの関係は、家族含むドイツ国民から反感を買った
我らの麗しきお姫様が、フランス外人部隊上がりのゴロツキ野郎などを…『裏切り』の意味よ
当のお姫様は映画題名通り、恋ひとすじに、純情であっただけに
長過ぎた春の結果、他の女に走った彼から捨てられた際には、ガックリ来たのよ




ここから先が、日本のアンチエージング小娘くずれ女優とはスケールが違う
屈辱感をバネにしたのやら、お姫様アイドルから完全脱却、本格的女優としてキャリアを築き上げ
数年後に、自分を捨てたオトコと堂々の再共演、その後も何本か
‘暗殺者のメロディ’(1972年)では、自分を裏切ったオトコを、警察に向かって「その男を殺して!」
愛憎入り乱れる名演だった




ロミーの映画では、‘離愁’(1973年)が特に好き

 


Le Train --- Romy Schneider ----





ギリシャ神話や旧約聖書の時代より、ウッカリ後ろを振り向くと二度死んじゃったり塩の柱になったり
この映画の男性主人公であるジュリアンも、「アンナ?こんな女知らん」とシラ切ったのに…
彼の手が触れた後の、絶望と、地獄(鉤十字)の道連れを得た喜び、何とも絶妙な表情の彼女が美しい
Romy Schneider - Interview Le Trio infernal
地獄の貴婦人(1974年)~「悪」によって美しくなる女 
161cmと小柄で華奢。日本人にもいる感じでしょ
(ちなみに、ロミーは自己紹介用に、日本の出版社が発行したシネアルバムを愛用していたという)
目と目の間が離れ過ぎる、決して美人じゃない、それが何たる存在感よ…




佳人薄命ですな、1982年、43歳の若さで亡くなった。記憶の中の顔と姿は、若いままだけどね
アンジェリーナ・ジョリーに似てると言われるmathichenさん、自分ではロミ・シュナイダーに似てると信じる
気づけば、ロミーより5年長く生きてる48歳の秋を迎えていた…意味不明に泣ける




フランスのアカデミー賞であるセザール賞を2度受賞したロミー
1984年、将来有望な若手女優に贈られるロミー・シュナイダー賞(Le Prix Romy Schneider)が創立された
フランス人の方でも、もうドイツ女優でなく、フランス女優の認識だったのね
婚約50年目に当たる2008年の授賞式には、アラン・ドロンが登場した
破局後も長く交流続け、ロミー死後に彼女の醜聞ネタ知った時には、敵を焼き討ちにしたという
彼との葛藤劇が、彼女を女性として女優として成長させたとはいえ、彼が極悪野郎の役回りには?
ただのイケメンにゃあ逆立ちしようが天地逆転しようがムリな、正真正銘の男前を誇示する貫禄じゃん
ハッキリ言って昔から好かんものの、オンナらしく潔く認定☆
…ここ数年、「セスクと似てる」に気づいて以来、隠れファンであるも自爆しとく…(潔いだろぉ)




記事題名は、1974年ロミー主演映画より
このフランス語わかれば
ハリウッド女優なんて小便臭い小娘で、後世に残るだけの女優に何が重要不可欠か知れるわな
「重要なのは、女である事。商売上の駆け引き抜きに愛する意味を知らずして、人生の機微を描けるものか」