「齢を重ねるとナニかと弱いお年頃を迎える」
「ネコむ前に寝込むのが、転ばぬ先の杖」
と
Sir John Barbirolliに回答したくなる
出生名がGiovanni Battista Barbirolliだから、イタリア系英国人
太古との仏蘭西映画、フィルム・ノワールに出て来そうな風情は、マンマがママン、母親がフランス人だから
回答した理由👇
Elgar Cello Concerto / Jacqueline Du Pré / Sir John Barbirolli, LSO (ASD 655) 1965 - YouTube
ジャッキーの豪快な演奏っぷりについて、爺さんが
「若い時は過ぎたるくらいが良い
でなければ、年齢を重ねる意味が無い」
年齢を重ねたら、亀の甲より年の功、トシヨリの冷や水が何か知恵も積み重なるやろw
ジャッキーと爺さんの共通点として、爺さんもエルガーを演奏したチェリストが挙げられる他に、「日本での演奏会が幻と消えた」
ジャッキーは1973年4月、大阪国際フェスティバル他のため来日したものの
体調不良により全てキャンセルされ、そのまま演奏活動から引退を余儀無くされた
爺さんは1970年7月、大阪万博の一環としてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との初来日を目前にして心臓発作により死去
爺さんは何でも亡くなる前夜、コンサートホール警備員に馬鹿丁寧な挨拶したという
まさかMy Sweetheartの類じゃないと思うが(オケ団員に、相手が野郎でも、そう呼び掛けていたとかw)
日本がジジババ音楽家の鬼門と予知し、英国内で昇天したのだろーか(・・?
上段最後の行について解説すると
大阪万博から帰国直後、Sir Johnの翌日に急逝したジョージ・セルの場合、病状の進行を知っていた可能性がある
それと
最後(1990年)はPMF(7月3日)、それに続いてロンドン交響楽団を率い、東京で2回の公演を行った。
逝去する3ヶ月前、PMFのために札幌芸術の森で行われたリハーサルの模様や最晩年の様子は
しかし、バーンスタインの病状悪化が周囲に知らされず、
2回の東京公演以降に予定されていた演奏会をキャンセルし、途中でアメリカに帰国することになる。
この一件は、7月10日の演奏会に天皇が招待されていたことや、
自作(「ウェスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス)を弟子の大植英次に指揮させたこともあり、
観客の一部と主催者との間にトラブルを起こす事態にまで発展した。
如何にも体調悪そうな写真が産経新聞一面に載ってたし、主催者が悪いコトにしてある
尚、大阪でのロンドン響公演はおかげ様で
シンフォニーホールと旧フェスティバルホールで連日、五嶋みどり🎻が聴ける変更に感謝を捧げといてw
何かのロシアンルーレットですかと言いたくなるのが
日本国内で逝ってしもた…皆様、合掌お願い致します
ジャッキーとSir Johnへ戻ると
Sir Johnは70歳で亡くなり、21世紀現在ならまだ早く感じられる
しかしながら
目先のパンより因果律 - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
「大きくなったら歩くことも動くことも出来なくなる」
自身の予言通りを迎え、1987年10月19日に42歳で亡くなる頃には、意識あるが完全寝た切り
もしもSir Johnが100歳まで行かずとも90歳頃まで生涯現役だったら
30歳前に年齢重ねる意味が無くなったジャッキーと逆縁っぽく、ジャッキーを可愛がっていたSir Johnも辛かったはずだ
1970年に、まだまだ元気なジャッキーの姿を瞼に逝けたのが幸運だったんじゃね
ジャッキーが1960年代の青春の象徴の一つと考えれば重なるのが👇
まず
ボク、『いちご白書』で使われたと思った件
「いちご白書」 サークル・ゲーム (訳詞付き) Buffy Sainte-Marie - YouTube
微妙に被るトコの所為ちゃうん(・・?
この頃の曲ごっつ似とるますねん、、、
ボク、その関西弁おかし過ぎへんか
「...ねん」で終わるのも微妙やけど
関西弁の「ねん」と「やねん」は、標準語に変えたらどういう意味なの? | HiNative
「ごっつ似とるます」、標準語に置き換えると「すごく似ている(い)ます」みたいになるがなw
関西弁さておき
♪サークル・ゲームが♪青春の光と影と微妙に被っても不思議ではない
サークル・ゲーム (ジョニ・ミッチェルの曲) - Wikipedia
最初に本作品をレコードに吹き込んだのは、カナダのフォーク・デュオ、イアンとシルヴィアである。
彼らのバージョンは1967年4月発売のアルバム『So Much for Dreaming』に収録された。
同年7月、バフィー・セントメリーがアルバム『Fire & Fleet & Candlelight』でカバーし、
1968年12月、トム・ラッシュが同名のアルバム『The Circle Game』でカバーした。
バフィー・セントメリーのバージョンは1970年公開の映画『いちご白書』の主題歌として使用された。
ミッチェル自身のバージョンが正式にレコーディングされたのは
1970年4月発売の3枚目のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』においてである。
バフィー・セントメリー自身がカバー版であり、その3年後ようやく、ジョニ・ミッチェル御本尊版が来るからね
ほぼ同じ時期にで、これまたジュディ・コリンズがジョニ御本尊より先で
Changes (1969 film) - Wikipedia
映画主題歌に使われるから話がこんがらかる
青春の光と影[歌詞和訳]:ジョニ・ミッチェル Both Sides Now – マジックトレイン・ブログ
ジョニ・ミッチェルの歌詞って難解過ぎるけど
どちらの歌にしろ、死生観っぽいものが感じ取れる
ジャッキーと重ね合わせたら…
ジャッキーが、大病を患わず、チェリストとして順風満帆で、年齢を重ねていれば
作曲家が病床にあって、その状況下で書かれたとの記述も残されているエルガーの協奏曲を、50代で再録音出来ていれば
これくらいの貫禄が望めたのか気になったりの頃な