mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Not Without Other.(他者の存在と自己の存在は二個一)

ゴーストライターどーたら、先週、ご本尊が会見したね
麻薬キメて「Love&Peace~」みたいな腐れヒッピー風貌から一転、双子はある意味ゴーストねのおすぎさんへ
アタクシには珍しく大爆笑したわ~
 
 
 
今回のドタバタ劇全体、ご本尊の主張や反論をどう受け取るかは百人百様で
希代の極悪人扱いのクソミソ評もあれば、ゴーストが書いた陰謀劇との邪推の他に
ご本尊は本質的に、アタクシの表現に置き換えると
「接する人によって、アブナイ面が見えて身の危険かもしれないが
不遇や逆境にある人々を騙す目的でなく
自分を救世主と信じ込むヒーロー気分の大いなる勘違い野郎に過ぎない」
『悪人ではなく、お気の毒なオッサン』との声が聞かれた
 

 
 
「そんなに感動する物語などゴロゴロ転がっていない」、そーいうこと
 
 
 

「CD買った人は皆、音楽に感動したからでしょ」、『付加価値』に感動したからでしょ
作曲家のプロフィール何も知らない状態で聴き、果たして同様の感動覚えたか、それこそ怪しいもんだ
東京五輪招致のお涙頂戴偽善プレゼンに感動するのを見な、浪花節に弱く情に流される国民性知れるじゃん
財布の紐ユルくする物語を作り上げて感動の押し売りを見抜けん、弱者に優しい自分を褒めちゃう国民性もね
 
 
 

つうか、詐欺だカネ返せとわめく面々を見たら、「ホラ言ってるでしょ、目に見えるものだけを信用する愚かさを」
改めて、世俗の、感性という意味での視覚障害ぶりに呆れたわ
ウチの元料理番ババァといい勝負だね
昔々、裏の家のド下手糞なピアノについて
「演奏出来ないのに、下手がどうしてわかるねん?」というなら
「演奏出来ないのに、上手がどうしてわかるねん?」だろが
技術的な指摘は苦手ながら、音楽の感性の有無だよ、アタシとアンタにおける天国と地獄の差はな
 
 
 
 
障害者云々で思い出されるのは
 
 
 
 
車輪の一歩
 
脊髄損傷による身体障害者(車椅子)の女性は母親の監視の元、自由に外に出ることが出来ない。そこに同じく身体障害者(車椅子)の男性6人が女性に対して「外に出ようじゃないか」と誘いかける。女性はためらいつつも、一緒に外に出るが線路で車椅子がはまってしまい抜け出せなくなる。遮断機が降り、すんでのところで女性は健常者に救出されるが、帰宅途中に失禁してしまう(脊髄損傷による尿失禁)。
主人公がお詫びがてら、母親に謝るが母親はそっとしておいてください、とつっぱねる。女性は「母に逆らいたくないわ」と言うが主人公は「君はそれでいいの?」と問いかける。
ある朝ついに女性は皆の見守る中、駅に行き「誰か私を(階段の上まで)上げてください」と助けを求める。
 
Wikipedia:『男たちの旅路』より引用 )
 
 
 

 
1979年11月24日放送の、山田太一シリーズ第4部第3話
斎藤とも子が可愛かったね~と述懐しといて
「母に逆らいたくないわ」「君はそれでいいの?」、この場面だったと思うけど、鶴田浩二が諭すのよ
「迷惑かけても、いいんだよ」(人手借りる必要あるなら、借りなさい)
迷惑と感じるのは、助けてもらって(助けるのが)当然の意識であって
駅の場面、最初は小声で怖々、徐々に声を大きくして、「誰か私を(階段の上まで)上げてください」
周囲の配慮を待っているのでなく、自発的に丁重にお願いするなら
助けを請うのは彼らの権利であり、迷惑じゃない
 
 
 

あのさ、障害者ってね、真に自立心持っていれば
足りない部分の補助求めたりはするが、腫れ物に触るような、あるいはペット扱いは良しとしないもんよ
障害者とトシヨリと子供は優しくされて当たり前と考える
怪しく思っても、「わ~、性格悪い人ね~」と逆に悪者にされる
問題提起すら出来ない民度低い国であるも問題かいな
 
 
 

『付加価値』そのものは否定しない
それだけで売っているのか、音楽なら音楽の質で勝負した上でのものか
篩にかけ質を問えるだけの鑑識眼が、消費者に求められるのよ
 

 
 
佐村河内何某に関しては、『悪人ではなく、お気の毒なオッサン』、この辺りじゃないの?
自分を救世主と信じ込む、あるいは、無能な自分に癒しを求める
障害者云々の克服を付加価値にすれば、賞賛(勝利)、同情(人から無視されない)を得られる
人々の注目を集め、自分をスゴイ人間と信じたいだけのね
情に流されやすく、感動は人に頂戴して乗っかり、自分の感性で決められない
不遇や逆境を乗り越えた美談が好きで、お祭り囃子メディアに右へ倣え
日本人の国民性を利用したという主旨よ
 
 
 
 
話は飛躍するようだが、今日3月11日、東日本大震災から3年目を迎えた
大震災関連記事をYahoo!内外で検索かけたら
風評被害の心理学:原発被害と戦おう、東日本と共に福島県と共に歩もう』
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140309-00033355/
 
 
 
