mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

港町Blues

赤い大英帝国に気を取られていたら





ドルトムント撃破で自信を深めるラフィー 

ハンブルガーSVHSV)に所属するMFラファエル・ファン・デル・ファールトは、ボルシア・ドルトムントに勝利したことでチームの自信は高まっていると感じている。

開幕3連敗スタートとなっていたHSVだが、ブンデスリーガ第4節で昨シーズン王者を3-2で下し、今シーズン初勝利を手にした。26日に行われる第6節では、ボルシア・メンヒェングラッドバッハボルシアMG)と対戦する。

ボルシアMG戦を前に、ファン・デル・ファールトはドイツ『ビルト』に「美しい感覚はまだ残っている。これを次の試合に持ち込まなければいけない」と語っている。

ドルトムントは、強力なチームで、僕たちを信じていた人はいなかった。(ドルトムントに勝利した)今、僕たちは敬意を得たよ。どんなチームにも勝てると考えている」

自信を深めるファン・デル・ファールトだが、安心してはいけないとチームに忠告している。

「チームに足を付けて、最初から集中しなければいけない。ドルトムント戦と同じようにね。これから僕たちがどれだけ良いチームなのか示していける」

(C)Goal.com



フランクフルトを称えるクロップ 

ボルシア・ドルトムントは、25日に行われたブンデスリーガ第5節のフランクフルト戦を3-3のドローで終えた。リードを守り切れず勝ち点2を失う結果に終わったドルトムントだが、ユルゲン・クロップ監督はチームの可能性を信じている。

前半で2点のリードを奪ったドルトムントだが、49分に1点を返されるとその2分後にはMF乾貴士の3試合連続となるゴールが決まり、同点に追いつかれた。直後にMFマリオ・ゲッツェがゴールを決め再び勝ち越したが、73分にまたも追いつかれ引き分けで終えている。

クロップ監督は試合後、「スペクタクルな試合でドローがふさわしかった。私が望んでいた以上に素晴らしい試合だった」と振り返っている。

「私が見てきた中で、フランクフルトの最高のパフォーマンスだった」

一方、MFセバスティアン・ケールは「不必要なゴールを与えてしまった。勝たなければいけなかったし、腹立たしい」と結果への不満をあらわにしている。

ドルトムントは次節、ブンデスリーガ第6節でボルシア・メンヒェングラッドバッハをホームに迎える。

(C)Goal.com

( 出典先:スポーツナビ





mathichenさんのドルトムント、何やってんのぉ … PCに蹴り入れたくなる~




てか

 



いつの間に、白い倫敦からブンデス出戻りよ???




存在忘れかかっていたので、大賢者様を覗いたら






ブンデスリーガ創立以来、一度も2部に降格した経験がない古豪クラブである。2002年から2006年まで高原直泰が所属していた事で知られる。また、漫画『キャプテン翼』においては若林源三が所属するチームとして描かれており、日本での認知度も高い。

2005-06シーズン、3位に付ける大躍進を遂げ、オフには左サイドバックとしてファン・パブロ・ソリン、ディフェンスラインの要としてヴァンサン・コンパニヨリス・マタイセン、FWにはブバカル・サノゴやダニエル・リュボヤを獲得したが、2006-07シーズンは全くといっていい程攻守の歯車がかみ合わず、一時期は2部降格圏をさまようまで成績が低迷、トーマス・ドルからフープ・ステーヴェンスへの監督交代でようやく建て直しに成功したが、2000-01シーズン以来の出場となったUEFAチャンピオンズリーグでは、予備戦3回戦でCAオサスナに勝ち抜き本戦出場を決めたものの、アーセナルポルトCSKAモスクワと同組となったグループリーグでは第5節まで連敗を続け、最終節のホームで迎えたCSKAモスクワ戦で勝利したものの、1勝5敗でグループリーグ最下位での敗退となってしまった。

国内タイトル
ブンデスリーガ: 6回
1922-23, 1927-28, 1959-60, 1978-79, 1981-82, 1982-83
ドイツカップ: 3回
1962-63, 1975-76, 1986-87
ドイツリーグカップ: 2回
1972-73, 2002-03

