PASTAをスプーン使って巻くと同じく、右へ倣えは左巻き: mathichen雑記帳
何度も例に出して悪いんだけど
《ライフ》の隣に営業する《ジョリーパスタ》、Googleのクチコミに
「エレベーターを着けて貰うと、車椅子や、足の悪い方々が行きやすくなると思います」
開店から20年余り通う者も明日はジジババを考えりゃ、店がバリアフリー対応しないと、いずれ客減るかも知れんしな
わかってる人はわかってるんだよね~と感心し、ウェブリとDaysで改めて
「何がソーシャルディスタンスだ、新しい生活様式だ
ホント鬱陶しいわ、健常者優先主義の優生思想は」
同様のプライバシー侵害、強要、強制が、日本のPTAや自治会ではたびたび起きています。
コロナ禍では罰則がなくても外出を自粛した国民性です。もしこの「強制じゃない」という主張が認められるなら絶望的です。
やらない人を許せないと感じる人は、「自分だってやりたくないのにやったんだから、ほかの人もやるべきだ」という思いがあるのでしょう。
そんな意地の悪い気持ちになるくらいなら、その人もやるべきではないのです。
誰かがやらないと絶対に困ることがある、というなら、それは行政の仕事です。
この自治会では、他の病床に伏せている住民や介護が必要な住民にも同じ事をしていたのか?
していたなら更に大問題だし、していないなら、この男性に対する個人的な見せしめと言うか人格攻撃であって許されないこと。
これは酷い。
こんなんだから町内会なんて入る人が減っていくんです。
町内のトップが事情を知るのは致し方ない。けど、この超プライバシーに関わる事を皆にさらすなんて、このご時世にありえないです。
いじめですね。
とどのつまり、「自粛警察」発想と繋がってるんじゃないの
「自分だってやりたくないのにやったんだから、ほかの人もやるべきだ」
やりたくないと出来ないは別がわからん低学歴じゃん
やりたくない、やらない、やった:やれば、完璧でなくても出来る
出来ない:やる気持っていても、出来る事情や能力を持たない
ちゃう?
そもそも、マスク着けたくても着けられない者いて当たり前じゃんと考えてるわ
何もマスク不要と言ってるのでなく、「五体満足健常者こそ、無知性無教養の意味で知的障害者」を指摘してるの
西洋と東洋の違いを片方の価値観で相手方を決めつけるなと同じだよ
マスクに限って言うと、「欧米が捨てた文化をアジアが拾って再生しただけの話」
捨てといてグダグダ並べるのは確かに見苦しい
しかし、自分らの頭には思いつかなかったマスクを生んだ文化に対し相手の失敗をあげつらい程度低いとかケッタ糞悪いわ
「自粛警察」などの類は同調圧力だから、言ってみりゃ「裁判無しでの4刑判決を下す」
北朝鮮さんの悪口言えない国だねw
大阪市の件に関しては、法律が如何に有名無実かを物語っている
早い話、健常者優先主義社会を認めているのに、社会を抜本的に改革していない証明の事件だよ
「お姉さん、立案に当たって障害者からの聞き取り調査の時点で、偏っていたのよ
聞き取り対象が、ごく軽度の人たちからだったの
見守り程度で十分、日常は、就業して普通に暮らせる。そういう障害者いるでしょ
彼らは自立心旺盛、『地域社会に溶け込んで暮らしたい』と願う
それらは間違っていないし、意志を尊重した支援するのは当然なんだけど
障害者も人の顔と同じで千差万別、一様に扱うこと出来ると思う?
