mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

真実の行方は、永遠に時の彼方へ

80年を越える歴史を持つだけあって、アカデミー賞授章式には人間模様いろいろ

第57回(1984年度)では、英国の名優ローレンス・オリヴィエが作品賞プレゼンター
緊張していたらしく、候補5作品の紹介を忘れ、慌てた会場が止める間もなく「‘アマデウス’☆」
…最高にワロタ…

政治的利用は批判される。が、政治的な信条や経歴の露出はまま起きる
第50回(1977年度)、‘ジュリア’で助演女優賞受賞のヴァネッサ・レッドグレーヴ
この人は、反ユダヤでないながらも親パレスチナとあって反イスラエル
よりによってユダヤ系の牙城であるハリウッドにおいて一席ぶっちゃって大顰蹙を買いました

もっとも牙城は少し進歩したのか、第75回(2002年度)の作品賞と監督賞が、‘戦場のピアニスト
『鉤十字ドイツ=悪魔、ユダヤ人=犠牲者』の公式が崩れた作品
撮ったロマン・ポランスキーは、ユダヤ系。でも1977年に問われた罪から、米国入国出来ない
基本は超保守的ガンコ者の米国だけに、ホォと感心しました

アカデミー賞からズレますが
 
 
 
映画界への影響
「ハリウッド・ブラックリスト」と呼ばれる、過去に共産主義思想を持っていた、もしくは共産主義者と関係があったとされる者のリストなどにより告発された映画関係者は、チャーリー・チャップリンジョン・ヒューストンウィリアム・ワイラーなどアメリカ人や外国人の関係者を含めた数百人に上る。

これに対して、パージを推進した非米活動委員会は憲法権利章典に違反するとして、ダニー・ケイジュディ・ガーランドヘンリー・フォンダハンフリー・ボガートグレゴリー・ペックカーク・ダグラスバート・ランカスターフランク・シナトラキャサリン・ヘプバーンベニー・グッドマン(順不同、一部)など映画人・公務員の多数が反対運動を起こした。

なお、エリア・カザンや、保守的思想で知られたウォルト・ディズニーゲーリー・クーパーロバート・テイラー、そして後のアメリカ大統領のロナルド・レーガンなどは、告発者として協力したことで知られる。

このマッカーシズム以降、ハリウッドには根強い共和党への不信感が生まれ、上記のように多くの民主党選出の議員がマッカーシズムを支持したという事実があるにもかかわらず、現在も民主党支持者が多くを占めると言われている。

Wikipedia:『マッカーシズム』より引用 )
 
 
ディズニーとレーガン死ぬほど嫌いな理由の一つ

赤狩り(Red Scare)、非米活動委員会がよほどアカ
共産主義否定宣誓書に署名しなければ、卒業証書やらねえよ」
ご無体極まりない高校が結構数あったそうでっせ
どっかの上院下院どっちかの議員なんて
アメリカンでないフットボールなど、(不良な)外国人や共産主義者のやるものだ」
1950年ブラジルW杯にて英国(プロ)に勝った米国(セミプロ&アマ)、気の毒すぎる

ま、民主党だって、同じ穴のムジナ
JFK暗殺の黒幕:次の大統領ジョンソン説なんてのがありますぞ
北爆を始めてヴェトナム泥沼化させた元凶に比べたら
ウォータゲートなニクソン爺さん 、そのご面相にかかわらず善人の部類
…なんてのは共和党ばっかイヂめても気の毒やんけの理由から書き

アカ告発者の中で評価二分するのは

 
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Elia Kazan receiving an Honorary Oscar? (名誉賞受賞前後の映像)
 
 
1952年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるエリア・カザン共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために司法取引し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に表した。そのなかには劇作家・脚本家のリリアン・ヘルマン、小説家のダシール・ハメットなどの名もあった。以降もカザンは、演劇界・映画界において精力的に活動を続けることができ、名作と呼ばれる作品の誕生に数多く関わっていくが、この告発行為は、後のカザンの経歴およびその作風に暗い影を落とすこととなった。

