mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

「大本営発表と太鼓持ちと洗脳された臣民」の代表

ニッポン時間の明日午前5時ですな♪
青いフナ侍阿鼻叫喚を楽しみにしてるのは約1名、極東系独逸乙女mathichenさんだけでしょけどね~
 
 
 
 
【W杯】日本代表の停滞を招いたサッカー媒体の堕落。1敗1分は“メディアの敗北”である
フットボールチャンネル6月24日(火)15時47分配信

広報化するサッカーメディア
 明日早朝、コロンビアとの一大決戦に挑む日本代表。厳しい状況ではあるが、可能性は残されている。最後まで諦めずに戦って欲しいし、良い結果になることを願って止まない。

 だが、コロンビア戦を前にどうしても書いておくべきことがある。それはメディアのあり方だ。この試合の後になってしまっては勝利の余韻、あるいは敗北の懺悔でうやむやになってしまう。遅きに失した感はあるが、これを逃すともうこのタイミングはやってこない。

 コートジボワール戦、ギリシャ戦での停滞はなぜ生まれてしまったのか。要因はさまざまある。キャンプ地の是非、監督の采配、選手の戦術理解、4年間のチーム作り……。その一つにメディアも含まれる。

 ザッケローニ監督が就任して以降、メディアとしての責任を果たせた媒体がどれだけあるだろうか。私自身を含めて、反省すべき点は多々ある。一部の記者を除けば、選手や監督の言葉はただただ垂れ流されているだけだ。

 取材時も鋭い質問をする記者は少ない。耳を傾けることはあっても、選手に同調してばかりで指摘することはあまりない。日本サッカーは成長過程で、未熟だ。だからこそメディアが日本サッカーの成長をうながすための役割を担わなくてはならない。

 取材をして、「あーそうですね。なるほどなるほど」だけでは、情報は伝わるかもしれないが、選手の成長は期待できない。ただ一般読者に伝えるだけなら広報でいい。今のサッカーメディアの多くは単なる広報媒体に成り下がり、メディアとしての責任を果たしているとは言えない。

必要だった岡崎への厳しい指摘
 試合後、あるいは練習後の取材で時には厳しい指摘をすることも必要だ。選手が顔をしかめたとしても、それが選手のためになるならば迷わずやるべきだ。記者との厳しいやとりが選手を育てる。それで潰されるようなら、それまでの選手だということだろう。記者のプレッシャーに負けるような選手が、W杯のプレッシャーに勝てるはずがない。

 岡崎慎司コートジボワール戦後にこんなことを言った。「勝たなくてよかったと、正直、今は思っている。あのまま勝っていても、得るものはなかった」と。真意はどうあれ勝つことが最重視されるW杯でこのような発言をしてはいけなかった。

 私は直接聞いたわけではないのでやりとりは不明だが、記者は一言「岡崎選手、それは違うのではないですか?」と指摘すべきだった。得るものは間違いなくある。勝ち点3と決勝トーナメント進出への扉だ。

 ある媒体には「日本代表をポジティブに見るべき」という主旨の記事が掲載された。確かに一理ある。勝利のために選手・監督・協会・サポーターが一丸となって戦うことは必須条件だ。だがそこにメディアが入ってはいけない。

 臭いものには蓋とばかりにはネガティブな部分を論証せず、4年間、ひたすらザックジャパンをタレントのように持ち上げてきた結果がW杯での1分1敗だ。ポジティブに、建設的に見る一方で、メディアであるなら冷静に客観的な姿勢を忘れてはならない。

 フットボールチャンネルは比較的厳しいスタンスで代表について報じてきたが、それでも十分ではなかったと思う。例えば、吉田麻也。6月7日にブログを更新し、自分が出演する番組の宣伝をしていた。戦う気持ちになっていない。しかし、特に指摘することなくやり過ごしてしまった。
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例えコロンビアに勝利してもメディアとしては敗北
 サッカー界には「サッカーファミリー」という言葉がある。明確な定義は不明だが、同じサッカーを生業にする者、サッカーを好きな者同士、みな家族。そんな意味合いだろうか。それ自体は素晴らしい言葉だ。しかし、信じられないことに、メディアにも「ファミリー」の一員であると思っている人間は多くいる。

 メディアとは公平で、冷静でなくてはならない。取材対象者と“ファミリー”になっては、厳しい指摘ができようもない。もちろん選手に嫌われる可能性もある。だが、それを恐れるばかりにイエスマンになっては、日本サッカーの成長は望めない。

 持ち上げるだけ持ち上げて、大会後に結果が出ないと総叩き。それこそポピュリズムの最たるもので、まったく生産性がない。「ポジティブになるべき」「ネガティブになるべき」、このようなどちらかに傾倒する空気感こそが危険だ。

 真実を正しく報道する。それこそメディアに求められることで、それ以上でも以下でもあってはいけない。たかがメディア、されどメディアだ。ペン1本でできることは限られているが、やるべきことは多い。

 サッカーを追う記者の中にも真摯な姿勢で報道活動をする者は間違いなく存在する。私は何人も知っている。だが、残念ながら大勢に押されている。今はWEBが普及し、多くの人に記事が読まれる時代だ。情熱を持った記者の原稿は、あふれるばかりの“垂れ流し記事”に埋もれることも多い。ある意味、数の暴力。第二の一億総白痴化は近付いている。

 コロンビア戦はどのような結果になるだろうか。もちろん勝利することもあるだろう。その先に進むことも十分可能だ。それは選手・監督の奮闘、そしてサポーターの熱烈な応援によるものに他ならないが、メディアが役割を果たしたからではない(胸を張っていい記者は一部だ)。

 ザックジャパンの4年間の総括は大会後にすべきだ。だが、メディアとしては総括してもいいだろう。自力突破の可能性なく3戦目を迎えた。これはメディアとして敗北の結果と言っていい。
 
 
 
 
「勝たなくてよかったと、正直、今は思っている。あのまま勝っていても、得るものはなかった」
 
 
 
 
真意はどうあれ、2014-2015ブンデスに居残っていても、腑抜けなキミに得るものは何も無いよっての
…上の行、岡崎の感想を読んで「バカじゃね!?」と思ってたもんで、書いてスッキリした~
 
 
 
 
「この試合の後になってしまっては勝利の余韻、あるいは敗北の懺悔でうやむやになってしまう。
遅きに失した感はあるが、これを逃すともうこのタイミングはやってこない。」
 
 
 
 
2018年ロシアW杯出場叶うとして、mathichenさんが52歳で存命の保証ありゃせん
だもんで、記事題名言いたさ更新した次第でやんす
お祭囃子メディアの責任は大きいものの、利用する側とお囃子に合わせ浮かれ調子踊る側の責任もあるじゃん
 
 
 
 
スポナビ様おうじの『洗脳されたサポーター達。』、あのインパクトに勝てん気するのが口惜しや~
(2008年11月の記事とコメント欄を大半覚えているアタシの記憶力、それが一番怖いとも思う)