mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

Aber der Richtige (理想の男性が存在するなら)

眠気その他により更新安息日取るつもりでいた日曜日のはずが
YouTube散策したら、ウェブリ休憩所記事のYahoo!本館版でお茶濁すを思いついたもんで~記事ね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『ドイツの歓喜と苦悩』、1990年刊行
アタクシが買ったのは、2008年頃
フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの‘影のない女’狙いだった
ホーフマンスタールとR・シュトラウスが組んだ最後の作品、♪アラベラが今日のお題でやんす
 
 
 
 
第1次世界大戦の後オーストリア=ハンガリー帝国崩壊に大きな精神的ショックを受け
晩年は過去の文化や伝統に結びついた文化評論や書物の編集に励んだホーフマンスタール
現代オーストリア人の中にさえ、二重帝国時代懐かしむ声かれるけど
【慟哭と恩讐の彼方に想いを馳せて】(2011年11月9日)
自分らが瓦解に追い込んどいて、人間って本当ワガママね
現代ニッポンに例えれば、さしずめ…
毎日のように前を通りながら、暖簾くぐったことないラーメン屋
閉店決まって感謝セール始まると、行列の出来る店と化す
オマエらがずっと常連やったら、店潰れへんわッ
…てな感じかいな
 
 
 

第2次世界大戦よりショック大きかったといわれる第1次世界大戦
欧州じゃ、見識者の間では常識よ
鉤十字ドイツもご無体極まりなかったものの
飛行機が飛ぶ、近代兵器使っての、初のドンパチ、その衝撃度は甚大
精神を病んだ兵士が続出したというくらいだ
1000年くらい続き、まだまだ続くやろと思われていたハプスブルク帝国
それがたかだか4年ほどの戦争で消滅してみい
28年そこいらで壊れたベルリンの壁どころの衝撃度ではなかったと思う
ホーフマンスタールさんが懐古趣味に走るの理解出来る
 
 
 
 
♪アラベラのあらすじ

(第一幕)
1860年、謝肉祭最後の日
アラベラは、一刻も早く結婚相手を決めねばならない
ギャンブル狂の父親が借金まみれで、一家は夜逃げ寸前の状況
絶世の美女の誉れ高く、求婚者がひっきりなしのアラベラ
彼女が財産家の男性を獲得か否かに一家の命運がかかっている
当のアラベラはといえば、家の窮状はわかってはいるけれど
自分には現在の求婚者どもより相応しい男性がいるのでは
今日、街角から自分を見つめていた旅の御方が、求婚者だったらなぁ
何とも頼りない娘心に揺れ、求婚者どもをノラリクラリかわしていた

(第二幕)
その夜、アラベラは舞踏会会場で、父親から新しい求婚者を紹介された
父親の軍友の甥に当たる、ハンガリーの大地主マンドリーカ
父親は当初、変人だが金満家爺さんが色気出すを狙って軍友に手紙を出し
昇天済み爺さんの代わりに、全財産受け継いだ若い甥が受け取った
妻を亡くして以来やもめで通す朴訥な彼が、写真の美女に一目惚れして
大都会は何かとカネかかるからね、森を一つ二つ売り飛ばして旅費を作り
ウィーンに着いたら着いたで、未来のお舅さんにお小遣い大盤振る舞いして
晴れて、憧れの美女の前に立った次第
ところで、このマンドリーカこそ、アラベラを見つめていた旅人であった
アラベラさん、心臓止まる思い、でも見栄っ張り、そこは上手いこと押し隠し
でもまァ、相思相愛みたいなもんだから、話は早くまとまった
が、好事魔多し
アラベラに想いを寄せる若い大尉マッテオ、彼が絶望した
死んだるッと騒ぐ奴に限ってビビリ屋、本当に死んだ試しはないが
彼の唯一人の親友、アラベラの弟ズデンコがビビリまくり
「姉さんの部屋の鍵だよ」、アラベラとの逢い引きを約束した
といっても、本物のアラベラが逢い引きするわけがない
彼女は、娘時代に決別するべく
マンドリーカから1時間だけ自由な時間を得て
娘時代最後の夜を、祭りの女王として踊っているのだから
では、『姉さんの部屋』とは、誰の部屋?
答:『ズデンコ、実はズデンカ、アラベラの弟でなく妹の部屋』
姉妹の両親は、先述したように亭主のギャンブル狂もあり貧乏
何かと物入りな娘を二人も、華やかなウィーン社交界に出せない
そこで、妹の方を男の子として育て、ズデンカも納得はしていた
それでも中身は女の子、彼女が心底、マッテオを愛していた
暗い部屋でアラベラの振りして、一時ながらも本懐遂げようっての?
ま、イイや。とにかく、マッテオの乱心鎮めるに成功した
しかし、マッテオが『アラベラの部屋の鍵』を受け取る場面を
頭に血が上りやすいマンドリーカが目撃していたら、さてどうなる?

