
昨日ペタリしようとした画像である
Hatena画像フォルダにちゃんと収納されてるので、試しに新規作成画面を開いてUPしプレビュー表示するとノー問題だった
問題は、記事の下書きや修正の画面で反映されなかったコト
YouTubeもだ
成年式と成年会見の動画ペタリまでは異状無かった
その後、別の動画を文字リンクしようとしたら、嫌~んと拒否られた
UP挑戦を繰り返し、あと文章を記事作成画面にコピペすると、記事全体の文字数が追加される現象ワケわからん
文字数は多分3500~4000の間なのに、85079とか何なん(・・?(゜-゜)
もお面倒だってんで、文字数8617となるよう文章の調整したワイ
とにもかくにも何かおかしい頃な
ヒサ子の件暴露を嗅ぎ付けた皿婆の呪いか知らんw
尚、昨日の成年式で一番超怖コワなのねと悪評食らったカタは?

【お茶の番】A宮H様の成年式は傍系の決定的な格下扱いだった【リメイク】- YouTube
「ショラテンよ!」と全世界に御披露目したいヒサ君より目立ってしまった丙午妃
9.11が誕生日、つまり50代最後の1年間開始まで数日のカタが、リボン…(絶句)

おでん🍢に浸かってる昆布を頭に…の1989年にも絶句したが
36年も経ち、世紀も20から21に変わってるのに、いつまで若いつもり?w
成長を望むのが間違ってると言えるけどね
ん?紀子さま?今なんとおっしゃいましたか? - YouTube
帰国子女と言えば聞こえはイイけど、幼児期に母国語という思考言語が身に備わっていない
「能力内学歴主義」なら、努力もするだろうし、正当な人生選択肢イロイロに対し
「能力無い学歴主義」なら、努力しなかったら尚更、コネや利権・剽窃・詐称などに頼るしかあるまい
「能力無い学歴主義」でもある
どうあれ、~゜・_・゜~の複雑な表情の内側:「嫁選びを失敗した( ノД`)シクシク…」
そう思われても、夫婦どっちもどっちなのは30秒だけ堪えてや♯shortsでバレバレだし
嫁は恐らく「天照大神をテンテルダイジンと読んだアンタにだけは…」w
見た目をどれだけ加工演出しようと、中身が伴わなければ、虚しさだけが強調される意味よ
皿婆がイイ例じゃないの

「その方の真似をしていたのですね」”本物”に嫉妬する美智子さま - YouTube
背広三着の伴侶
何も億も衣服代に使って「私綺麗でショッ」テ言いたい伴侶
中身に違いですネ
・・・
2025年現在も健在の昭和天皇の皇女(内親王)は他に、姉の順宮厚子内親王→池田厚子のみである
愛称の「おスタちゃん」は、清宮貴子(すがのみや たかこ)の称号と名前の最初の1文字をそれぞれ取ったものを説明して
1957年8月の軽井沢のテニスコートに於けるハゼ皿の出会いは、おスタちゃんがハゼに大会に出場するよう勧めたのがそのきっかけの1つ
正直な感想、「妹の勧めもあるが、別口がモノ言ってる?」…放置してw
皿婆がおスタちゃんを意識するのは当然でしょ
結婚前後のブーム期
兄の皇太子明仁親王と正田美智子の婚礼を1ヶ月後に控えた、1959年(昭和34年)3月19日、
毎日新聞のスクープによって島津久永との婚約が明らかとなった。
清宮は「見合いで『平民』と結婚」であるとし、正田美智子が「恋愛結婚で『皇族』と結婚」したことと比較して報じられ、
女性週刊誌の皇室報道が華やぎを増した。
新聞のスクープを、週刊誌が詳報し、女性週刊誌が女性目線で話題を維持する、という戦後皇室報道の流れが完成された。
こうして同年の間、美智子妃と清宮は、ライフスタイルやファッション等、あらゆる面で注目を受けた。
清宮は結婚によって皇室を離れて民間人になった身にもかかわらず、
実質的には「皇族女性」として世間の憧れの的となった。
結婚会見での明るい様子が新しい時代を感じさせるもので、今なお名会見と言われる。
また、この直前の、成年皇族として初めての誕生日会見の際、
「どのような男性が理想ですか」という内容の質問に対しての
「私の選んだ人を見て下さって…」は当時の流行語となり、
前年の皇太子夫妻の結婚と、清宮の言葉をきっかけに、恋愛結婚が増えるようになった。
皇太子夫妻や清宮は、「恋愛結婚」「男女平等」「自由」の象徴として、若者世代から人気が高かった。...

