13日のFridayの夜、鯵Fry食べたからねの報告しといてw
前記事への補足記事をば
Yahoo!にも書いたけど、少し思う所あってさ
福岡県に住む熱狂的な鷹党の専業主婦がいる
とっくに還暦過ぎてるものの余力十分で、スイミングスクール通いの日々を送る
合間に複数ブログの更新しており、パソコン通信時代からだと30年選手だ
このオバちゃんが九州での専業主婦であったおかげ様で救われた格好が、実家のパパンである
太古の湘南ボーイが、浅草娘とラブラブになって結婚し、東京生まれの東京育ち娘が誕生した
都電に乗って23区内女子高通いしていた娘は成人後、九州男児と結婚した
それからウン十年後
浅草娘が先立ち、湘南ボーイは独居暮らしを始めた
家事出来るし、誰に気兼ね要らずのノンビリとした老後送るも、寄る年波には勝てない
娘夫婦から「ウチにおいでよ」の強い勧めに迷った後、東京生活を切り上げ、未知なる筑前国へ向かった
孫ちゃんたちとも和気アイアイとした関係を築け、パパンもすっかり新天地が気に入った
それからウン年後
パパンは病気がちながらも、大往生を遂げ、虹の橋を渡った
娘曰く、「同居してくれて、ホント良かった」
東京だと鷹~、もとい、高~な医療や介護とほぼ同じ内容が、福岡では格安で受けられる
娘夫婦に遠慮して、東京で独居続けていれば、突如倒れた時も心配だが
ロクな介護受けられず惨めったらしい最期を迎えたと想像される
娘夫婦は別に金満じゃないなりに、ヘルパー等を利用して十分な介護を用意した
アタシゃ写真で見たけど、パパンは娘夫婦家の小綺麗な一室で、日替わり的ヘルパー'sから丁重な世話を受けてたよ
パパンは寝た切りじゃないため娘が時々公園などに連れ出しての姿も、実に穏やかであった
パパンは多分、娘夫婦への感謝と同時に、福岡移住が「娘の負担を減らせた」
もし独居を続けた上で、十分な介護が受けられたとしよう
パパン自身の年金や預貯金だけでは不十分で、遠方の娘夫婦が経済援助した可能性あるね
虹の橋を渡る時期がわかっていても厳しく、時期未定ならば娘夫婦と共倒れの恐れもね
親子共に、便利で住み慣れた都会を離れる勇気も時には重要という主旨よ
北海道デッカイドー遠いどおの中でも、ドの付く辺鄙な地元から東京に逃げた息子が、後年、両親を呼び寄せたとか
それこそ上級国民級経済力持ってないと、結局、一家揃って困窮の末路じゃね?
実家畳んだことで、もう、逃げ場を失ってるんだからさ
仮に、両親は地元に残り、子供がUターン帰郷する場合だって、話は簡単じゃない
嫁と子供が東京暮らしの魔力に囚われ、離婚こそしないが、息子一人で帰郷した話がある
兄弟揃って上京しており、独身の弟が兄に「自分が帰る」と勧めるも
兄は「お前だけでも、自分の夢を叶えてくれ」と、嫁と子供に仕送りしながら介護生活を選んだ
実家が限界集落みたいな地域であれば、民度低過ぎる田舎者に集られたり村八分にされたりの恐怖なのにな
そこまで行かずとも、五島列島が見える地域の長崎出身によれば
「ボクの地元では概ね、高卒後、近くても福岡、他は東京や大阪に出るんですけど、地元に残る者も無論います
ボクの帰郷時、地元組と飲んで騒ぎますが、『ここはもう、ボクの地元じゃない』の温度差を感じますよ」
期間限定で上京しての進学組が、帰郷後に違和感受けなかったとか
福岡のオバちゃんに戻ると
スイミングスクールには、傘寿を越えたおねえさま方が元気で泳ぎまくってるという
おねえさま方とて、実家や婚家の介護を経ての第二の乙女時代を堪能している
その前には、横浜中華街
ウチの菩提寺の浄土宗総本山巡りシリーズに参加した婆様連中だってそうだ
専業だろうと兼業だろうと、やることやってこそ、本当の自由を享受出来る
婆様連中を物心両面で支えた爺様連中もだ
これが現在過去未来に亘っての、理想的な男女共働きというのがアタシの信念だよ