軽度でも親の保護必要な、作業所通いしたり、時々ショートステイ利用したりの知的障害者抱える家では
おカネの負担重くなり、お先真っ暗、一家心中考えるケースあった
自立どころか、完治すら叶わない重度だと、お姉さんには説明不要よね
生まれながら、生涯に渡り、病院や施設での継続的な医療と保護が必要なのに
つまり、児童の法律と成人の法律が連携して行わなければならないのに
親たちが猛抗議しなかったら、成人の法律だけとなり、20歳以上でも必要な児童支援打ち切られていたのよ」
改善されたけど、導入当初は一家心中を生んだ障害者自立支援法と同じくらい胡散臭い
支援法と解消法どちらも、そしてコロナ対策も、健常者の自己満足で慇懃無礼っぽいじゃん
【普通じゃないから、フツーじゃなくなる頃な】後半に
イスラエル兵役型の、つまり国民徴兵制的介護役に、ボランティアに加え「世話される側」体験付きもアリよ
健常者視点での「便利」を不便と感じる向きが世の中にどんだけいるか、身を持って知るべくね
とにかく、自分が世話される側に回ってみて、五体満足の高学歴高収入だろうと如何に無能でありヒトデナシだったかわかるから
その辺の糞バリキャリの手足を2本か3本、生意気な鼻っ柱と一緒に折ってなどと合わせ、真剣に考えてるからどおよ?
意外な面が見えて来るかもだ
Children of a Lesser God (1986)
Michael Douglas Wins Best Actor: 1988 Oscars
Sesame Street: Billy Joel And Marlee Matlin Sing Just The Way You Are
マーリー・マトリン自身は聴覚障害者特有の口調ながら話せ、ロビン・ウィリアムズの物真似まで出来るw
7歳の時に『オズの魔法使い』のドロシー役で初舞台をというのは、聾唖者の学校か関係機関の話と思う
30余年前、「我々だって歌えるんですよ」
その意味、映画とセサミストリートを見たらわかるよね(スーパーボウルでの国歌斉唱も果たした)
聴き手に手話などわからなくたって、歌い手の表現力で伝わって来るんだよね
言葉に頼れる分、歌は聴こえるが何歌ってるかわからん時ある桑田佳祐よりわかりやすいんだけどw
ところで、『愛は静けさの中に』、ウィリアム・ハートが音楽聴こうとする場面無かった?
聴こえないマーリーに気を遣って控えていたが、彼女に断ってレコードをプレーヤーで再生し聴き始めた
でもやっぱ彼女が気になり、音楽に集中出来ない
彼女は認めてくれてるんだから、集中出来ないほど彼にとって音楽が必要な存在ではないんじゃないの?
自分が本当に何を必要とし何が不要か、健常者基準社会で生きてるとなかなか見えて来ない
コロナさん絶賛活動中現在でも、人の本性知れたとかガツガツしていた自分を見直す機会にとか皆が皆でないしね
Not Without Other.(他者の存在と自己の存在は二個一) - 時空と想念の交錯
「夢は必ず叶います」の言葉が問いかけるもの
夢が叶うことについて考えると、例えば勝利、合格、出産、長寿、退院、新築、当選などが思い浮かびます。
夢が叶ったその後に、お祝いすることが起きます。
人と競争して勝つことにより夢を叶えたのであれば、その裏には必ずと言っていいほど競争に負けた人がいるはずです。
この場合、他人の悲しみを踏み台として夢を叶えたことになります。
世間の常識に従って祝うのであれば、それは他人の悲しみによって成り立つお祝いだと言えましょう。
世間には、夢を抱いても、そのための努力が出来ない多くの人が居ることと思います。
その人達からも共感を覚えるようなお祝いの意味を問うならば、
努力が出来たことに対する感謝、あるいは努力をしてきたことに対するご褒美として、お祝いしていくという考えが思いつきます。
今問われていることは、夢に向かって努力している時の謙虚な姿勢ではなく、
夢が叶った後に(無意識に)現れてしまう傲慢な態度だと言えるかもしれません。
その傲慢さが因となって「夢は必ず叶います」という言葉が発せられるのでしょう。
この言葉は、聞いている人に不快な印象を与える可能性があることを、改めて肝に命じておきたいものであります。
競争によって叶う叶わないに限らず
♪世界に一つの花みたいに「皆違って当たり前」なら、「出来る者と出来ない者の両方がいて当たり前」
自治会班長は出来ないが他で何か出来ることある時にやって貰ったらいい
そういった配慮が、五体満足なだけで偉ぶってるバカタレどもに理解不能の時代なんじゃね
昨今言われる「配慮」、恵まれている者に恵まれないが奴隷として配慮せよに思えてならんのじゃ