mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

女の愛と生涯の夢

嫌いだったアラン・ドロンジョン・ウェインを好きになって謝るまで40年ばかり要した

 

 

 

 

何十年掛けてといえば

mathichen.hatenablog.com

 1981年秋からだと、2011年初頭に記事書くなんてほとんど30年

我ながら執念深いと思う

けど、「マンデルに選ばれた子」が、客観的にDeutsche Jungfrauを理解出来る独逸乙女が、不覚を取っていた

Yahoo!旧本館からちょうど10年後の本日、「見落としてた…」

マンデル女子隊長様が、地獄から「気づいて…」と念を飛ばしたのやら

つまり、これまた40年レベルの話となったw

 

 

 

 

『マンデルの愛した子』

1944年秋、ユダヤ系アーリア系両方ポーランド人が大量に移送されて来た中にいた2,3歳の坊や

その子を1週間ばかり、マンデルは収容中を自慢して歩いた

「あの人にもやっぱり人間の心はあったのね」

「さあ、どうだかね」

その答えは…

風が激しく雨を窓に叩きつける夜、楽団員がほとんどベッドに入った所へ

異常なほど青ざめて目の下に隈を作ったマンデルが1曲所望した

プッチーニ蝶々夫人』から愛の二重唱を、心ここにあらずの表情、口を真一文字に結びながら聴き

二重唱が終わると立ち上がり、一言も口にしないまま出て行った

あくる日、マンデル自ら坊やの手を引いてガス室に連れて行ったとの情報が入った…

激しいショックから音楽室中が大混乱に陥り、「何故、そんなことが出来るのか」、罵りの声、涙の海

やはり衝撃ながらも冷静な判断出来るファニアが説明した

「いい?マンデルは狂信的なナチなのよ

国家社会主義外のものに心を向けたり自分の感情に溺れたりしている権利は無いんだわ

たとえ子供でも、殺すと決まった人間をガス室から守る権利は無いのよ

党と国家のために何をなすべきか決めるのは、彼女じゃなくて指導者

だから、彼女はいつまでも命令に背いているわけには行かないのよ」

 

 

 

 

何を見落としていたか?:「蝶々夫人

マンデルは暗い髪色で小柄なファニアからバタフライの想像したのか

「私の小さな歌い手さん」と呼び、たびたび歌わせた

歌劇の蝶々夫人は最後

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坊やも将来、遠いアメリカにて、母の最期を知るだろうが、2,3歳の幼児に不安や恐怖を与えてはならない

蝶々さんは坊やが母の自害を目にしないよう、星条旗を渡して目隠しさせるね

「2,3歳の幼児に不安や恐怖を与えない」、ココだよ

 

 

 

 

www.47news.jp

▽偽りの音

貨車を降りた人々は笑い、あいさつを送ってよこした。

軽やかな音楽が演奏されている。「それほどひどい場所ではないだろう」。

人々の心中が伝わってくる。女性に男性、子どもに高齢者、みんなが目の前を通り過ぎる。

強制収容所楽団の役割の一つに、不安を抱えながら到着した人々を安心させる目的があった

ガス室も消毒やシャワーのためと思わせ、とにかく偽りが演じられた

親衛隊の偉いさん自ら手を汚すわけ無いのでマンデルも坊やをガス室近くまで連れて行き担当者に引き渡すだけで

ガス室を坊やに指差し、楽しいゲームがお部屋の中にあるよみたいに思わせたのであろう

 …母でなく子が死ぬ形だけど、蝶々さん幕切れと重なる

 

 

 

 

誰かの話によれば

マンデルは、かつてユダヤ人男性に恋した経験がある

そのため、自分を厳しく断罪しているのだという

ビルケナウに来るまでは主に女性を収容するラーフェンスブリュックの総棟長を務め

そこで大いに成績を上げ昇進させられた

ファニアの表現では「民族再生産に従事せず、こんな所で何をしてるのだろう」というほど

世界に冠たるドイツ民族の最高のサンプルと言える女性で、1944年当時まだ32歳と、2,3歳の子供がいる年齢だね

主義信条を除けば、1週間ばかり偽りだが母親気分を味わってみようと考える、ごく普通の女性だったと思うよ

 

 

 

 

ところで、当記事題名は

mathichen.hatenablog.com

ついでに

mathichen.hatenablog.com

シューマン歌曲集『女の愛と生涯』を少しイジッタ 

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マンデルを仰ぐビルケナウ女性楽団は、アウシュヴィッツの女性のオーケストラ - Wikipedia

ビルケナウからベルゲン・ベルゼンに移送された生え抜きの団員で最後まで残ったのはごく少数のよう

既に50歳だった団員にはベルゲン・ベルゼンの生活は過酷で、解放後すぐに亡くなったらしい

年齢等の確認出来る団員として

Esther Béjarano - Wikipedia

Anita Lasker-Wallfisch - Wikipedia

1924年と1925年に生まれた2名が最年長として存命である

資料無いけど、1944年当時15歳で、2021年現在も存命なら90歳が最年少だ

比較的若い団員が多く、しかも女性ばかりとあって、恐怖の中でも笑う場面がしばしば見られたという

若い女性なら、生還後に嫁行って子供持てる可能性あっただけ、救いかね

 

 

 

 


Bach, "Double" Violin Concerto in d minor Mov I (Arnold and Alma Rosé) 1928

ja.wikipedia.org

指揮者アルマ・ロゼが不運過ぎると、自分が年食えば食うほど感じる

とにかく音楽が何よりも重要で、彼女の人生を支えていた

エリート一族のため、因習に縛られる古い家風に育ち

一度結婚したが、相手からの求婚であり、彼女は家族の言いなり娘

物心つく頃からずっと音楽一筋に生き、男の子をまともに見たことあったっけ?