国際タイトル
UEFAチャンピオンズリーグ:優勝 1回 1982-83
UEFAチャンピオンズリーグ:準優勝 1回 1979-80 
UEFAカップウィナーズカップ優勝 1回 1976-77
UEFAカップウィナーズカップ準優勝 1回 1967-68

Wikipedia:『ハンブルガーSV』より引用 )






国際タイトル、『チャンピオンズリーグ』じゃなくて、『チャンピオンズカップ』の時代やろ
1983年?ファン・デル・ファールトの誕生年ね。ずいぶん大昔ですこと( * mathichenさんは、当時17歳だった)
2006-07CLでは、あ~恥ずかしや、1勝5敗(グループステージでは最強に近いヴェンゲルさん喜ばせてるし)




そんなんだから





愛称 The Pirates of the League 

1910年に創設。ブンデスリーガ発足後は、1977年に1部昇格を果たしたが、翌年に2部へ降格、更に降格した年も成績は低迷し3部にまで降格した。そこから徐々にはい上がり、1988年に1部復帰を果たした。1部在籍中にみられた、同じハンブルクを本拠地とするハンブルガーSVとのハンブルクダービーは街を熱狂させた。

その後も1部と2部の往復を繰り返していたが、2002年に2部に降格すると更に低迷し、またもや2シーズン連続の降格という不名誉な結果を残しレギオナルリーガ(3部)へと降格した。こうした低迷期の中でも、2002年にカップ戦で世界王者であったバイエルン・ミュンヘンを破っており、サポーターを大いに喜ばせている。2006年にもカップ戦で4強にまで残った(この際はバイエルン・ミュンヘンに敗北)。その間にも着実に力を付け、2007年には2部へ復帰、2010年には1部復帰を果たした。前半戦こそは11位と比較的大健闘していたが、0-1でアウェーながらも勝利した2011年2月16日のハンブルガーSVとのハンブルク・ダービーを最後に一気に低迷し、最下位に終わり、結局前評判通り、1シーズンで2部に降格した。しかし、序盤戦で失点を恐れない勇猛果敢なサッカーを見せたホルガー・シュタニラウスキ監督の手腕が高く評価され、翌シーズンにはTSG1899ホッフェンハイムに引き抜かれる結果となった。

現在、ドイツ国内ではバイエルン・ミュンヘンに次ぐ2番目の人気を誇り、世界中で1800万人のサポーターがいるといわれている。中には毎週イギリスから飛行機でホームゲームに通う人もいる。

Wikipedia:『FCザンクトパウリ』より引用 )






地域リーグまで落っこちようが、おらがクラブと一蓮托生の海賊どもから





「1部にしがみつく、メメシイ奴」と笑われるんですよ





アフェライブンデス移籍を支持するロッベン 

バイエルン・ミュンヘンFWアリエン・ロッベンは、今夏シャルケに移籍したMFイブラヒム・アフェライの決断を支持している。

アフェライはこの夏、所属クラブであるバルセロナを離れて、1年間のレンタルでシャルケへの加入を決めている。同選手は最近2試合で先発から外れており、シャルケで定位置を保証されているわけではない。

しかし、ロッベンアフェライシャルケ移籍が正しかったと見ているようだ。オランダ『NUsport』で、次のように意見している。

「僕はイブラヒムがオリンピアコス戦とバイエルン戦で先発じゃなかったことに、少し驚いているよ。それでも、彼のシャルケ移籍の決断は正しかったと思う」

「イブラヒムは、新しい環境に適応するのに、ちょっと時間を必要とするかもしれない。あるいは、監督が彼を順応させるために時間を与えているのかもね」

さらにロッベンは、オランダ代表のルイス・ファン・ハール監督もブンデスリーガを高く評価していることを付け加えている。

「イブラヒムは美しいクラブに来て、ファンタスティックなリーグでプレーしている。ブンデスは高いフィジカルレベルにあり、代表の監督もそれを評価している。彼がブンデスに来たのは、オランダ代表にとっても良いことだよ」

アフェライシャルケ加入後、ブンデスリーガ3試合に出場している。

(C)Goal.com 

( 出典先:スポーツナビ





こちらののオランダ人出張先ともども、ドイツの青色系は今季笑うのか泣くのか、どーなりますやら