mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

大奥入り年齢を大幅に超えて見えました

書いとかんと気が済まん…
 
どの人間関係においても重要なのは
「自分が相手を必要大事に思うと同じかそれ以上に、
相手が自分を必要大事に思ってくれているか」
 
必要大事、実は曲者
利用や欺瞞その類と表裏一体だから
こちらが必要大事に思っていても、相手も同じように思っているとは限らんという事
価値観が同じに見えて微妙なズレあるための、スレ違い、疎遠、決裂も
これは頭ではわかっているようでなかなか判断しづらい
意外なまでに多く友人を失ったりする、それでおわかりか?
 
女や男との関係の場合
結局のところ、180度違う位置で見て考えている
それは大体において、好いた惚れたのデートやその延長ではわからない
遊び場で逢う、合鍵持って訪問し合うなど、つまり『逃げ場』ある段階では、
決して互いの清濁両面は見えないし、見えたと思うのは幻想にすぎない
多かれ少なかれ、意識無意識のうちに、仮面や演技が介在しているから
相手の存在が日常となった後も仮面舞踏会はあり得るけど概ねは、
結婚を意識した瞬間に恋愛は終わり、新たな段階を踏まえて行動すべきなのに、
どんな美男美女でもトイレに行けば、必ずや経年劣化は訪れもするのに、
相手の親を見て「彼(彼女)もこんなジジババになるのか~」と逃げ出すみたいな、
幼稚な理想と大人の現実のギャップにガックリ八つ当たり
 
三島由紀夫の言うような見合い推奨主義だとそれはそれで不都合
自力で相手を見つけるのが最優先。従って、結果も自己責任
危機を乗り越えられるのは…
「じゃあ次の週末にでもね」でなく毎日、
家事や仕事の疲れ、世間のシガラミと不可避な生活苦空間の中で、
夢や化粧で彩られた外界では見えなかったもの避けられていたものと向き合い、
「こんなはずじゃ…」と思う面あっても相手を信頼出来る者だけ
 
何か小さな事でもピタリと重なってこそ前進する、終点無しの手探りの状態で
人間は長短両面で変わりゆくものである以上、完結などありますかね?
これらは非日常の段階でも、頭に入れとかんとミスしやすい
これもまたわかっているようでわからないというか、
自分の思い込みや理想偶像にとらわれがちで難しいから
何年何十年の夫婦でもそう
早い話、互いに完全に理解し合うのは至難という事
竹馬の友も然り
 
横へそれると
森鴎外の時代の60歳、現代では80~90歳に相当するのでは
いざ還暦に達したらほぼ間違いなく、充分や贅沢と思わず新たな意欲が湧いてくる
というか…1949年生まれのヴェンゲルさんに失礼やろが