mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

19回目の秋止符

まだまだ夏の名残りの暑さ続くでしょうが
芸術の秋を迎えるに当たり、クラシック音楽ネタをば
 
 
 
 
「大阪・西梅田大阪駅前第1ビル地下1階に、〔Walty堂島〕いうレコード屋さんがおます
2002年秋に無うなった〔ワルツ堂〕いうお店の店員さん数人が2004年春に始めたお店で
クラシックとJAZZを扱うてます

ココとの関わりは、20年ほど前、ミナミにあった〔テレーゼ〕いうお店のおっちゃんから始まってます
おっちゃんが、ワルツ堂のクラ担当(JAZZ好きやけど)のアユ釣り師匠やったかいな
そんな縁から、大好きなテレーゼのおっちゃんが亡くなってしもた後も、ズーッと通うてまっせ」
 
 
 
 
ワルツ堂のクラ担当(JAZZ好きやけど)のアユ釣り師匠
【浪花の濃い旋律を徒然なるままに】登場する、旧Walty代表だった中岡さんね
中岡さんも相当の腕ながら、テレーゼのおっちゃんは本格派やった
 
 
 
 
テレーゼのおっちゃんといえば
 
 
 
 
 
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真ん中画像、白い(だいぶ汚れてしもたけど)CD立て、おっちゃんの形見なの
テレーゼ閉店時、「店の備品で欲しいのあったら持って帰れや」
CD左側、コレは…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1989年12月25日、ベルリンの壁崩壊を記念しての、ベートーヴェン第九
東西ドイツ、米国、英国、フランス、ソ連の有志による臨時編成オーケストラ
米国ソプラノ、英国メゾ・ソプラノ、東西ドイツ男声&合唱
Freude(歓喜)をFreiheit(自由)に置き換えての歌唱
これのライヴ収録盤、輸入盤では、細かく砕いたベルリンの壁がオマケについていた
テレーゼのおっちゃんに言わせると、「ホンマかいな~。どないでも誤魔化せるぞぉ」、これは聞き流しましょうね
 
 
 
 
下画像に見えるは、バイロイト音楽祭100周年記念♪ニーベルングの指環
1976年初演、1980年映像収録された、パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮
1988年夏発売のレーザーディスク
1993年夏に値下げされた再発盤には入っていない、メーキング盤、対訳付きのおトク版
コレも…
1993年、おっちゃんが何度目かの手術入院時
奥さんは音楽ド素人のため店番専門、mathichenさんと韓国系弟分が実質的に切り回したので
退院してきたおっちゃんから「これ少ないけど、バイト代や」と5万円
何と時機ピタリな金額よ。欲しかった中古LD、45000円+消費税(3%の時代)
早速、堂島へ。いまだに保存しております(同じ物のDVD、CDと一緒に)
…ある意味、おっちゃんの形見ね
 
 
 
 
テレーゼのおっちゃん、強烈な性格のため、人によって好悪分かれた
奥さんですら、店番中、よく妹相手に電話で愚痴こぼしてた
懐いてるお客さんの中にも、気弱な人だと、アタクシに向かって
「アンタだけやで、オッサンに対抗出来る口の悪さ持つのは」
コブラvs.マングースに例えれば、アンタがマングースやな~」
 
 
 
 
おっちゃんは、1942年2月3日生まれやった。午年の水瓶座、1966年2月1日生まれのアタクシと同じ
(なお、中岡さんも、アノ顔で乙女座は置いといて、1954年9月2日生まれの午年)
性格的に似てる所わんさか見られ、どこまで言えるか、どこからNGか、線引きやりやすかったまでの話
アタクシもそうだけど、口悪く態度デカイ一方、根は優しく小心者だった
 
 
 
 
アタクシが店通い出した1989年頃から、病魔に冒され、何度も入退院繰り返し
アタクシの目の前で着替える(オンナ思われてなかった)時も、手術痕を見せ、「アチコチ刺身にされとるわ~」
1994年8月、最後の入院時、病院までお見舞い行った時には、ガンがもう脳に転移して目も当てられん惨状
せやから、奇しくも中岡さん40歳の誕生日、1994年9月2日に亡くなった際
お通夜と葬儀には行ったものの、元気な時の顔憶えときたくて、最期の顔は見なかったけど
斎場で骨拾ってあげたし、葬儀の後の飲食会では寂しがりのおっちゃん霊のため楽しく盛り上がってあげたし
後日、よくアユ釣りに出かけていた和歌山・龍神まで、仲良しさん皆揃って川に骨流しに行くのに参加したから
アタクシを可愛がってくれたおっちゃん喜んでくれたと思う
 
 
 
 
生きていても、今年まだ71歳
52歳で亡くなるの、自分がその年齢までわずか5年となった現在、若過ぎる死やったと実感中
人間はホンマ、儚いもんですわ…