mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

復讐するは我に在り

ココYahoo!本館以外は放置するほど、メンドクサガリ中のmathichenさん
本館でもね、アタシの都合と気分が最優先、返信より更新が先だったりする、ドイツ代表見習う極悪非道管理人
今日とて、思い立ったが若年性ボケ故に忘れんうちの更新をば




一昨日の汚宅1階部分一部片付けの後始末、これまた放置中
だってぇ、クタビレMAXに追い打ちかけるように





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2012年8月7日作成の、その翌月催される和歌山病院内施設入所者保護者懇親会案内だけど
8月の和歌山病院では、第一水曜日に花火会が催されるのが年中行事の一つ
毎年7月いま頃に案内状が届き、昨日またクタビレ度合いが…(半泣き)




御坊花火会といえば、 2013年8月9日アメブロ別荘に於いて
【極東の戦乙女、真夏の夜の神聖なる妄想劇】
http://ameblo.jp/mathichen17/entry-11589435032.html
「マジ疲れてんのよ
水曜日に、惨暑の中、和歌山くんだりまで行ったもんでさ
ま、その結果、アメブロ別荘記事に繋がるネタ浮かんだ、シンドイの我慢しよっと」




今年は花火会まだ行ってもいないのに、マジ疲れてる
ま、その結果、Yahoo!本館記事に繋がるネタ浮かんだ、シンドイの我慢しよっと
妄想劇記事を大幅に脚色した、一応はオリジナル記事でやんす
5千文字制限から2万文字まで投稿可能にしたヤホージャパン有難うさん(珍しくお上を誉めた)
閲覧者の皆様、当記事読むだけでもおクタビレMAXだろうけど、余力とお暇あるなら
【極東の戦乙女、真夏の夜の神聖なる妄想劇】、上段にペタリしたURLからアメブロ別荘へ飛び
神話じゃら何じゃらを引っかき集め、自分の気の済むように脚色し、独自の神話作り上げたワーグナー
その域に達する可能か、mathichenさんの脚色能力判断お願い致します
昼間食ったもん見せびらかすしか能無い、そのくせいいね!欲しがる、おバカ系SNSのくせに
後世へ残す物持たん分際で自分語りバカにする、売れ残り確定ゆとり世代因業小娘どもには真似出来んもね




アタクシからカネ、CD&DVD借りたまま消息不明になっちまっていた、1954年生まれワーグナー師匠格
今春、2年ちょいぶりに向こうから連絡あり、生存とCD&DVD保存は確認出来た
「悪い思うんやったら、トーマスだけでも返せ~、アホボケカスッ」と、電話で怒鳴ったまではいい
ジェス・トーマス=ヨゼフ・カイルベルト指揮バイエルン国立歌劇場ニュルンベルクのマイスタージンガーCDよ
新幹線乗る必要ある遠方なもんで、そう簡単には貸したカネと合わせた取り立てに行けないのが(泣)
取り敢えず、貸した金額は死んでも生まれ変わっても忘れんが、貸したディスク類内訳は忘れたので聞くと
子供イビリ描いた松本清張小説の、ビートたけし黒木瞳が夫婦役ドラマ、日本テレビ版DVDあるわ」
2002年10月15日21:03-23:24に放送された、火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品
本放送は確かに観たものの、DVD買ったとは…夢にも思い出さなんだ~




子供イビリ描いた松本清張小説(以降、清張ドラマ)といえば








原作は、‘別册文藝春秋’1957年4月号に掲載された後
1957年12月に短編集‘詐者の舟板’収録の1作として、筑摩書房から刊行された
1978年に松竹で映画化、2002年にTVドラマ化されている
YouTubeは、映画版の予告編




昨年だっけ、清張ドラマにちょっと調べたい事あってのYahoo!検索中、あるYahoo!ブログに行き着いた
ブログ管理人さんは原作未読のため、初めて接した映画版の強烈さに、長年トラウマ抱えた模様
愛人役の小川真由美は同じ野村芳太郎監督の‘八つ墓村’の時から、顔見ただけでビビるほど怖いが
嫁役の岩下志麻はどんだけ、亭主が他所でこしらえた子供たちイビリ回したやらの戦慄度数200%
映画観た人皆トラウマ抱える、無理おまへん話ざます
原作読んだ方なら、ド派手なイビリ場面描かずとも成立する物語であるをご存知でしょしね
ブログ管理人さんとmathichenさんに共通したのは
「何でもありみたいな昭和から、ファブ○ーズ仕様の物喜ばれる平成へ移って以来
陰惨な物語でも小綺麗に描かれ、問題をどぎつく深く追求しなくなった
子供の人権無視は、過去の問題じゃない
日本全国津々浦々、連日のように起き、幼い命喪われるニュースが報道されている
クサイ物に蓋せず解決望むためにも、映画版を昭和からの教訓として、後世へ残すべきだ」




