mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

規律に起立

クロップ:「トラブルを起こす選手はプレーさせない」 

ボルシア・ドルトムントを率いるユルゲン・クロップ監督は、いかなる個人よりもチームが重要だと強調した。同指揮官は、チーム内の雰囲気を乱す選手は起用しないと断言している。

2011-12シーズンに国内2冠を達成したドルトムントは、追われる立場で新シーズンに入る。クロップ監督は、ドイツ『ビルト』の中で以下のように語った。

「トラブルの原因となるような人がいたら、私はプレーさせない。周囲は、我々に何が起きているかはっきり分からないから、そういった人間はチームから切り離さなければいけないだろう」

クロップ監督は、その例として2001年から2004年にかけてドルトムントに在籍したマルシオ・アモローゾの名前を挙げた。

アモローゾのような選手は来ない。彼は専属のドクターとフィジオを連れてきた。そういったことは、二度と起こらない」

アモローゾは、2001-02シーズンにブンデスリーガの得点王に輝いた。それでも、クロップ監督は選手を特別扱いするつもりはないようだ。

(C)Goal.com

( 出典先:スポーツナビ






好かんのに、ついついYouTube探してしまった…
 
 
 
 
好かん理由?





略歴

ヴェルディ川崎在籍時は外国籍選手登録枠の都合もありトップチームでの出場がなかったが、Jサテライトリーグでは才能を示す活躍をしていた。ブラジルに戻るとすぐに頭角をあらわし、フラメンゴブラジル全国選手権得点王になり、その後ヨーロッパへ渡り1999年にウディネーゼで得点王に輝いた。ACパルマを経てボルシア・ドルトムントへリーグ史上最高額の3310万ドルで移籍。2002年には得点王に輝きリーグ優勝に大きく貢献。2005年にはサンパウロFCでクラブ世界一のタイトルを手にする。その直後にFC東京との仮契約を結び、2006年シーズンからの加入が内定していたが、これを破棄してACミランへと移籍した。だが出場機会に恵まれず2006年9月に母国ブラジルのコリンチャンスへ、2007年4月にグレミオに移籍した。

ブラジル代表には1995年から2003年まで選出され、19試合出場8得点を記録している。優勝したコパ・アメリカ1999では、6試合全てに出場して4ゴールを挙げた。

Wikipedia:『マルシオ・アモローゾ』より引用 )





色のついた太文字部分ですわ




「2005年にはサンパウロFCでクラブ世界一のタイトルを手にする。」
換言すれば、リヴァプールFCが世界一になれなかった(泣)」
それも「やっぱ没落の名門かい」と腹立ちますけど





ヴェルディ川崎時代に、規律を学んだ」?
しゃあしゃあとウソをぬかした時には血管が破れかけましたよ。
BVB首脳陣とのいさかいに関しては大目に見てもいい部分があるけど、
チーム内の空気を乱し、ザマーを手こずらせた点では、弁明の余地なし!

( CWC決勝行われた2005年12月18日のmathichenさん手書き日記より )





2003年だっけ、連続出場していたCLの予選突破出来ず、UEFA杯に回ったのは
高~い放映権料当て込んだ、早い話、ドンブリ勘定商売やってたBVB、台所が火の車に陥りました
選手にすれば、3310万ドルという超高額で移籍してきたら
そりゃまぁ、クラブ自業自得の財政難を理由に減棒を提案されるとツライですわな
アモローゾはかなり暴れた模様




しっかしだ
減棒を提案されたのは、アモローゾだけじゃない、チームメートも皆同じ
2000-2001シーズン途中、当時ブンデスリーガ史上最高額の2500万マルクで移籍してきたロシツキも然り
確か、監督のザマーは、高~い年棒を一部返上すると言ってました(本当に返上したかは不明)




個性の尊重は大事でも、団体精神が優先される場所では、一人に特例認めちゃうみたいなのはマズイですよね
で、↑の記事題名が求められるのですよ