mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

魔術師の一振りから再生と復活へ乾杯の歌

正月三箇日も本日で終了
世俗のガキンチョどもはさぞかし、この3日間だけでガッポリ、純情なオトナを食い物にしてお年玉荒稼ぎ?




サイフの中身が氷河期に見舞われたオトナの皆様へは、気分だけでも心と懐の温まるお話を
2011年4月18日アメブロ別荘記事を加筆修正








米国の楽団は、特に中小都市では、市民の憩いと交流の場
どっかの因業島国とは違って、米国には贈与税などというアコギなもん存在しないおかげ様により
中流階級以上だと、天国と地獄どっちか行った爺さんの遺産を守る婆さんが気前よく寄付したり
子供いない上層中流出身の指揮者が愛する楽団に大いなる遺産をもたらして、財政難を救ったり
そんな伝統も、経済が低迷する現代米国のフィラデルフィア級名門では、無理な相談ですか…




貧乏楽団と聞いて思い出す映画といえば





ストコフスキーの指揮するチャイコフスキーの第5シンフォニーに満場の聴衆は聞きとれている。楽屋口の群衆に混じって失業楽士のジョンが今日こそは直談判してオーケストラのメンバーに加えてもらおうと待っていたが、すげなく楽屋番に追い払われた。淋しく帰る足元に見いだしたのは女持ちのがま口である。悪いとは知りながらその金を部屋代に融通した。アパートの人たちは彼がストコフスキーの許で働くことになったものと思ってお祝いの会を開いた。声楽家を志している一人娘のパシィが喜ぶ様子を見ると、どうしてもジョンは本当のことが言えなかった。隣室にいる失業楽士マイケルにだけ真実を話して、翌日は練習に行くふりで家を出た。しかしパシィは父の初練習を聴こうとホールへ出かけて、父が嘘をついたのを知った。ジョンは泣きだした娘に本当のことを打ち明けた。パシィは持ち主のフロスト夫人にそれを返しに行った。フロスト家ではパーティーの最中で、夫人はとっくに落としたがま口なんか忘れていた。パシィは真相を夫人に打ち明け、失業している父を救うためオーケストラを作りたいと話した。彼女の歌に驚嘆した夫人はメンバーが揃ったら後援しようと約束する。ジョンは 100人の失業楽士を集めて失業交響楽団を組織した。次の朝から古倉庫の中で練習が始まったけれど、パシィが金をもらいにフロスト夫人を訪れると、気まぐれな夫人は欧州旅行に出発した後だった。パシィはフロスト氏に頼んでオーケストラを見てもらったが、彼は頭から後援を拒絶して怒ったジョンに殴り倒される。パシィはストコフスキーに指揮を頼もうと彼の練習場へもぐり込んだ。オーケストラはモーツァルトの「ハレルヤ」の練習を始める。どこからかパシィの美しい歌声が流れてきた。ストコフスキーは彼女のすばらしい歌声を称賛したが、失業楽壇の指揮は承知しなかった。ある夜、ストコフスキーがピアノを弾いていると、突然階下から「ハンガリアン・ラプソディ」のオーケストラが聞こえてきた。扉をあけると失業楽壇が階段から広間まで占領して一生懸命の演奏をしている。その水際だった演奏に引き入れられたストコフスキーは、いつか立ち上がって得意のノン・タクトの指揮を始めた。それから間もなくストコフスキー指揮のもとに失業交響楽団の晴れの演奏会が開催された。壇上から彼はパシィを聴衆に紹介した。パシィは喜びに胸が一杯だった。彼女と顔馴染みのタクシー運転手も盛装して3階席から声援した。ストコフスキーが手を挙げ、オーケストラは一斉にベルディの「トラビアタ」の曲を始める。歌うパシィとトロンボーンを吹く父ジョンの顔はうれしそうに微笑むのであった。

( Movie Walker:『オーケストラの少女』より引用 )





1937年だと、まだ1929年世界大恐慌の名残りあったの?
楽天的な娘はとにかく、親父と大勢のビンボー楽士をちゃんとしたオーケストラで演奏させたい一心
…人生約半世紀ともなると、たまにゃアメリ楽天主義に泣かんと、冬場でなくたってお肌カサカサするわ…




目をつけられた指揮者レオポルド・ストコフスキーは男前
フィラデルフィア音楽学校で教えるコレは☆という女生徒にちょっかい出しまくっていたとか
90歳過ぎても指揮台に這うようにして上った執念深さだけに、若い時の美女狩りはさぞかし~
1965年来日時、同行した息子とツンツンし合ってたのは、かつての家庭不和の名残り?




なんてのはこの際置いといて




指揮棒を使わない、魔法の指先
それが失業楽団演奏に食指が動いた時の音楽ペタリ










なお、現代の貧乏フィラデルフィア管弦楽団その後については、大賢者Wikipedia様より以下の通り





ここで、特筆すべきことは、更生手続き中の18ヶ月間、以前から予定されていた演奏会を、本楽団は、一回ともキャンセルしていないこと。そして、市民からの寄付金も逆に増え続けていることである。 2011年10月のシーズン・オープンの際、本拠地キメル・パフォーミング・アーツ・センターとの新規契約の合意ができず、ペンシルベニア大学アーバイン講堂で演奏した。

その一年後の2012年10月、更生手続きは、予定通り、無事完了し、ヤニック・ネゼ=セガンは正式に第8代音楽監督に就任し、シーズン・オープンのコンサート、レクイエム (ヴェルディ)を、本拠地キメル・パフォーミング・アーツ・センターにて、満員御礼で迎えた。ナショナル・パブリック・ラジオは、これをフィラデルフィアの復活と呼び、他のすべての米国オーケストラが同じように財産難に陥っているなか、果たして、フィラデルフィアほどの決断力と実行力を持ちえるのか、懸念を示している。

本楽団は、世界初演や米国初演のコンサート以外に、数々の「世界初」や「米国初」を保持している。2012年は、世界初、民事再生法の更生手続きを経て復活した年となる。 他のオーケストラは、いまフィラデルフィアの実験と経験から多くのことを学ぼうとしている。