mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

オンナという悪魔の前には、赤い悪魔もシッポ巻いて逃げる

KYジジィのせいで、ま~た気分悪いんでの換気更新
 
 
 
‘何がジェーンに起こったか?’、ホラー映画の最高傑作の声あり
往年の名女優、ベティ・デーヴィスvs.ジョーン・クロフォード、超のつく怖さ
 
ベティさんは50代にして、18歳以下制服といえるワンピースで踊るもスゴイけど
姉ジョーンから思わぬ事実を聞かされ、幼児返りして頭が別世界への幕切れはより一層
洋の東西問わず、こんだけのクソ度胸見せられる女優は数少ないというより希少価値
 
ジョーン・クロフォードの実像が一番怖いかもにしても
 
1920年代を代表するスターであったダグラス・フェアバンクスの息子ダグラス・フェアバンクスJr.と1929年に結婚するも1933年に離婚。1935年には『戦艦バウンティ号の叛乱』に出演したフランチョット・トーンと再婚するも1939年に離婚。1942年には同じくフィリップ・テリーと結婚し、一児をもうけるが1946年に離婚した。1956年にはペプシコーラの社長アルフレッド・スティールと4度目の結婚をし、夫と死別する1959年まで連れ添った。このため彼女は1972年までペプシコーラの取締役を努め、一時は副社長の肩書きも持っていた。
 

結婚以外にも1931年に『暗黒街に踊る』で共演したのを皮切りに1940年まで計8作で共演したクラーク・ゲーブルとの恋愛関係も有名で、1930年代後半に恋愛関係にピリオドを打ってからも良き友人としての関係を保っていた。1960年にゲーブルが死去した時彼女は「彼と共に私の一部も逝ってしまった。彼は他の誰よりも私のことを知っていた」と述べたという。

 
彼女の子供は実子の他に三人の養子がいたが、その中の一人のクリスティーナは、クロフォードの死の翌年『Mommie Dearest』(邦題:親愛なるマミー―ジョーン・クロフォードの虚像と実像)を出版し、クロフォードが彼女を含む養子達に児童虐待をしていたことを暴露した。この本は1981年にフェイ・ダナウェイ主演で映画化(日本では『愛と憎しみの伝説』というタイトルでTV放映)され、高級なドレスを針金のハンガーにかけた養女を折檻するダナウェイ演じる世にも恐ろしい母親の姿が話題となった。~
(大賢者様より)
 
 
TV観たし、原作も読んだ
 
好物のマッシュポテトと嫌いな蕪を見間違って皿にテンコ盛りした娘を「食え」と怒る
これはまぁわからんでもないモッタイナイオバケにしたって
肉料理の苦手な脂身を残したからと、食べるまで何日も冷蔵庫に保存は…
朝の4時に風呂場の雑巾掛けさせるなど、無意味なイヂメ連発とくるし
 
笑えるのは
クリスティーナが11歳にして男をお部屋に引っ張り込んだのを見つかった言い訳
「ママだけはわかってくれると思ったのに。あんなに男がいっぱいいるんだから」
子供は黙って親がマトモかバカか観察しているんですよ
普段一緒にいようがいるまいが、壁に耳アリ障子に目アリでね