mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

週末には映画という再現フィルムを

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10日前、天然に飼われてるボクが

toughy.hatenablog.com

クレオパトラ><ベンハー>とか、そういうことでなく、、、

お城や街並みなど実際にあるモノ、あったモノを忠実に再現することだけでない、、、

それがいかにも不自然でなく、ありのままに感じること、、、

実在しないモノであってさえも、さも実在するように感じることも再現性といえる、、、

 

 

 

 

 だもんで、ウ~ンと悩み👇

アマデウス』ちゅうと、屋内撮影の一部に蝋燭照明がメインだわな

その他に、プラハでの撮影が意味持ってるでしょ

共産圏時代であり、亡命監督が当局に頭下げまくってだけど

18世紀末ウィーンを忠実に再現出来るのがプラハだけで、そりゃ必死だ

(21世紀現在のプラハではもお無理らしい)

 

ついでに思い出したのが、『レッズ』

ソ連での撮影が拒否られ、ペトログラード場面はヘルシンキで撮影

それぞれの街一部が同じ設計者によって作られてるんだって

 

地続きの長所ってかw

マテ姐

 

<レッズ>ペトログラード場面はヘルシンキで撮影、それぞれの街一部が同じ設計者によって作られてるんだって

 

やっぱ、そこらへん金の使い方がしっかりしているなぁ、、、えらい、、、

 

 

 

 

プラハ、か

Kolya (1996) Official Trailer - Drama Movie HD

The Unbearable Lightness of Being (1988) - Trailer

『コーリャ 愛のプラハ』(1996年)と『存在の耐えられない軽さ』(1988年)

チェコ映画アメリカ映画の違いより、両作品の間に8年の年月が意味するものは?

1996年:「東西冷戦終結後に、チェコ共和国が成立している」

1988年:「共産主義国家として、チェコスロバキア共和国が存在していた」

『存在の耐えられない軽さ』がもし、4年ほど遅く製作されていれば、プラハでの撮影可能だったんじゃね

映画の撮影国はフランスとスウェーデンで、リヨンの街がプラハに見立てられた

チェコが14世紀からフランスの影響を受けていたためか、リヨンとプラハの写真を混ぜても

原作者ミラン・クンデラクンデラ夫人に街の違いがわからなかったってよ

 

 

 

 

尚、プラハを舞台に描く作品だからといって、チェコ人でないとダメという法律は無い

民族や国籍に拘泥したら、欧米映画全部アウトの勢いとなる(とりわけハリウッド映画)

俳優陣にも「再現性の高さ」でしょね

俳優と役の国籍が違って何やら居心地悪さ感じる、それは👇

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Maurice Jarre - Dr. Zhivago 'Lara's Theme' (Unutulmaz Film Müzikleri 2015 / 1080p HQ) Mu©o

ドクトル・ジバゴ』(1965年)のオマー・シャリフ

エジプト人がロシア人を演じるんだったら

三國連太郎がジバゴ役でも似合ったと思うで(スーさんの顔、シャリフと似てるやんw)

 

 

 

 

デヴィッド・リーンを腐す気はサラサラながら、シャリフ及び『ドクトル・ジバゴ』への居心地悪さについて考察した結果

「人物や土地が自然に醸し出す空気感という意味での再現性が高くない」

 

 

 

 

ロシア及びソ連の作家ボリス・パステルナークの原作による『ドクトル・ジバゴ

ソ連に於いて発禁処分となり、密かに国外に持ち出され、1957年にイタリアで刊行された

パステルナークは1958年にノーベル文学賞受賞が決定したが

ドクトル・ジバゴ』の出版とパステルナークのノーベル賞受賞は共にソ連共産党にとって侮辱的で許し難い出来事であり

ソ連国家保安委員会(KGB)とソ連作家同盟による反対運動の末、パステルナークは受賞辞退に渋々同意した

リーン映画は、日本公開が、セルゲイ・ボンダルチュク監督・出演『戦争と平和』第一部とほぼ同時期の1966年6月であった

戦争と平和』関係者来日のうち、ナターシャ役のリュドミラ・サベーリエワに対し

不粋な日本人記者が『ドクトル・ジバゴ』について質問し、当たり障りない回答が返って来たという

 