 
風評被害などは言い換えれば、「信頼されず、全人格と存在を否定される」
こういうのは明日は我が身でも、経験持たないと実感わかないのが実情ながら
困窮者を全員救うのは難しくとも、相手を自分に置き換えてみる想像力が大事なのに
いくら自分で自分の身を守るが大原則でも、個人ではどう頑張ろうが難しいこともあるのに
苦労はしたが、人生破滅にまで至っていない人には、善意が人を苦しめることもあるは理解不能なのね
 
 
 
 
 
 

 
だから、「がんばろう!ニッポン!」、mathichenさんの大ッ嫌いなスローガンなのさ
どんな災害においても、当事者でなければ、対岸の火事に近いもの
当事者には重荷となってしまうかもしれない側面は否定出来ない
あまり軽々しく口にすべきでない
 
 
 
 
彼は大震災当時、ご無事お祈りしますみたいな言葉に、何か空々しさを感じた
街を歩いている時、「がんばろう!ニッポン!」の類の看板見ると、高見の位置視線に見えるとのこと
まだ25歳の小僧なのに、よくわかってるじゃん
プレゼンで復興云々を訴える有名人見ていると、「オマエら特権階級如きに何がわかるんじゃッ」
全財産投げ出し、被災地の人たちと同じか近い生活送れば、明日の見えない不安知れば、認めよう
チャリティやっても終われば都心グルメ堪能出来るご身分に、腰の低さ求められる隣人愛の微塵も感じんわ
 
 
 
 
大震災直後、エラソーな記事書いた都心キャリアウーマン気取り小娘主婦にもね
外で稼ごうが家庭の主婦なら、まず家事と育児を片づけ、それからくつろげなのに 
仕事行ける、帰宅後にはPCで動画散策出来る=まだまだ余裕持つねのくせに
「アタシたちが苦労してるのに、本当酷い人たちだわッ」
大阪への悪意から作られたニコニコ動画を鵜呑みにするほどの頭悪さを発揮していたからな
 
 
 
 
「がんばろう!ニッポン!」、不快感を覚える理由として、もう一つ
 
 
 
 
「夢は必ず叶います」の言葉が問いかけるもの                 

夢が叶うことについて考えると、例えば勝利、合格、出産、長寿、退院、新築、当選などが思い浮かびます。夢が叶ったその後に、お祝いすることが起きます。

人と競争して勝つことにより夢を叶えたのであれば、その裏には必ずと言っていいほど競争に負けた人がいるはずです。この場合、他人の悲しみを踏み台として夢を叶えたことになります。世間の常識に従って祝うのであれば、それは他人の悲しみによって成り立つお祝いだと言えましょう。

世間には、夢を抱いても、そのための努力が出来ない多くの人が居ることと思います。その人達からも共感を覚えるようなお祝いの意味を問うならば、努力が出来たことに対する感謝、あるいは努力をしてきたことに対するご褒美として、お祝いしていくという考えが思いつきます。

今問われていることは、夢に向かって努力している時の謙虚な姿勢ではなく、夢が叶った後に(無意識に)現れてしまう傲慢な態度だと言えるかもしれません。その傲慢さが因となって「夢は必ず叶います」という言葉が発せられるのでしょう。

この言葉は、聞いている人に不快な印象を与える可能性があることを、改めて肝に命じておきたいものであります。
 
 
 
 
夢はある、希望が無い
卑近な例で書くと
男とは、自分で痛い目して産み育てるわけでない子供欲しがる、ド厚かましい生き物である
女は25歳で独身だと行き遅れ行かず後家が持論、でもまァ執行猶予認めるとして
30歳の場合、薄給でも安定した仕事持つなら尚更、婚活の場で浮かばれる率は高い
48歳の場合、家庭の事情持つなら尚更、婚活サイト登録しても男から門前払い率が高い
従って、前者のような小娘から、「48歳でも、まだチャンスあるでしょ~」みたいに言われてみい
フシダラ経験持つなら尚更、シバキ回して問答無用の見合い結婚させてお歯黒塗って家庭幽閉したくなる
「アナタだって呑気に構えていたら、経年劣化と市場価値下落の一途なんだよ」
 
 
 
 
日本語についてなのですが。。 不平等と不公平の違いって何ですか??

ベストアンサーに選ばれた回答

平等と公平、同じように使われていることが多いです。
違いを持たせて使う場合は、大体以下のようになります。

平等:
その人の境遇に応じて、同じにすること。
例)
1Lのジュースを大人と子供で平等に分けるとき、大人は700cc、子供は300ccとする。
よく働いた人には、能力給を与える。

公平:
その人の境遇など無視して、同じにすること。
例)
1Lのジュースを公平に分けるとき、大人も子供も500ccずつとなる。
誰も彼も給料は同じ。

不平等・不公平はその反対ということになりますね。
 
 
 
 
自由・平等・博愛を、民主主義の理念とするならば
現代ニッポン人が民主主義を履き違えている理由がわかるでしょ
公平の意味で捉えているのよね
自由・平等・博愛は、義務・搾取・不寛容の産物
真の民主主義って、雑魚にも雑魚なりの恩恵与えるものの、基本は能力主義である
 

 
 
とはいうものの、希望すら与えられない持てないとなると
 
 
 
 
この世ではどう期待して頑張っても叶わず、来世に希望を託すしかない夢
虚しさ抱えて残りの人生を過ごさざるを得ない悔しさ
夢を抱いて、そのための努力が出来る身体や環境に恵まれた者には、決して理解出来ないから
持てる者の傲慢は本当、不愉快で、心底から軽蔑する
 
 
 
 
人生の明暗を分ける、希望か、慟哭か…他者からの慈悲の精神が必要な場合もある
しばらく前のアメブロ別荘記事題名をヒネった当記事題名の意味よ