【TBSスパークル】1959年3月19日 清宮さまご婚約(昭和34年)- YouTube
それから1年後の1960年3月10日に降嫁している
2人の女性が、1959年の間、ライフスタイルやファッション等、あらゆる面で注目を受けたら?
見てミテに全身全霊を傾けるオナゴならば、嫌でも意識するよね
1963年に週刊誌『女性自身』が実施した、「ベストドレッサーはだれか」というアンケート調査では
1位の女優・淡路恵子に次ぐ2位であり、3位であった皿婆を上回る評価と人気があったなんて
パリ~ンと割れそうなくらい「アテクシが上回ってやる」と必死になった姿が目に見えるようw
まだJDである20歳での成年皇族として初めての誕生日会見で婚約発表とか
~゜・_・゜~宮家の内親王姉妹と雲泥の差ねは置きw
おスタちゃんの婚約そして降嫁は、現代人の大好きな自由恋愛に基づくものじゃない
自然な出会いをセッティングされた場が設けられ、交際するか否か、若いお2人さんの意思に任せる格好となったそう
「見合いも、出会いの1つ」、アタシの持論だけど、おスタちゃんの場合も見合いの変型というか「紹介」が介在してるのね
結婚したら市井に生きる民間人になる身とはいえ、皇女だった過去は消えず、天皇家に繋がる以上
何代遡っても只の平民且つ黒歴史アリといった男性との出会いが、完全監視下に置かれる皇女にそもそもあり得ない
完全無欠でなくても不安要素が無く、微に入り細に入りの身体検査に通った殿方だけが紹介されよう
おスタちゃんは結婚に伴い学習院大学を中途退学した(当時は、結婚のため大学中退した場合は卒業生として扱われた)が
社会人でなく学習院大学文学部イギリス文学科在学中のJDなら、尚更ね
学習院在学時代はハゼ爺と学友
家柄を見ると、おスタちゃんの母香淳皇后と久永氏は、祖父島津忠義を同じくする従姉弟同士にあたる
ま、皇女の嫁ぎ先として安全安心だね
旧宮家・旧華族の当主やその継嗣にはあたらない「平民且つ次男」として、皇室典範制定以来、初の事例となった点が、斬新?
結婚したら必ず他家の嫁となる身なので、幼少期から花嫁修業というか家事を仕込まれていたにせよ
それでも只のオバちゃんとして劣化しなかった点は、姪のサーヤと同じでしょね
1970年に開催された大阪万博では、開会式・閉会式のTV番組で司会を務めるなど、タレントとしても活動した
この事について感想を問われた昭和帝は、国民と皇室の距離が近付く事を好意的に捉えつつも
細部の感想については「研究しなければならない」と言葉を濁しているが
おスタちゃんは確認されているだけで2回、誘拐事件の対象となった(いずれも未遂)とあって
つまり、民間に降りても完全なる無名の人になれない宿命を背負うので
目立って変な輩に感化(利用)されるを恐れていた?
只のオバちゃんに堕すを懸念していたのであれば、杞憂に終わったんじゃないのかね
【TBSスパークル】1959年3月19日 清宮さまご婚約(昭和34年)コメント欄に
現代の皇族方とこの頃の天皇家の皆様とでは随分と差がありますこと!なんていう意見を目にしますが、
これが日本全体の日本語の上品さに違いが大きく出ているという証拠でございましょう
今の国内を見渡してみれば、端正な日本語をお話になっていらっしゃる方々が随分と減っておりますこと!
だから講座とかを開いて教え広める必要があるわけなんですけどもね〜
民間に降りても、只のオバちゃんとは育ちが違うんだよ
高学歴高収入を盾に自分より格下認定した者にマウント取る腐れバリキャリとも、天国と地獄以上の格差だよ
「上流階級」と「上級国民」を比較したらわかるはず
王族や皇族じゃないけど正真正銘ガチお嬢様を見てみな
演技力、努力などで誤魔化し利かない本物の気品が備わってるね
物心つく前後から本物の教養及び本物の知性と教養が自然に備わる環境に育ったかかどうかの差よ
今で言う「上級国民」に属するものの
五反田だか御徒町だかの繁華街を練り歩き、お嬢様にあるまじき「ヤバい」を口にしたと云われるスケ番には不可能な相談だ罠
雲上人として生まれ育った義妹に留まらず、長女、孫娘に嫉妬して…もむべなるかなw

「イラスト素材:内面から輝き」
内面から輝きが見て取れるかの差でもある
ハッキリ申しげまして、サーヤにも言えるが、ハゼ爺顔のおスタちゃんは美人と言えない
サーヤは降嫁後、眼鏡を掛け地味な服装であった頃と打って変わって垢抜けたね
所作も美しい
本物の気品が表に現れるようになった意味でしょ
尚、上お兄ちゃんも、ハゼ爺顔で低身長ながら、幼少期から本物の気品が備わり、イケメンと言い難いが紳士として男前だ
ハゼ爺兄弟も上の行に該当する
外見良し悪しを抜きに該当しないカタカタは離脱したカタカタ含め男女問わず、イロイロな意味に於いて本物じゃないとしか
記事を〆る(逃)w