「え”っと、誰も予想だにしなかったカミラがお先にの可能性もあるけど(゜-゜)」
チャールズが癌で余命宣告受けてるも、近日中にウイリアムの国王即位っぽい記事題名にワロタ件放置して
チャールズが先に亡くなったら
→「en:Queen Dowager」も参照
訳語として、皇帝の未亡人(英語:Empress dowager)に「皇太后」、
先代の王の王妃だった者(英語:Queen dowager)に「王太后」(おうたいごう)を用いることがある。
また、王国の元首をすべて皇帝と称してきたかつての儀典上の慣例から、
ヨーロッパでは一度帯びた位は原則終身保持できるため、
1989年に崩御した、オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝カール1世の皇后ツィタ
(オーストリア・ハンガリー帝国は1918年に滅亡し、カール1世は1922年に崩御)
がヨーロッパ最後の「皇太后」である。
現在、「皇后」(英語:Empress)の地位が存在するのは日本のみであるため、
1947年までインド皇后(英語:Empress of India)であり、
2002年に崩御したエリザベス・ボーズ=ライアン
(イギリス国王ジョージ6世妃、同女王エリザベス2世生母)
が、日本以外における最後の「皇太后」である。
日本では天皇の母である后(きさき)を母后(ヨミは「ぼこう」または「ははきさき」)と呼称するが、
ヨーロッパにもこれに相当する呼称(英語:Queen mother)がある。
カミラは「国王の未亡人」を意味するQueen dowager(王太后)へと変更されるが
カミラの「自身の役割にやりがいを感じている」「生涯王妃であり続けたい」「すぐには役割を手放したくない」
そして、「ウィリアム皇太子は『我慢して受け入れている』いっぽうで、カミラ王妃は彼を『少し恐れていた』」
これらが事実の場合、継母が変化を徐々にでも受け入れるならば、継息子もお払い箱にしないと思うぜよ
四十路を迎えて未だママ恋しい愚弟ハリ~と違い、カミラが不要に出張らないけりゃ譲歩して礼を尽くす感じね
但しQueen mother、大姑の方は内心「チャールズとお似合い」と云われるしね
それより、国王(皇帝)が王妃(皇后)より長生きした場合
嫁は外様なので、生来王族(皇族)の夫には「王太后(皇太后)」に該当する言葉は存在しない罠
男女の平均寿命が女高男低なのは、介護施設に婆さんだらけが証明している
需要と供給の関係で女性仕様優先施設の所為でなかなか入所出来ない爺さん'sに愛の手をと絶叫しといて
そもそも、嫁と死別した君主って4名しか浮かばない
(前妻と離婚して死別なら チャールズが該当するけどw)
最初と3番目の嫁が産褥死で、2番目は卵巣腫瘍で逝った血塗れメアリー姐さん
(1558年11月17日、メアリーの命日はその後200年間に亘って「圧政から解放された日」として祝われたw)
②ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン
第14子出産後に38歳で産褥死を悼み、彼女の廟としてタージ・マハルを20余年掛けて建立し来世を弔った
皇后エリーザベト(愛称シシィ)が 、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに暗殺された
アンナ・ナホフスキーとカタリーナ・シュラット、2人の愛人いたものの
突然のシシィ訃報に接した際、悲嘆のあまり「この世は何処まで余を苦しめれば気が済むのか」と泣き崩れたと伝えられている
側近:「それ以後の陛下は、執務時間中でも亡き皇后陛下の写真を見つめながら、物思いに耽っておられる事がしばしばだった」
ハリウッドから王妃になったグレース・ケリーの40年間隠された事故の真実 - YouTube
解説不要だよね
男女の平均寿命が女高男低もあるが、寡夫となった君主が元々少ないんだよね
古今東西合わせた2025年現在、世界の王室(皇室)は27ヶ所に留まり
王太后は、タイのラーマ9世の遺志に背いたムチュコタン(。・ω・。)ノ♡の母后が浮かぶも
欧州に於いては、病弱で早逝した夫とは正反対に
死去:2002年3月30日(101歳没)
百寿超えで崩御する数ヶ月前まで公務をこなし続けていたQueen mother以降、存在しない
王妃としての在位期間:1936年12月11日~1952年2月6日(インド皇后としては、1936年12月11日~1947年8月15日)
15年そこらでマァ短命と言える王妃歴が、半世紀余りに亘った王太后歴の陰には置き
崩御7週間前に次女マーガレット王女が71歳で薨去、早い話「逆縁」が
悪の華に漂うは知的な香り - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
「次女ちゃん、お姉ちゃんのように好きな人と結婚させてあげられなくて御免ね」と謝りに後追いさせたのやら
オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝カール1世の皇后ツィタ
(オーストリア・ハンガリー帝国は1918年に滅亡し、カール1世は1922年に崩御)
彼女が、欧州に於ける最後の皇太后である
1892年生まれ、1911年に19歳で結婚、1922年に30歳で皇太后となり、1989年に97歳手前で崩御した
ハプスブルク王朝消滅から70年余り経つけど、欧州では一度帯びた位は原則終身保持出来るし
王権神授説の信奉者であったため、
ハプスブルク家に生を受けた夫以上にハプスブルク王朝の存続を当然のことと思っており、
死ぬまでいつの日かハプスブルク家に再び君主の座が戻ってくると信じて疑わなかった。
そのため、カール1世が崩御した直後に
「あなたは今、皇帝および王(Kaiser und Könige)となったのです」
と皇太子オットーに語り、
オットーが「オーストリア皇帝」に即位したとみなしていた。
そのため、ツィタらの猛反対にもかかわらず
オットーが1961年に共和国の忠実な市民となることをオーストリア共和国に宣誓したと知った際には、
衝撃のあまり絶句したという[34]。
カールとツィタの子孫は婚姻によりスペイン、ベルギー、ルクセンブルクの君主位継承権を保持しており、
王政復古という形によらずとも将来ハプスブルク一族が君主に返り咲く可能性はある。
亡命先からオーストリアへの帰郷がしばしばの90歳以降、「最後の皇后」を見ようとするオーストリア国民わんさか押し寄せたし
オーストリア共和国に「必ずやハプスブルク王朝の栄光は帰って来る」と本気で信じていたって許す
嫁なので婚家から見て外様だけど、世間にホーッホホホ笑いしながら誇ってイイ出自だからね
父はブルボン=パルマ家のパルマ公ロベルト1世、母はポルトガルの廃王ミゲル1世の娘マリア・アントーニア
父方は、本家であるフランス・ブルボン家を始め、スペイン・両シチリア王国の各ブルボン家と繋がっている
ハプスブルク家には、身分差別というか貴賎結婚を忌む伝統があった
王朝崩壊後も根強く、一族の誰かの結婚問題発生した1980年代に、オットーが家内法を改正し、緩和策を打ち出したという
緩和策であって、王侯貴族内の格差取っ払っただけで、誰でもカモ~ンに非ず
そのような名門に嫁げるほど、ツィタは本物の雲の上階級育ち嫁なんだよ
昭和の3DK妃とは億単位光年離れた異次元の存在ねw
プライドが高く、フランツ・ヨーゼフ皇帝の母ゾフィー大公妃に酷似する鬼嫁系で、貴族特有の選民思想も強かったけど
少女時代、貴族の子女のための教育を受ける修道院に於いて
公女という立場から友人に均等に接し「親しい友人は1人もいなかった」点が興味深い
本音どうあれ 、良くも悪くも絶対的な自信を持ち、誰に対しても最小限の礼は尽くす意味じゃん
実際、公平であった
皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の妻
伯爵家出身とはいえ、皇家から見れば到底釣り合うような身分でなかった
最終的にゾフィーが皇族としての特権を全て放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせない事を条件に結婚を承認された
それでもトコトン差別を受け

正式な皇太子夫妻待遇での招待とあって、大公が不憫な妻に皇太子妃体験させるためバルカン半島訪問した結果、凶弾に斃れた
宮廷総出の嫁イビリが第一次世界大戦の勃発に繋がったわけだが
幼児にまで「〇〇様」と頭を下げる冷遇を強いられていたゾフィーに公の場で挨拶したのが、ツィタであった
曲がりなりにも皇位継承者夫人に対し、貴婦人としての礼儀を弁えていた意味よ
皇位継承順位がフランツ・フェルディナント👉大公の甥カール👉カールの長男オットーを思うべし
皇位継承者が2人もいる家の嫁だけに
ドヤ顔で「我が家が、神の真理」「恐れるものは何も無い」とマウント取っておかしくないでしょ
身分と特権は30数年前にGETしたが、無教養なので何も身に付かない誰かと対照的にw
尚、「恐れるものは何も無い」を公言する者は実の所、常にビクビクしている
自分を脅かす諸々が何も無いなら、黙ってりゃ済むじゃん
これまた、次から次へと不都合な真実がボロボロ現れる誰かと対照的にw
今は使い方知らない特権でやりたい放題だけど
破滅の決定打出されてみ、ほぼ無能なのに無駄に高い矜持がバラバラに崩壊し、一気にクル狂✋100%保証するぞなもし
「婿は座敷から貰え、嫁は庭から貰え」(むこはざしきからもらえ、よめはにわからもらえ)の意味
婿は女性側が男性側に三顧の礼を尽くして迎えるものであり、それなり良い育ちからの婿入りが見られる
嫁も可能な限り
「深窓の大富豪令嬢でなく平均的なサラリーマン家庭の娘でも、とにかく最小限の教養を備えた堅気であればイイ」
それなり良い育ちから迎えるべきというオチよ
詳細割愛したが、家柄も学業成績も何もかも婚家では最底辺に属する嫁への遠回しの嫌味に疲れた記事を〆るw