好いたハレタの恋愛結婚ではなかったというものの、どんな男と結婚したのか、相手の特徴をよく覚えていない

しかし20年以上ヴァイオリンだけを相手にの事実を

演奏旅行先のホテルの鏡の前でふと気づくほど特別若くない年齢じゃ贅沢も言えまい

結局破鏡を迎えたが離婚ご法度家系で、戦争直前に知り合った男性とは、自分がもう36歳で

彼が彼女の音楽を聴いて評価し、激励してくれるもあって

「毛皮のコートのような愛で包んでくれた」と感謝、正式に離婚出来ない自分を恥じ入った

もっとも離婚成立しても、彼女がナチスから逮捕は免れなかったら、幸福は掴めなかったであろう

仮の話、戦後に生還し、彼氏と正式結婚出来たとして、マンデルより6歳年長だから

つまり戦後にはほとんど40歳とあっては何らかの下方修正せざるを得まいて

 

 

 

 

最期も、複雑だ

アルマは制限付きながらも出所が決まっていた直後に逝った

死因について最終的な説明は、団員に行われなかった

親衛隊軍医の部検の結果は毒殺だった

食中毒と推定されているが、微妙、いやメチャクチャ怪しい

というのも、最期の日の昼、普段は別メニューのアルマが団員たちと同じスープを取った

一人だけ食中毒とかあり得まい

昼食後を見ると、夕方、『カナダ』のシュミット夫人に誘われ二人での食事

『カナダ』は、ポーランド人が非常に豊かな土地であると見做していた国に例えて呼ばれた収容所の保管倉庫を指す

ここは基本アーリア系の牙城であり、シュミット夫人もアーリア系ドイツ人

アルマは、世知に長けず、「他の家とは宗教が異なるだけのドイツ人」意識も手伝ってか

腹黒いシュミット夫人を善人と信じ切っており、喜んで招待を受けた

労働反の連中はアルマの死因について、シュミット夫人から供された詰が腐っていたのだろう説だが

これも、だったら同じ物食べたシュミット夫人も死んでいる

そもそも、特権活かしてふんだんに食料のストックを抱えているのに怪しい缶詰など開けるはずが無い

ただ、アルマが死んだ日、シュミット夫人が『カナダ』から消え、二度と姿を見せなかっ点が悩ましい

シュミット夫人は何故消えたのか?

 

 

 

 

いずれにしてもアルマは「毒」にやられたが、異説があるとのこと

実は検査官のドレクスラー夫人がシュミット夫人にアルマを招待させ、アルマ殺害を委託した説である

かなり穿った説で

「アルマの出所を画策したのはマンデルだが、ユダヤ人の出所を許すはずが無く、最初から殺す予定であった」

ドレクスラー夫人が、マンデルの命令でシュミット夫人と共謀してアルマ毒殺を実行した、というものであった

これが実は、一番あり得ない説よ

マンデルはビルケナウ女性楽団を愛でており、誇りにしている

アウシュヴィッツの男性楽団はプロの演奏家を集めた本格的なものに対し

ビルケナウ女性楽団は、楽器ちょっと弾ける程度が大半の、世にも珍なる編成で、真の意味で名手はアルマ一人だけ

マンデルが上からの命令には従っても、自分からアルマを手放すはずが無い

但し、ドレクスラー、シュミットの両夫人共謀説は大いにあり得る

ファニア説では

「シュミット夫人が、アーリア系の自分を差し置いてユダヤ女が収容所を出ることが許せず、毒殺により、復讐した」

アタシ説では

「何であれ、シュミット夫人が真犯人だから、彼女もまた復讐された」

シュミット夫人は誰に復讐されたかって?

彼女が収容所から完全に消えたを「殺された」と仮定すれば

アルマ殺害実行犯であるシュミット夫人殺害を、実行犯でなく命令下した格好での、マンデル及び親衛隊の偉いさん達

 

 

 

 

アルマの死がマンデルから団員達に正式に告知され、皆で音楽棟から病棟へ赴くと

遺体がマットレスか何かの上に放り出されてると思ってたのに、病棟には虚を衝かれる光景だった

医務室のすぐ横の小部屋に、棺に納められ、何百何千という白百合の花に包まれて横たわるアルマ

まるで花の雪崩に埋もれた旅人といった姿で、部屋は白百合の強烈な香りでむせ返るよう

アウシュヴィッツの町の花屋という花屋を回ったはずの白百合尽くし

いくら高名な演奏家といえどユダヤ人女性のためなんて、信じ難く、驚愕と感動のあまり、身じろぎ一つ取れない団員達

皆泣き始め、ふと見ると、それまで見たことが無く名前も知らない親衛隊将校まで泣いている

無論、マンデルも

部屋の外では、それでも強制収容所の日常は続き、新しい貨車が到着し、ガス室ではツィクロンBが充満しているのに

部屋の中では、ユダヤ人女性のために、迫害する側と迫害される側が同じ涙によって結ばれていた

空前絶後の話ですがな

 

 

 

 

しかも、アルマ後任指揮者が決まった直後には、メンゲレ博士が音楽室にやって来て

部屋の壁に打ち付けてある釘に、アルマの腕章と指揮棒を掛け、「In Memorium(死者へのはなむけに)」

アルマは迫害側から一目置かれる存在であり、「“心優しい”ナチ」が、ゲルマン民族といえど思い上がった雑魚に復讐した

…これがアルマにとって最大の救いと、アタシゃ信じている