人は誰しも生まれた時から平等でない宿命を背負う
故に、元姫が今だに税金ドロボー猫出来るw
昔々大昔、NYのメトロポリタン歌劇場総支配人ルドルフ・ビングが
R・シュトラウス『ばらの騎士』第一幕に登場する貴族未亡人&3人の孤児が、白人の子2人と黒人の子1人の配役では不適当と干渉した
色違いの子供達を連れている白人女性って、フシダラであると受け取られる恐れがあるからね
台本上でも、18世紀末ウィーンを描く舞台に登場していい黒人は、元帥夫人に朝食を運んだりする黙役の小姓だけ
余談ながら、1994年のウィーン国立歌劇場では、イタリア人歌手役がどっから見たってアジア系w
昨日書いた通り、アタシゃ
ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』配役、及び一部を除く映画仕立てのオペラ映像に関する限り
ユダヤ含む白人至上主義である
但し
「映画仕立てでなく、舞台映像」
「アジア系が、12人いる親方衆のうち単独で歌わない1人か2人及びニュルンベルク市民という合唱団にチラリホラリ程度に留まる」
上2行を満たしたら、許す
悪いけど、黒人は色が目立っちゃうのがマズイわ
オペラ映画仕立てに黒人歌手、白塗り以外の例外もある
https://www.youtube.com/results?search_query=il+ritorno+d%27ulisse+in+patria+ponnelle
Monteverdi - Il ritorno d'Ulisse in patria (actes 1-2) (ST it-eng-fr-de-esp) - YouTube
BC.1200年頃のトロイア戦争後の話の一つである『ウリッセの帰還』
例えば1914年~1918年にかけての第一次世界大戦、1915年の西部戦線を描く
そういったオペラだと、「何時・何処で・何が」に縛られる
「何時・何処で・何が」に縛られ過ぎず、演出次第で舞台設定変更可能な神話などにだったら、黒人歌手もアリ
黒人歌手についての私見:「男声が女声より不利」
男声同士で見ると、低音域(バリトン、バス=バリトン、バス)が有利で、高音域のテノールが不利だ
世間一般の感覚として、黒いシンデレラはアリだが、黒い王子様が微妙でしょ
ワーグナーを持ち役とするテノールを「ヘルデンテノール」と呼ぶけど
英雄的な役柄が、黒人テノールに歌えてもお座敷が掛からないと思うのね
これまた独断と偏見に基づくを前置きした上で「黒人歌手はアジア系歌手より有利」
舞台では心持ち程度の白塗りがしゃ~しゃ~と「ワタクシ達ヨーロッパ女性は云々」と歌うwは置き
同じアリアで、30年ちょい前のザルツブルク音楽祭聴衆が思わず失笑した歌手というのが
ザルツブルクの舞台でも眼鏡掛けてたなと『音楽の友』に載ってた写真を思い出しといて
中韓は感情が外向的で、日本は逆に内向的
非演劇というか舞台で浮いちゃう傾向を持つ日本人歌手より遥かに有利な韓国人歌手とて
オペラ芸術がグローバル化しようと、発祥と醸成は西洋であり、東洋が覇権握ったりしないし
西洋白人の眼には西洋黒人歌手が文化や宗教で親戚と言え、アジア系歌手は何から何まで違う的な(゜_゜>)
つか、日本人歌手の歌唱力ともかく演技力(表現力)をどないかしてクレ
日本人特有の意味不明なお手々パタパタはほぼ改善されたと思う
いつ頃かいな、ヴェルディ『ファルスタッフ』のオール日本人上演をNHK-BSで観た時の気持ち悪さ、それは無くなった
アタシゃ毎日スマホでクイズに答えてPontaポイントを貯めているが、最近の動く広告にイラ~の理由:「某ミュージカル」
踊ってるねーちゃんの表情が、わざとらしく、夢遊病っぽく、メリハリ付かずノッペラボウ気味が不自然で気持ち悪くてしゃ~ない
それに近い面がオペラ歌手にも否めないのがね~
あ”、難役に挑んで「ワタクシ、頑張ってます!」感もアカン
頑張るのは当たり前、努力を前面にアピるのはハシタナイとする奥床しさが備わってないのやら
ところで、オペラに関してアタシの隠さぬ本音ちゅうか希望が何かわかる(・・?
青い目の蝶々さん~ハリウッドが描くけったいな日本人Part2:ハヤミカンスイ立ち飲み昭和映画館 - YouTube
芸者役とはいえ白人が白塗りする青い目の蝶々さんを、いつまでも観賞し続けたい
日本や中韓の凡才ソプラノを観るくらいやったら
180cm超えの白熊アマゾネスに十分耐えられるw
白人歌手の歌う蝶々さんの場合、白塗りしようと基本「イエローフェイス」
東洋を描く作品は他にも挙げられる
配慮ダー等の新型差別主義に決して屈しない「イエローフェイス」の存続を望んでいる
ココまで極端は要らんがねw
真面目な話、配慮を言い出したら、白人歌手の仕事の選択肢を狭めるぞ
それだけの強権が東洋に認められるとでも?
タカラヅカの「ホワイトフェイス」は良く、オペラの「イエローフェイス」は悪いとならんやろが
そもそも、先程触れたように、オペラの発祥と醸成は西洋だ
『蝶々夫人』はイタリアオペラ、『微笑みの国』はベルリンで初演されたオペレッタ
作品の成立背景には19世紀以来欧州を席捲していたオリエンタリズムがある
『微笑みの国』の場合、欧州の人々の中国認識が極めて大雑把なものであり
劇中スー・チョン殿下が4人の妻を娶らされる話も中国をイスラム教国と間違えて認識したことによる
(但し、中国にも大官が自宅に複数の妾を蓄える習慣はある)
要するに、元来「青い目の見た東洋」であり、厳密な考証よりはファンタスティックな東洋を描くのが本筋なの
厳密な考証に基づくリアリズムが悪いわけじゃないけど
リアルを金科玉条にすると、異論を認めず弾圧するファシズムと同じ穴の狢になるっての
当記事題名の意味、皆様わかってクレタ?w