mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

楽に寄す猫たちの競演

Tout de toi bon matin aimer mathichen
Est-ce que le GW agréable est été venu avoir?
le mathichen était fâché contre plus bas GW et était le coeur
Liverpool, en premier le championnat de la ligue domestique dans 24 années diminue et...
... lequel un seul vandale fait si une ville du parvenu gagne le championnat à cause d'un pauvre club !
 
 
 
 
mathichenさんを愛する皆様おはようございます
楽しいGWをお過ごしになられましたか
mathichenさんは、サイテーのGWに怒り心頭でした
リヴァプール、24年ぶりの国内リーグ優勝が遠のきまして…
貧乏クラブ故に、成金シティ優勝したら、独りフーリガンしてやる~
 
 
 
 
ヴェンゲルさん介護係なのに、目下、そのヴェンゲルさんに介護して欲しい心境にあります
で、ヴェンゲルさん母国語である仏蘭西語の絶叫してみました(ヤホー翻訳頼みだけどね~と自爆な自白)
 
 
 
 
フランス語使用の背景には、もう一つ
 
 
 
 
 
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『メガネの三城 CM 1988年 ジェームズ三木』(駄ジャレ水準低い。mathichenさんに入門せい)
三城はmathichenさん御用達でね、昔っから「パリといえば?:その壱」なのよ
ついでに、「パリといえば?:その弐」を書くと、女優の岸恵子
岸恵子といえば、‘赤い疑惑’(中国語わからへんけど、話はわかってるんで問題おまへん)
モモエちゃんの、パリの叔母様、実は生みの母が、第1話で、17年ぶりの日本里帰りする
で、第何話か忘れたけど、白血病により余命数ヶ月のモモエちゃんが、17歳の人生最初で最後のパリ旅行へ
それ観たのが、当時9歳のmathichenさんが、パリなる街を意識した最初であった
 
 
 
 
「人生約半世紀、余生短くなった現在も、モモエちゃん大好きだも~ん」の証明は上段にとどめて置いて
 
 
 
 
眼鏡かけなくたってシッカリ見えるのは、男前以上の男前セスクだけというほど、視力悪いmathichenさん
ウチの元料理番、「眼鏡だけはケチるな」、生後2週間目に眼科デビューしたmathichenさんを説教し続けた
過去に何個新調したのやら。最後の新調は、4年前だった
「マテ姉さん、突然電池が切れたみたいになったのにびっくりでした~。
車がびゅんびゅん通る赤信号にフラフラ歩いて行こうとするから止めようとしたら、
その前にまるで何かのコントのように垂直のままぱたり。
あやうく周囲に人だかりができるところでしたよ…(; ̄∀ ̄A(笑)」
長居スタジアムでの生温いビールが回りやすかったのか?(セレッソ社長聞いとけッ)
スタジアム近くの格安居酒屋を出た後、燃料切れた鉄腕アトムみたいに転倒した時に眼鏡壊れた
mathichenさんに合うレンズって特殊なため、60000円も吹っ飛んじゃってさ…(泣)
その眼鏡、黄色ケース下に見える物、壊れたら怖い。普段は、フレームが汚くなって来た別眼鏡使用中
 
 
 
 
ただ普段用も、フレームの金属疲労から、いつ壊れてもおかしくない
そこで先日、4月末日まで利用出来る誕生日割引ハガキを持ち、27000円に収まる新調したの
(27000円に収まる理由:「画像手前の眼鏡、過去の無傷フレーム使い回しのおかげ様」)
堺東駅前の店舗のオッサン、「眼鏡ケースね、限定キティちゃん残り1個、どないですか~」
三城の社長とサンリオの社長が懇意で、権利関係お高いキティちゃんを気前良く提供して貰ったとの事
キティちゃんの中でも、眼鏡キティちゃんは一般には入手無理なので、希少価値に食いついたワケ
このキティちゃんは多分、オンナは化け猫だからね、mathichenさん似顔絵、つまりアタシ可愛いと自画自賛
 
 
 
 
オンナは化け猫といえば
【三匹目の猫登場】(2009年8月3日)
ロッシーニ作曲、全編が猫の鳴き声のみという、♪猫の二重唱(Duetto buffo di due gatti)
二人のモンセラート、これは、体型抜きに偉大なる母と、地味な娘による、家庭円満の証明である共演ですが
有名女性歌手同士の座興によく歌われますね(YouTube検索
mathichenさんが最初に聴いたのも
 
 
 