 

 

 

当然、リーン映画の撮影地はソ連じゃない

撮影地を調べると、スペイン・メキシコ・フィンランド・カナダとなっている

巨大な「モスクワ」のセットを含めて、主にスペインでの撮影

そこでフッと気づいたのが「道理で、露西亜なのに太陽が照り輝いてるはずや」

北国にも太陽は昇るけど、南国のそれとは輝度が異なるよね

ドクトル・ジバゴ』に於ける「光明」はロシアのそれとして不自然に感じられ、長年居心地悪かったの

南欧スペインでの撮影なら、不自然な光明も、極寒を感じさせないロシアも、納得行くわ

 

 

 

 

映画の舞台と撮影地が別々であれ、撮影班が作品の舞台となる国や街を訪れているか、そこが鍵(・・?

ドクトル・ジバゴ』撮影班自らソ連取材したかまでわからない

 

 

 

 

でも自ら現地取材してるしてないの差、それはあると思う

 

 

 

 

 

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Reds Internationale

ウォーレン・ビーティーは『レッズ』(1981年)のため、1979年1月、欧州へ取材に出かけた

途中で撮影担当ヴィットリオ・ストラーロを拾い、ダイアン・キートン、美術担当リチャード・シルバートの4名であった

撮影許可を得るため、ソ連に10日間滞在し、その10日間に充分見て歩き、ソ連の雰囲気を他所で再現出来るものを仕入れた

欧州での撮影地は最終的に、ロンドン及び英国の田舎、ペトログラード代わりのヘルシンキ、バクー代わりのスペインとなったが

同じ設計者で、フィンランドソ連の隣国で極寒の北国だからこそ、革命期のペトログラード再現しやすかった上に

ビーティーさんが冬のソ連を肌身で知った経験値がデカイ

蛇足として

ロシア語学習の一環として、踊るバレエ名花マイヤ・プリセツカヤを誑し込んだ色男も役に立っているw

 

 

 

 

かなり強引に、ソ連の名誉を守っとくと

 

 

 

 


JOHN REED (journalist) - WikiVidi Documentary

1917年に起きたロシア革命とその革命を記録したアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・リード

世界を揺るがした10日間 - Wikipedia

汚宅のどっかで埃被ってるはずと備忘録しといて

『レッズ』は、リードの後半生を描いている

モスクワで亡くなり、ソ連の英雄として赤の広場にあるクレムリンの壁墓所に埋葬された

アメリカ人でこの場所に埋葬された人物は、3名だけ

アメリ共産党書記長であったチャールズ・ラッテンバーグと世界産業労働組合の指導者ビル・ヘイウッド、そしてリード

 

 

 

 

ビーティーさんに撮影拒否ったソ連はその代わり

リードが外国人でも自分ちの英雄とあって、ソ連自前のリードに関する映画を製作した

セルゲイ・ボンダルチュクの監督で

Red Bells - Wikipedia

Red Bells II - Wikipedia

労働者ストライキへの同情的な報道及びメキシコ革命ルポルタージュで有名になったリードで、当人の顔が濃いとはいえ

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MEXICO IN FLAMES - TRAILER


Красные колокола 2 - Red Bells (Сергей Бондарчук - Sergei Bondarchuk)

イタリア人フランコ・ネロを選んだ理由、「マカロニ・ウエスタン」かえw

シドニーロームおねえさんがアメリカ人だけど、イタリアでの映画出演多いからww

外国向け版には、これまたイタリア映画に出演しているスイス人ウルスラ・アンドレスのヌード場面とかwww

 

 

 

 

だもんで、ついつい


Internationale - Italian

大真面目に、ソ連が国際的センス備わってた気がする~

 

 

 

 

当記事題はな、「再現」について考えてるうち


ウィークエンダー「再現フィルム」

「今のひな壇番組より、よっぽど丁寧に作られている」

動画コメントによりますとの通りだよね

視聴者に元ネタわからないなりに、説得力充分で現実味が強く、齟齬や破綻が見られないでしょ