ブログ界北島マヤですが、何か?~古い悪魔との邂逅~】
2012年2月1日、「さあ♪46歳誕生日祝ってくれ☆」記事中に




これでも、小学校卒業文集に『将来の夢:作家か俳優』
1979年頃から1980年代半ばにかけて書いた物語の構想が残されております
原稿用紙の一部や、ノート類。そこから引っ張り出し、あーでもないこーでもないと遊んでいた次第




なお、2006年以来、先のが完成していないのに別の構想まで浮かぶ始末








子供イビリ描いた松本清張小説に、シェークスピアの‘マクベス’の要素を絡め
ドルトムント市井を中心としたドイツを舞台に繰り広げられる愛憎劇
♪garde-moi la derniere dance(ラストダンスは私に)、♪時の過ぎゆくままにが主旋律




…仮に映像化されたら、どんな傑作なんでしょうね( ̄ー☆
何なら現代版マクベス夫人役を自分でやってもΣ\( ̄ー ̄;)(=◇=;)




ワーグナー師匠格曰く、「子供の人権や保護に関する考え方をクリアすれば、現代ドイツ版可能」
東洋では、兄姉が弟妹をお守りする鍵っ子文化が、いまでも辺境に行けば見られるのに対し
西洋では、子供だけで家に居ると、フランスでは4時間超えたら?、育児放棄と見なされ、警察が飛んで来る
東西の文化の違いを踏まえた脚色すれば、アホな中年男女の愛憎劇ドイツ編描けるいうのよ




ところで、mathichenさんは何故、清張ドラマに拘るのやら、さて?ハテ?
薄々は気づいていたものの、「コレ関係しとる」と認めた物、それは、『ワーグナー





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YouTubeは、バイロイト音楽祭の♪ワルキューレ、第三幕『魔の炎の音楽』
1976年初演、1980年映像収録された、パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮
バイロイト音楽祭100周年記念演出の♪ニーベンルグの指環四部作第一夜幕切れ部分




ワルキューレの騎行ならぬ、mathichenさんの奇行として
何時でも何処でもブログのネタ考えてる、一番に挙げられるが






















和歌山病院行き帰りは通常、電車内ではビールや弁当飲み食い、バスやタクシーの車内ではウタタネながら
本館へケータイ投稿してるのを見ても、やっぱブログネタを考えてるのよね
もっとも昨年の御坊花火会、その行き帰りの道中では、少し趣が異なった
バイロイト、今年は、指環新演出やな。ドラえも~ん、どこでもドア貸しとくれぃ」
ワーグナー、指環、♪ワルキューレを徒然なるままに考えていた
その結果…




D. Polaski & F Domingo "Final Scene" Die Walkure Act 1
神さん夫婦の亭主が人間界で製作した双子の兄妹が駆け落ちした
Die Walküre Akt 2 Fricka Wotan
「妹は亭主持ち。不倫じゃ。アタシの領分よねぇ。結婚の守り女神だもーん」
兄を妹の亭主との決闘に負けさせろと迫り、ムリヤリ同意させちゃう




ワルキューレ第二幕、清張ドラマと似通ってますわな
人間の夫婦、神さんの夫婦、どちらも子供いない
亭主には、他所で作った子供がいる。人間の方は、二男一女。神さんの方は、双子+9人のワルキューレ娘たち
印刷屋亭主は、女房に仕切られ、女房による次男殺害を見て見ぬふり、娘を捨て子と長男を海にポイ投げ
神さんは、これまた女房に怒鳴られ、自ら手を下さないものの、唯一人の息子を見殺し
どちらの夫婦も最終的には、警察の捜査開始、神々の終焉と、破滅を迎える




アタクシの、1979年頃から1980年代半ばにかけて書いた物語の構想
これ、いろんな要素含まれていて、♪ワルキューレもその一つ
どんだけ好きなのよと自分でも呆れるのに、清張ドラマが♪ワルキューレに繋がるとなると、重症だ
…そこをようやっと自覚したのよ
和歌山駅から御坊駅に向かう紀勢本線車内でさ




どんだけ、凝れば気が済むのか?
覚醒の瞬間、清張ドラマ原作を脚色に当たり越えねばならない弱点の解決法まで、頭にパッと浮かんだ
何が、弱点か?秘密

パクリは文化でも、パクラレは困るわいっ
この精神に則り、自ら口にするのは御免で~すってば





ま、ケチケチしても悪い、♪ワルキューレおたくが重症過ぎる証拠を一つ
ただしパクラレ防止のため曖昧模糊な書き方、わかる人に理解出来りゃOK




ワルキューレ、ひいては♪二-ベルングの指環全体に関わる、神さん父娘の謎まで解けてしもた
ヴォータンと智慧の女神エルダの間に生まれた、ヴォータン最愛の娘ブリュンヒルデ
彼女を文字通り『ヴォータンの娘』と解釈するせいで、神々の終焉に繋がる本質が見えなくなる
ブリュンヒルデを、『ヴォータンの花嫁』と解釈すれば、謎は一気に氷解する
フリッカだって亭主に言ってるじゃん、ブリュンヒルデが「あなたの望みの花嫁である」ってさ
娘を花嫁にかい?駆け落ちする兄妹の親父やぞ。恐ろしか正妻おらなんだら、とうの昔に手を出しとるわ
米国の心理学者の著書に、ピグマリオン・コンプレックスの一例として挙げられてるんだけど
説明はアタクシには難しいので書かない、ただまるっきり的外れではないと思う
ブリュンヒルデはヴォータンの意志を表現する媒体であり、娘が意志持つを認められない
娘の訴えを反逆と取るのは、言わば自己否定に走るに等しい
ヴォータンは我欲に呪縛され、ブリュンヒルデはヴォータンに呪縛され、世界の破滅を招くのよね




