mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

青年老い易く、されど才人は円熟し、名声を得る

ブラジルW杯を制したドイツ代表の栄華に酔い痴れ、寝不足と祝杯ボケのmathichenさん
世帯主ジジィの後始末付ける用事ある、でも今日慌てんでいいと静養中
そこへ意外な訃報、思わず起き上がりの更新をば



<訃報>ロリン・マゼールさん84歳=米指揮者
毎日新聞 7月14日(月)18時47分配信

ロリン・マゼールさん84歳(米指揮者)13日、肺炎の合併症のため米南部バージニア州の自宅で死去。

フランス生まれ。幼時よりバイオリン、指揮の才能を開花させ、作曲家としても知られた。ウィーン国立歌劇場総監督などを歴任し、2002年に米ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督に就任。08年には同フィルの平壌公演を成功させた。11年の東日本大震災後には公演キャンセルが相次ぐ中、被災者を励まそうと来日し、東京交響楽団を指揮。来年にはその再演が計画されていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140714-00000068-mai-peo



100歳なっても、精力満点で指揮台立ってる。そない思うてたんやけどな~

ヤクの売人っぽい風貌=不老長寿のクスリ持ってるとばかり…





黒社会の親分いうほどの貫禄は無いが、幹部には立身出世果たすやろ的御姿、コチラより色々確認どーぞ




1930年3月6日生まれ
1950年代後半から1960年代前半に躍進見せた、当時は若手であった1930年代生まれ指揮者の一人




青年期、そしてデビューへ
ピッツバーグ大学在学中はピッツバーグ交響楽団の一員として活躍する一方、弦楽四重奏団を結成したりもした。1952年、フルブライト奨学金の試験に合格したマゼールはイタリアに渡り、バロック音楽を研究する日々を送る事になる。その翌年カターニアでヨーロッパデビューを飾り、1960年にはバイロイト音楽祭に史上最年少でデビュー、フェルディナント・ライトナーと交代で「ローエングリン」を指揮した。1963年にはザルツブルク音楽祭にデビュー、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサートでは、ヴァイオリンを弾きながら指揮をする「弾き振り」で話題となった(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番)。

1965年にはベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(旧西ベルリン、現在はベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督(どちらも早世したフェレンツ・フリッチャイの後任)に就任。1972年にはジョージ・セル死去後空席となっていたクリーヴランド管弦楽団音楽監督に就任した。1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に昇りつめ、またニューイヤーコンサートの指揮者を務めるなど(1986年まで。以後もたびたび出演)順調な指揮者人生を極めつつあった。ニューイヤーコンサートは現在年ごとに指揮者を選任するスタイルとなっており、レギュラー指揮者は今のところマゼールが最後であるが、前任のボスコフスキークレメンス・クラウス、ヨゼフ・クリップスがいずれも生粋のウィーン生まれでウィンナワルツを得意としていたのに比べ、外国人でこうした曲種から縁遠いイメージがあったマゼールがこの座に迎えられたことは意外性をもって受け止められた。しかし、あえてこの人選に踏み切ったウィーンフィルからの強い信頼にこたえ、同コンサートをいっそう国際的に飛躍させるために貢献した。

挫折、そして復帰へ
しかし、1984年にウィーンのポストを追われてからは、それまでとは一転して、マゼールの指揮者人生に波乱の影がさしてゆく。 この時期のマゼール最大の挫折は、ヘルベルト・フォン・カラヤン辞任後の後任を探していたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督のポストを逃したことであった。マゼールは、ベルリンフィルとはカラヤン就任直後の1950年代半ばからドイツグラモフォンにレコーディングを行うなど30年来の関係であり、1960年代には西ベルリンの残る二大団体(ドイツオペラ、放送交響楽団)を長らく統率して市民にも馴染みが深かった。マゼール自身、「自分が間違いなく選ばれる」と思っていたこともあり、「新音楽監督マゼール」というムードが広がっていたが、結果として選ばれたのはクラウディオ・アバドだった。マゼールの落ち込みようは凄まじく、以後1999年までベルリン・フィルの出演要請に応えなかったほどであった。しばらくの間はバイエルン放送交響楽団と古巣のピッツバーグ交響楽団音楽監督を務める傍らで、1994年からはニューイヤーコンサートに復帰。またヴァイオリニストとしてのCDのリリースや、作曲活動の開始など落選の傷を癒すかのごとく活動の場を広げた。音楽活動の一方で、環境問題への提言や国際連合諸機関に対するチャリティー・コンサートに取り組むなど慈善活動も活発に行うようになり、国際連合からは「国連友好大使」の称号を、またフランス、ドイツ、イタリアなどからは各国の最高級の勲章を授与されている。

Wikipedia:『ロリン・マゼール』より引用 )





