mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

小さき神の子たちの祈り

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(うしちこ母さんよりお借りしています)



東日本大震災>悲しみ語り継ぐ 116年前の物語、娘へ
毎日新聞 3月11日(日)9時34分配信

家々の土台だけが残る海辺の集落に、粉雪が舞い落ちていた。

震災1年を前にした10日、岩手県山田町の長根勝さん(52)は一人娘の璃歩(りほ)さん(15)と自宅のあった船越地区を訪れた。「ここが玄関、あそこがおばあちゃんの部屋だったな」

【山田町の写真も】あれから1年--震災直後とのその後を写真で比較 東日本大震災の被災地を定点撮影

多くの人が避難した裏山へ通じる階段を上るうち、2人は無口になった。視線の先に、流された鳥居の跡から小さな命が三つ芽吹いていた。

「お、ふきのとうが出ている」

「すごい」

父娘は顔を見合わせてほほ笑んだ。



保険外交員の長根さんは母享(きょう)さん、妻のり子さん(51)、璃歩さんと4人で2階建ての家に住んでいた。

地震に襲われた時は仕事で隣の宮古市にいた。勤務先にいた妻の無事はメールで確認できた。娘がいる中学校は高台に建っている。78歳の母は自宅にいるはずだが、近くに高さ8メートル以上の防潮堤がある。さほど心配はしていなかった。

だが、戻った街は真っ赤に燃えていた。翌朝ようやく自宅に向かうと、防潮堤は壊滅していた。駆け寄ってきた近所の女性が泣き崩れた。「勝くん、母さんが流された」

膝が悪かった母は裏山への階段を上りきれずに流されたという。がれきだらけの自宅跡に座り込んだ。百余年前の先祖の姿が自分と重なった。

東北の伝承を集めた「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)で妻と子2人を亡くした男「福二」が、妻の幻影に誘われ浜に一晩立ち尽くすという話が収められている。福二の4代後の子孫が長根さんだ。

物語は福二のその後を「久しく煩(わずら)ひたり(長く病んでいた)といへり」と結ぶ。そのせいか、父も祖母もこの話をしたがらなかった。教えてくれたのは母だ。「本買え。遠野物語にうちの話がある」「先祖のことだから、しっかり覚えとけ」

長根さんは母を捜して遺体安置所を巡り歩いた。体の一部しかない遺体。焼けた遺体。7月上旬、訪れた安置所で赤ちゃんの亡きがらを見た。目を見開き、手を伸ばしたままだった。「抱っこして」とせがんでいるように見えた。「おまえは何のために生まれてきたのか」。涙が止まらなくなった。これ以上遺体を見ると自分がおかしくなると思い、安置所回りをやめた。

数百もの遺体を見ながら、思ったことがある。「自分の先祖以外にもたくさんの悲しみがあったはずなのに、その物語はどうなったのだろう」

明治、昭和の大津波を経て被害の記録は残されたが、悲しみは風化したのではないか。福二のことを伝えた母の思いを、自分なりに理解した。

「ただの教訓ではなく、じいちゃん、ばあちゃんから口で伝えられた話こそ力を持つ。一人一人が血の通った物語を語り継ぐことでしか、次世代の悲しみはなくせない」

現在、山田町内の仮設住宅で暮らす。家を建てる場所を決めかねているが、この町を離れるつもりはない。

今年に入り、流失した家系図の復元を始めた。近い将来この図を璃歩さんに見せながら、先祖の物語を伝えよう。そう心に決めている。【奥山はるな】

( 出典先:Yahoo!ニュース )



どんなにネットが発達して、双方向の情報社会になろうとも

ネットも結局、人間の扱うものである以上でも以下でもない

伝承の方法はどうあれ、血の通った言葉だけが

後世に残り、永遠に語り継がれていくんですよ