https://headlines.yahoo.co.jp/cm/articlemain?d=20200604-00010000-cosmopoli-ent
おお懐かしや。
若い頃にスクリーンやロードショー(いずれも映画雑誌)のグラビアに心躍らせたものです。
ジャッキーチェンとかソフィーマルソーなんかも絶大な人気を誇っていたなあ。
最近は映画でお見掛けしないけど女優は続けているのか。
綺麗で憧れでした。
今の天皇も当時、彼女のファンを公言してましたね。
まさにこの時代の映画の潮流が、日本でロリという言葉を一般化させ、今に続く「萌え」漫画の起源となったのは間違いのない所。
起爆剤となったのが、マーゴ、マリエルヘミングウェイ姉妹の「リップスティック」だろう。
ジョディーフォスター、ダイアン・レイン、フィービーケイツ、ナスターシャキンスキー、
ソフィーマルソー、イザベルアジャーニ、アンヌパリローetc・・・
世界中で十代の女優が台頭した。
ブルックシールズは、演技力と言う点では微妙だったが、そういう時代の象徴として抜群の光を放ってる。
ちなみに、サハラ砂漠の裏側というか表紙には
ロケ先のサハラ砂漠に見えるようで実はイスラエル、そこでベドウィン族の金満に買われそうになった美少女w
出演映画を調べたら、「結局、『エンドレス・ラブ』がピークやったな」
15歳のジェイドと17歳のデヴィッドはお互いの両親も公認の恋人同士
だがある日、ジェイドの部屋でデヴィッドが裸でいたのを覗き見られたことから
二人がHをしていたことを知られ、勉学の妨げになると引き離される
デヴィッドがジェイドに会いたい一心で、ジェイドの家に放火したことから悲劇が始まる
…男版八百屋お七映画ねw
放火を唆すのが、トム・クルーズww
この兄シスコンちゃうかった?が、ジェームズ・スペイダーwww
監督がフランコ・ゼッフィレッリ=ロミオとジュリエットの話
ロミオとジュリエットで気になるところがあります。 - ロミオは基本的に遊び人... - Yahoo!知恵袋
40年前でも13歳だとヤバイので、ジェイド役として、15歳の女優が適役である
ジェイド役に必要な「お子ちゃま」、これを自然に表現出来るのは等身大年齢の15歳
日本公開された直後の1982年初頭、スクリーン誌とロードショー誌どちらかに
「泣き顔に、人の年齢が現れる」と書いた映画評論家がいた
ギャン泣きっぽい表情が自然に出来るの、まだ子供の範疇に足突っ込んでる15歳まで
16歳で微妙、17歳になると厳しく、夜の接客業解禁の18歳ではカマトト(死語)認定
撮影当時15歳のブルッキーなればこその場面よ
最終選考でブルッキーに負けて正解ね、21歳のシャロン・ストーンさんはw
子役時代のエリザベス・テイラーと同じく、子供の身体に大人の顔が乗っかっていたブルッキー
娼館に生まれ育ち、淫売の子は淫売になるが常識と考えているヴァイオレット
初めて客取る場面などには、仕草は完璧、でもやっぱ餓鬼だねが見て取れる
常連客の男と結婚して蒸発した母ハティが迎えに来た時も、新婚夫のべロックに一緒に行けないの?と尋ねたりする
駅で継父が撮影する写真(右下)、これに決して明るくない未来見えるのアタシだけか
親が普通の子として育てると言っても、なまじ知恵持つ12歳からでは遅過ぎる
「子供時代」が無く、その辺の大人より俗世間の酸いも甘いも噛み分けている
一見「普通」、しかし周囲に合わせてるだけの未来が、「老獪な大人顔」の子供服姿に見え隠れしている
…と、妖しげなアンバランスが、12歳の少女娼婦にドンピシャリなんだよね
『プリティ・ベビー』 が、「女優ブルック・シールズ」の代表作と考えるわ
「大人顔」が本当に大人になったら、大抵、無論十人並み以上だが特別感が消えフツーに近くなるを思え
『エンドレス・ラブ』までが全盛期と見るよ
身長180cm超えなんて、女優として大柄過ぎるんだって
『エンドレス・ラブ』木陰のラブシーン、彼女の足下に穴を掘り、マーティン・ヒューイットと釣り合い取ったくらいだからw
詰まる所、モデル向きね
brooke shields modeling - YouTube
女優なら、20代のうちに
漫画主人公とかだ
余談として
『ブレンダ・スター』はね、ブルッキーLoveのアラブの王子様が作った、大いなる個人映画w
「ウチの娘がブレンダをやりたがってるの」
有名なステージママであるテリーの言葉をきっかけに、話はサウジアラビア王族に繋がる首長まで届き
自分はエルヴィス・プレスリーに似てると思い込んでる首長が、ブルッキーLove
この「俺はアラブのプレスリー」が長くなるので割愛するけどスパイ映画もどきを展開し、映画の完成と公開までが波乱万丈の大作にw
ん?ブルッキーは首長に買われなかったのかって??知らん!!!
が、最初に食ったのはコミックヒーロー、↓と言われている
食うで思い出した
1982年頃、ブルッキーがママと連れ立って外食した時のコト
そーいう自分は体型ガーのママが娘に、「美容のため、サラダを注文しなさい」
娘は自分同様大柄のハンバーガーを注文し、ママの分まで平らげたそうよ
17歳ってまだまだ食い盛りの餓鬼だからね~
自分の食事盗られたママが怒ったのは説明までもあるまい
普段はママに従順な娘であった
パパ、パパの再婚相手、異母弟妹との仲良くても
パパの家で過ごす週末、黙って娘の送迎し自分は家に入らないママの背中を見て、「ママだけが、家族だ」
そんな娘だったからね
近年の姿を探して見ると
往年のオーラは消え、経年劣化進んでるものの、まだ頑張ってる部類ね
50何歳になって
https://www.youtube.com/watch?v=qJtwuUn7EIw
コレやられたら、怪談ではあるw
記事題名の意味かい
ブルック・シールズ以降にも数多の美少女が登場している
客観的に頭のてっぺんから足の爪先まで精査すれば、ブルッキーを超える美少女いるであろう
しかし、誰の言葉だっけ、「女は少女であっても女である」が似合う美少女は?
『プリティ・ベビー』のヴァイオレット役を完璧に演じられる美少女だけと思うよ
圧倒的な美貌のみならず、無邪気と官能が重なる倒錯的な誘惑
魔性というのかね、唯一無二の存在として輝ける美少女がどれだけ、この40年間に現れたかしらん
映画界を見ても体力低下というか、技術面は進化続けるが、芸術面は退化気味と映る
40年前のブルッキーが2020年現在に登場したら、40年前と同じだけの成功収められると思えない
『プリティ・ベビー』の監督が、ルイ・マル
『エンドレス・ラブ』の監督が、フランコ・ゼッフィレッリ
そこを考えてみ、何が見えて来る?