1933年生まれのクラウディオ・アッバードもこの間亡くなった
引用の下線部分に関する嫌味を冥界で垂れるのかしらん
ベルリン・フィル音楽監督決まった1989年当時、フラれたウラミツラミ並べてた記憶ある
マゼールさん、お待たせ~。ささ、鬱陶しい爺さん片付いたし、次は、若くてイケメンの貴方が御主人様よぉ」
思わせぶりな小猫ちゃんの猫ナデ声に、自信過剰も手伝って気を良くし、周囲にも自慢していたのに~(怒)
…上2行に書かれたような邪推を、知り合い何人かと話したもんだ
クラシック業界もフットボール業界に負けず劣らず、陰謀、深謀遠慮etc.の働く、清廉潔癖と行かない世界
mathichenさんの推測では、マゼールで商売なるか?の他に、楽団がオトナしい指揮官を望んだも
考えてみましょ。中身は空やんだろうが帝王カラヤンの後釜よ
独裁者や、脂ぎった饒舌ビジネスマン、そんなタイプに、楽団は疲れてたんじゃないの
アッバードとて…ながらも、彼はオレ様タイプじゃなく、柔軟性が高い
アッバードがかつて音楽監督務めていたミラノ・スカラ座
音楽監督比較を、リッカルド・ムーティとの比較を、スカラ座楽団員に聞くと
「自分の意思を楽団に浸透させる、それは、アッバードもムーティも変わらないんだけどね
アッバードは、我々楽団員と話し合い我々の意思も尊重する形
ムーティは、自分の意思と作曲家原典主義を一緒に要求する形
どちらの指揮官が楽団員にとって、息苦しさを感じず、プライド守れる?」
ベルリン・フィルだって、同じと見た
アッバード後任にサイモン・ラトル選ばれたを見て、「やっぱりね…」の感を深めた
ラトルは、何回か実演聴いたけど、マゼール同様、男にしてはシャベリの部類に入る
マゼールは30年ほど前、ウィーン・フィルニューイヤーコンサート日本初生中継の際、日本語の挨拶したが
ラトルは、アンコール曲名から、花束くれたmathichenさんにまで、オール日本語だったからね
如才無いにかけては、マゼールといい勝負ではある
が、1955年生まれと、指揮者としては若造であるのが、長い伝統誇る名門に新しい息吹をと判断したのでは?
何事につけ中途半端なマゼールじゃ、ベルリン・フィルから帝王の残した要らん遺産を一掃難しかったと思う




お通夜代わりにマゼールの録音聴こうと思ったものの
マゼールの録音、mathichenさん何か所有してたっけ?
CBSソニー録音のプッチーニ蝶々夫人、これテンポ重く、W杯疲れ深まる、ある晴れた朝には止めとこ
美女ヴァルトラウト・マイアーおねえさんの伴奏したワーグナー・アルバム、何故か行方不明中(泣)





Maazel in rehearsal - Wagner, Siegfried, Götterdämmerung (Berlin 1967)
Clip of a rehearsal under Lorin Maazel for the Sellner-Ring in West-Berlin in 1967.
The singers in the video are: Josef Greindl, Wolfgang Windgassen, Claude Heater and Gladys Kuchta.




ベルリン・ドイツ・オペラ初来日した1963年、♪トリスタンとイゾルデ日本初演を指揮した
来日公演の他演目、♪フィガロの結婚、♪フィデリオ、♪ヴォツェックの放送録音は、1993年に発売された
トリスタンだけ何故、仲間外れ?
ゾルデ歌うのがグラディス・クフタ、↑の動画でブリュンヒルデ歌うGladys Kuchtaだから?
地味なポーランドアメリカ人じゃ、ビルギット・ニルソンという名の大物スウェーデン人のような価値無い?
それともやっぱ、フィガロフィデリオ振ったカール・ベーム爺さんと対照的な、当時は若造マゼールのせい?
(それ言うんやったら、ヴォツェック振った、地味過ぎる職人指揮者ハインリヒ・ホルライザーは?)
ついでに書くと、書く自分自身ですら意味不明ながら
「録音から舞台は見えんけど、そのトリスタン演出したの、ヴィーラント・ワーグナーじゃ
マゼールを1960年バイロイト音楽祭に史上最年少でデビューさせてやったんやぞぉ
若造の面子はほっといたかて、聖地の作曲家孫息子、その面子は守ったらんかい~」




バイロイト方面へは、「ヴォルフガング演出の指環、何故、いまからでも正規CD発売しないの?」
マゼールの指揮した♪ニーベルングの指環の事よ
1960年代後半から1970年代、1980年代前半のバイロイトって
ニルソン、ベームなど大物が去った後の小粒感が拭えない影響か
正規レコード発売された演目少ないのには、当時は小物、後年は大物となったルネ・コロも不満述べてたわ
ヴォルフガング父ちゃん亡き後を継いだカタリーナちゃん、音楽祭の抜本的改革も必要だけどね
音楽祭維持するには、カネ要る。過去の遺産にも良い物多い。遺産で食って許される部分ある
1970年頃のブリュンヒルデ、小物スウェーデン人ベリト・リンドホルム、音程何処にあるの?に我慢する
マゼ-ルは、音楽祭水準をいまほど落とさず維持し、次の世代の指揮者や歌手へと受け渡してくれた
感謝の念を追悼に込め、指環の正規CD発売してよぉ