同年、映画『革命児サパタ』を監督。主演はマーロン・ブランド。カザンはこの映画のなかに、共産主義に対する批判のメッセージを込めたと言われている。

1998年に、長年の映画界に対する功労にアカデミー賞「名誉賞」を与えられたが、赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びた(賞のプレゼンテーターはマーティン・スコセッシロバート・デ・ニーロ)。リチャード・ドレイファスは事前に、授与反対の意思を表す声明を出し、ニック・ノルティエド・ハリスイアン・マッケランらは、受賞の瞬間も硬い表情で腕組みして座ったまま、無言の抗議を行なった。スティーブン・スピルバーグジム・キャリーらは拍手はしたが、起立しなかった。起立して拍手したのはウォーレン・ビーティやヘレン・ハントメリル・ストリープ等だった。通常は名誉賞が授けられる人物には、全員でのスタンディングオベーションが慣例のため、会場内は異様な空気に包まれた。また、会場の外では授与支持派と反対派の双方がデモを行なった。反対派のデモ隊の中には、かつて赤狩りで追放歴のある脚本家のエイブラハム・ポロンスキーもいた。

Wikipedia:『エリア・カザン』より引用 )
 
 
ウォーレン・ビーティーが拍手、カザンに起用されて映画デビューの恩義だろ
ロバート・デニーロが紹介役、カザン作品最後の主演男優だから?

純粋に映画での功績を称えるか、人道的な倫理基準をもって裁くか
それよりも、賛否両論を全世界生中継するだけの余裕
ブッシュ家お坊っちゃまが白い家に引っ越し以来、激減してるのが情けねえ~
Roman Polanski winning an Oscar
先述のポランスキー監督賞受賞直後、腹の中ではまさかと思っていた会場内の「へ?」も及ばん

個人的には、カザンの司法取引は、人の何倍も大きい人生破滅への恐怖心からだと思います
イスタンブールユダヤギリシア人家庭生まれ
WASP(白人・アングロサクソンプロテスタント)がまだまだ支配階級として君臨していた1950年代米国
トルコ・ユダヤギリシャ共産主義と重ね合わせたら?

カザン騒動の起きた第71回(1998年度)の2年前には、感動的なツーショット☆☆

 
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第69回(1996年度)の長編ドキュメンタリー映画賞受賞の‘モハメド・アリ かけがえのない日々’
1974年の 『キンシャサの奇蹟』 の勝者と敗者
勝利してもパーキンソン病、敗れ去っても伝道師にまで這い上がり45歳にして王者復活
一時の勝敗がどう人生を左右するか神のみぞ知る
ただ上の場面、両者とも男前なカワイイ表情ですよね~

勝敗といえば、当然アカデミー賞候補者も然り
「Oscar goes to …」と言い換えたって、やっぱ「Winner is …」の構図は変わらん

第55回(1982年度)、往年の名監督ビリー・ワイルダーが名誉賞(男優ミッキー・ルーニー)授与係で登場
「与えるは受けるより幸いなり?信じられん」、会場を爆笑させました
これが、映画人種の本音ですってば
アカデミー賞でも運動会の一等賞でも欲しくなけりゃ、以下の通りだっての

 
主演男優賞を受賞したジョージ・C・スコットがノミネーション及び受賞を拒否するという異例の事態となった。スコットは「俳優たちを競争させるのは堕落である」「授賞式は2時間のけばけばしいショーにすぎない。経済的理由のために、サスペンスを盛り込んでつくりあげた大衆向けの展示だ」と毒舌をはき、アカデミーに対しても正式に辞退の電報をうった。この申し出に対してアカデミーは「方針は常に貴殿に通知済み」という簡単な覚書で対応した。式典ではプロデューサーのフランク・マッカーシー代理人としてオスカーを受け取ったが、スコットの意思により翌日アカデミー協会に返却された。

Wikipedia:『第43回アカデミー賞』より引用 )
 
 
1971年4月15日に発表・授賞式が行われた1970年度分でのお話

…1980年代に入り、パットン将軍は見世物を楽しむため会場に一度現れてたけど
以来、「あんだけ毒づきながら…ホンマに、欲しくなかったんかい?男前を演出したちゃうんけ?」…
 
 

 

 
 
で、本館用のネタ思いつかないため、昨日のアメブロ記事を使い回しました