(第三幕)
舞踏会から逗留先のホテルに帰り、ロビーに一人佇むアラベラ
そこへ降りてきたのが、本懐遂げて嬉しいマッテオ
「いま、自室にいた彼女が?」と疑問を覚えるも、アラベラに何かと絡む
アラベラは何か変だと思い、冷淡に応じると、逆効果で相手は盛り上がる
そこへ、舞踏会から帰ってきた他の面々が加わり、一騒動となる
マンドリーカは相変わらずカッカとしていて、ろくに話を聞かず
アラベラに婚約解消、マッテオに決闘を言い渡した
誰もズデンカによるアラベラの振り劇を知らないのだから仕方ないが
身に覚えのないアラベラにすれば、彼女を信じない男が嘆かわしい
マッテオにすれば、淑女アラベラの名誉守るべく、何も語らない
一触即発となった場面を救ったのは、女の寝間着姿で現れたズデンカ
外聞を気にする母親を父親が何とか抑え、アラベラが妹を促して
ようやくズデンカ男装劇が知れ、そして、もう一つ大事なことが
マッテオが以前から受け取っていた、『アラベラからの手紙』
何とかマッテオを幸福にしてあげようとの思いを込めた
姉の筆跡を模してのズデンカからの手紙であったことを
マッテオを本当に愛していたのは誰かも、マッテオに伝わった
自分のおバカ加減に恥じ入るマンドリーカ
手を伸ばせば何でも、最高の幸福が手に入る、それは間違いだった
いま、後悔だけが胸に残る。だが最期の時まで、己の愚を恥じ入らねば
アラベラに非を侘び、去ろうとする
彼の背中と、妹の愛情深さを見て、アラベラもまた己の愚に気づいた
駆け引きなどしてはならない。ただいつも与え、愛さねば
マンドリーカに赦しの手を差し伸べ、和解成立した
マンドリーカはマッテオの背中を押してやり、ズデンカとの仲を取り持つ
人々がそれぞれ部屋に去った後、マンドリーカが一人ロビーに残り
一言もかけず一瞥もせず部屋に下がったアラベラを見て
マンドリーカは自責の念を禁じ得ず、一人悶々中を
アラベラがさきほどマンドリーカの従者に持ってこさせた水を片手に現れる
「この水を一人飲んで嫌なことを忘れようとしていたら
暗闇に立つ貴方の存在に大きな力を得ました
この水は私の友に献げましょう」
女性が一杯の水を、男性に献げる?
マンドリーカの村の言い伝えに、一杯の水を許婚者に献げるがある
マンドリーカは、「このコップから後には誰も飲んではならぬ」
水を飲みコップを床にガッシャ~ンと叩きつけ、真に婚約成立した
何が起きようとも、ありのままの姿を信じ愛することを誓った二人
アラベラが部屋へ下がると、マンドリーカも後を追う
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1988年バイエルン国立歌劇場日本公演
♪アラベラの日本初演となった
備忘録のためにもう一つ文字リンクしとくと
体型はお似合い、年齢は彼女が15歳姉さん女房であった
来日当時、ある音楽雑誌記者が、ルチア・ポップにインタヴューすっぽかされたのは
彼女がすっかり仕事忘れるほど、新婚さんラブラブ状態で遊びに出かけたためですとさ
記者が許してくれた理由:「太ってもカワイイから」
 
 
 

マンドリーカ役はやっぱ、この人が最高かいな
大重量のポップちゃん持ち上げる腕力も素晴らしい
もう一組のアンナ・トモワ=シントウ&トーマス・アレンよか、美男美女
(個人の主観だ。文句は受け付け不可。アレンはサル顔でも大好きじゃ)
 
 
 

ベルント・ヴァイクル、1942年ウィーン生まれのドイツ人
上のYouTubeと同じ1988年だっけ、日本のTV-CM出たぞ
日曜洋画劇場の‘ラストエンペラー’のCMタイム中
ウィスキーCMで、やっぱワグネリアンね、♪夕星の歌を歌ってた
1995年10月13日、名古屋の愛知芸術劇場まで聴きに行ったわ
 
 
 
 
 
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指揮の飯守泰次郎いうたら…長くなる。止しとこ。そうでなくたって長い記事だ
ヴァイクルは見た目通り、大男だった
「大阪から来たの?」、英語で答えてくれました
仕方ないじゃん。コチトラ、英単語しか思い浮かばなんだからさ

 
 

 
 
 

1970年代には、映画版マンドリーカの映像もある
34,5歳かしらん。まだ少しは細かった
40歳頃、年々豊満に…のグンドゥラ・ヤノヴィッツが、役には老け過ぎで
親の甲斐性なしが何十年、行かず後家に見えるのが困る
は置いといて
ヴァイクルルは年齢だけ見るなら、この頃がマンドリーカ最適かもね
マンドリーカは多分、男やもめでもあるし、30歳くらい
20歳前後のアラベラから見れば、十二分にオッサンではあるけど
写真の美女に一目惚れし
熊か何かに襲われベッドに寝込んでいる最中も写真の彼女に熱中症
ド田舎から欧州中央の華やかな都まで求婚旅行する
そんだけの精力と純情さを見せる分、まだまだ小僧の面も持つ
アンタが熊やろいうほどの大男、でも顔は可愛いヴァイクル
彼がマンドリーカ最高歌役者と断言してやる




ホーフマンスタール、mathichenさんとも、懐古趣味に走り過ぎ~
ただホーフマンスタールさんの懐古趣味には、切なさが感じられる
いや、シュトラウス大先生も切なかったでしょ
♪アラベラの場合はね、初演された時代が…
ホーフマンスタールが亡くなったのは、1929年7月15日だから
まだ本格的に政権掌握していなかったものの、鉤十字台頭時代で
歌劇が初演された1933年7月1日といえば、鉤十字内閣成立していた
ドイツ、そして、数年後に併合されるオーストリアが破滅へと向かう
何とも暗ーい時代に、輝かしい二重帝国時代文化を偲ぶなんてねぇ




もう二度と輝かしい時代を取り戻せなくても
その時代を知る者の義務として、後世へと遺そうとした執念の賜物
違いますかね?



 
記事題名は、♪アラベラ第一幕より