 
 
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ジェラルド・ムーアGerald Moore、1899年7月30日 - 1987年3月13日)は、多数の著名な歌手とともに歌曲の演奏会やレコード録音で知られたイギリス人ピアニストである。

ハートフォード州ウォトフォードに生まれたあとカナダのトロントで育ち、音楽教育も主に同地で受けた。ムーアは著名な器楽奏者、たとえばパブロ・カザルスなどとの共演をしたこともあるが、エリザベートシューマンやマギー・テイト、キャスリーン・フェリアなどの歌手との共演で、より知られるようになる。伴奏者の地位を、それまでの歌手に従属した役割から芸術的に同列の共演者に高めたのは、彼の功績である。

ムーアは音楽について講義や執筆も行い、1962年に出版した『お耳ざわりですか―ある伴奏者の回想』は高く評価されている。この回想録は原題を Am I Too Loud?、すなわち「(私の演奏は)音が大きすぎますか?」 というもので、歌手に遠慮して控えめに弾くのではなく、音楽の要求に従い積極的に表に出た演奏をしている彼から歌手へのユーモア溢れるメッセージである。これらの文筆活動は引退後も続けられた。

1967年2月20日のムーアの引退記念演奏会には、彼と長年共演を重ねたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス、エリーザベト・シュヴァルツコップが出演しており、彼らの演奏はライブ録音としてレコード化された(CDでも再発売されている)。なお、彼はこの演奏会の最後に、アンコールとしてシューベルトの歌曲「楽に寄す」(D547)の自作編曲を演奏したが、これは彼の最初で最後のソロ演奏であった。

ムーアが加わって録音したレコードの多くは世界各国でレコード賞を受賞している。また、ムーアは1954年に大英勲章(OBE)を受賞した。

演奏会からの引退後も、フィッシャー=ディースカウヘルマン・プライらとのレコード録音を続けたが、1987年にバッキンガムシャーで死去した。

Wikipedia:『ジェラルド・ムーア』より引用 )
 
 
 
 
 
現在CDでは、‘A TRIBUTE TO GERALD MOORE’
mathichenさんが最初に聴いたLPでは、ムーア存命中の発売のため、‘HOMAGE TO GERALD MOORE’
 
 
 
 
後者の顔見たけりゃ、http://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_Schwarzkopf、英語版大賢者様どーぞペタリ
カタルーニャとドイツの生んだ偉大なる歌姫の共演ですね
ちなみに、Victòria、Victoriaのカタカナ表記、ヴィクトリアでなくビクトリアが正しいのよ
カタルーニャ語カスティーリャ語すなわち標準スペイン語、いずれもVの発音はBの発音と同じと説明しといて
1967年2月20日当時、43歳、51歳と、その時代では大年増、見事な乳母桜が、ニャン♪ニャカ☆鳴く
想像するだに恐ろしか~、何度聴こうがメッチャ笑えますわ
いや褒め言葉ですよ。これが、野郎同士の共演だったら、酒飲まなくたって悪酔いしますからし
…と言いつつ、ヴェンゲルさんとセスクによる共演を妄想してしもた、一体全体何でやねん!?
 
 
 
 
他愛もない、宴会用みたいな歌ながら、意外と難しいでしょな
面白おかしく楽しませる芸人としてのセンスが試されますやんか
喜びには、哀しみ。涙を笑いのインクに…C'est la vie !(これが人生だ!)
上質な喜劇とは、実は重い内容でも笑わせる力を持ち、シリアス物も演じられる才能だけが成功させられる
喜劇と悲劇は表裏一体、人生の機微を知る者と換言してもいい
売れると「ドタバタ路線から、ペーソス路線へ」と転向を口にする喜劇人を、作家の小林信彦が「わかってないね」
喜劇王チャーリー・チャップリンを見なされ、一目瞭然ですわな
普段は大真面目な顔して歌うクラシック歌曲歌手にも適用されますよね
 
 
 
 
Am I Too Loud ? (私の演奏は音が大き過ぎますか?)
歌手に遠慮して控えめに弾くのではなく、音楽の要求に従い積極的に表に出た演奏をしたムーア
ユーモア溢れる御仁、それでいて、決して歌手の邪魔はしなかった
都合悪くなると爪伸ばしてバリバリ引っかくが、人間様にゴマスリする世渡り上手な猫のように
♪猫の二重唱においても、最初で最後の独奏においても、しなやかな感性を窺える、もちろん歌姫たちにもね