mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

ああ無情

フットボール新季開幕が本格化の秋よりも、芸術と食欲の秋に走っております
(当所がサッカーブログなんて、いつ言いました?)

イメージ 1

‘アデルの恋の物語’(1975年)ですね
文豪ヴィクトル・ユーゴーの娘アデルが、イケメン以外取り柄なしの英国騎兵中尉に恋煩いのお話
あちこち流浪の果てに狂気へ。それを父親は?
手紙を送って説教する一方、無心されたらついつい送金してしまいます
「このお金で家に帰りなさい」と言っても流浪資金にしかならないをわかってるはずなのに
偉大な文豪も家内安全とはいかなかったようで、むしろ人間味を感じ取れます

ユーゴーといえば、‘レ・ミゼラブル’
数年前、日本放送協会BSでTVシリーズ版を観ました
ジェラール・ドパルデュージャン・ヴァルジャン)がジョン・マルコヴィッチ(ジャヴェール警部)になんて
恐ろしすぎる…というのは横へ置き、幕切れ近くの場面を観てハタと気づいた事を…

最期の時を迎えるヴァルジャンのもとへ、マリユスがコゼットを連れてゆく馬車での会話
ヴァルジャンから遠ざけていた事を詫びる彼に、彼女は言います
「まあマリユスったら、何が言いたいの。お父様を疑ってるの?何を?
あの夜(ヴァルジャンとの出会いの夜)、お父様が何故現れたか、あたしにはわからない
でも、あたしはお父様を疑った事など一度もないわ」

このやりとりから、「ヴァルジャンとコゼットの原型だったのか、リゴレットとジルダは」

ヴェルディ先生の歌劇‘リゴレット’は、ユーゴー先生の戯曲を下敷きにした作品です
女好きの公爵に仕える宮廷の道化師が娘に防虫剤をふりかけ箱入りの結果の悲劇ですが、
父性愛を描く…だけではないと、‘レ・ミゼラブル’を観て気づいたのです

マリユスは、ヴァルジャンとコゼットが実の父娘でなく、ヴァルジャンの『愛情』から、コゼットを遠ざけました
ヴァルジャン自身は、ミリエル司教の慈悲により魂の救済を得られたおかげで、
イケメンに捨てられた哀れなファンティーヌとその娘コゼットに救いを与え、自制出来ていたはず

一方、リゴレットは「哀れなわしをマリア様のような女性が救い、ジルダ、お前を残してくれた」
この言葉だけだと、実の父娘かどうか不明ですよね
マリア様2代目を無意識ながらも『娘』に求めていた
誰にも盗まれまい、その思いがアダとなった
…あくまでアタシの推測ながら、この2人を軸にヴァルジャンとコゼットが形作られていったのではないかと

そして、その背景には、ユーゴー自身の魂の叫びが隠されていたのではないかと
アデルを狂わせたイケメン中尉に対し、「悪魔め鬼め。娘を返せ」と