…♪ワルキューレ幕切れ、父娘の情愛のはずなのに、素直に観聴き出来なくなった、今日この頃ざます
末期的症状だ。人生約半世紀だが、本当に半世紀迎える前にお呼びかかりそうだ
物語二つの完成、清張ドラマ原作の脚色、♪ワルキューレ演出は叶うのやら
あ、言い忘れたけど、アタクシは演出家志望でも~




エ?
「…仮に映像化されたら、どんな傑作なんでしょうね( ̄ー☆
何なら現代版マクベス夫人役を自分でやってもΣ\( ̄ー ̄;)(=◇=;) 」
清張ドラマの悪魔のような嫁役演じるのが夢なんやろ?そこへ、♪ワルキューレ演出まで?
アナタ大事な点を、この記事がmathichenさん恒例の長文とあって、もお忘れてる
「これでも、小学校卒業文集に『将来の夢:作家か俳優』
作家、こちらは、物書き分野ではブログが曲りなりにも達成した
映像分野がね、未だし
舞台、映画どちらか、オペラ演出に興味ある、出来れば男前の、専門教育受けた一団いない?
セスク級男前以上の男前の演出家志望なら、アタクシゃ演出助手に徹する用意あるわよ
ワルキューレの他、現代ドイツ版清張ドラマ映像化、共同制作しませんか?どお?




…昨年の御坊花火会行き帰り、暇持て余したせいでの妄想劇、神さんと悪魔にかけて実話でやんす
ん?行き帰りだけじゃなく、花火会本番中もか?





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和歌山病院内施設の保育士他のお兄さんお姉さん、花火会イヴェント頑張ったのよ
そりゃ評価しとく。評価した上で、一言
「魔の炎、無理な相談???」(・・;)




最後に(と言いつつ、記事1本出来る長さ)




清張ドラマ、最後が、原作と映画では違うよね
息子・利一の持ち物(石版印刷に使用する石材のかけら。利一はこれを石蹴り遊びに使っていた)から足が付き
警察の捜査が、父・宗吉の印刷所ガサ入れに及ぶ、それは原作と映画どちらも同じ
原作は、捜査が始まった所で幕切れを迎える
映画は、殺人未遂の容疑で警察に拘束された宗吉が、利一と面通しさせられる
利一の「知らないおじさんだよ!」と否定、これは、親父を拒絶、守るのいずれとも取れる
そんな利一に宗吉がすがりつき、後悔と罪悪感で号泣するのは、正直な感想、「アカン」
映画ではどうだったか忘れたけど、原作では嫁のお梅が亭主に、子供たちが一人も父親似でないのを指摘する
宗吉自身、愛人の菊代と知り合うきっかけ作った知人の子種では?と疑っている
罪悪感覚えながらも、「オレの子じゃない」と自分に言い聞かせ、良子の捨て子、利一の殺害を敢行する
「オレの子じゃない」の時点でもう、実父としても名乗る資格自ら捨てた、後悔なんてしなさんな
後悔しないからこそ、人外の存在なんでしょ
宗吉のモデルになった骨董屋は、在獄中に正気を失っての死を迎えたという
嫁に責められ続けの鬱積からか、罪悪感と後悔が限界に達してか、同情の余地あったにせよ
無垢なる子供たちを葬ろうとした行為に、酌量の余地は無く、人外の存在そのものだしね
「せやから、泣かせたがりの松竹映画に、ドライな清張物は向いてへんねん」
ワーグナー師匠格と、やっぱ泣きを入れた‘砂の器’と合わせ、清張ドラマ幕切れを酷評したもんだ




ワルキューレのヴォータンとて、ジークムント見殺し決めた時点で、父親の資格無し
ラインの黄金泥棒した小人アルベリヒから指環ドロボー猫と、神さんが横紙破りした報いから始まる呪いを
不幸続きをくぐり抜けて男前に成長したのに、よりによって親父に殺されるようなもんのジークムント思えば
「世界の滅亡は他ならぬ、ヴォータン、神さんであるアンタの責任や。誰にも文句言えんで」
文句あるのであれば己自身に向かって言え、ちゃいますかね




以上2段が、当記事題名に、清張ドラマ映画版主演・緒方拳の、翌1979年主演作よりパクリの理由です